今日のうた(106)

[今日のうた] 2月ぶん

(写真は香川ヒサ1947~、角川短歌賞若山牧水賞などを受賞、思索的でヒネリの効いた歌を詠む人)

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  • 恋人をみつけたような足取りであなたは川へ向かってあるく

 (梶山志緒里『角川短歌』2019年11月佳作、前後の歌からすると、作者1993~は恋人と一緒に川沿いを歩いているように思われる、とすると本歌の「恋人」はたぶん作者自身のこと) 2.1

 

  • 眠るときすこし沈んでいくようなこれがゴールかみたいな感じ

 (石井大成『角川短歌』2019年11月佳作、作者1999~はまだ若い学生、「これがゴールかみたいな感じ」というのがいい、何の競技の「ゴール」なのだろう、眠りに落ちる時に感じるとすれば) 2.2

 

  • 校門を定時に閉める先生が生徒を挟んで死なせたニュース

 (月野桂『角川短歌』2019年11月佳作、作者は女子高生、管理主義の高校の学校生活を詠む歌が並ぶ、「死なせた」は冗談だろうが、校門を定時にすり抜けようとした生徒を、冷酷に扉を閉めて実際に挟んだのだろう) 2.3

 

  • 午前二時君とわたしはここにいた監視カメラよちゃんと撮ったか

 (松木秀「東京新聞歌壇」1月26日、東直子選、都市のさまざまな場所に監視カメラが置かれている現代ならではの歌、午前二時のデートもしっかり撮られているだろう、「ちゃんと撮ったか」と見返すのがいい) 2.4

 

  • ためらいをぎゅっと握れば強い意志うまれることを手がしっている

 (丹羽祥子「朝日歌壇」1月26日、佐佐木幸綱選、いろいろと迷い、ためらった後に決断する時、作者は無意識に拳をぎゅっと握りしめる癖があるのだろう、だから自分に強い意志がうまれるのは「手がしっている」) 2.5

 

  • 生きながら一つに氷る海鼠(なまこ)哉

 (芭蕉1693、「桶の中で何匹ものの海鼠が頭も尻も区別がつかず「一つに」なっている、そして薄く凍っている、生きているのに」、冬の特別に寒い日だったのだろう、「一つに氷る」が卓越) 2.6

 

  • 炭(すみ)売りに鏡見せたる女かな

 (蕪村、註によれば、台所に炭を売りに来た炭売りが、蕪村家の色の黒い下女をからかったらしい、「あなたの顔の方が黒いんじゃない、見てごらんよ」と鏡を手渡した下女、事実だとすれば、賢く面白い下女を蕪村は雇っていたことになる) 2.7

 

  • かけ金(がね)の真っ赤に錆びて寒さかな

 (一茶1812、50歳の一茶が故郷の信州柏原に帰った冬の句、小さな小屋か物置の戸だろう、その「掛け金が真っ赤に錆びて」いるのが「寒い」、少し後に「これがまあつひの住処か雪五尺」の句、寒いのは雪だけではない) 2.8

 

  • 帆かけぶねあれやかた田の冬げしき

 (榎本其角、前書きに「湖上吟」とあり、「かた田」は琵琶湖西岸の地名、「あれや」は「あれは」の強調、「広い琵琶湖を眺めていると、遠くをゆく帆かけ船の白い帆が美しい、ああ、これが冬景色というものなんだ」、其角らしい洒脱な句) 2.9

 

  • みのむしの古巣に添ふて梅二輪

 (蕪村1776「遺稿」、梅の名句は多いが、この句も「みのむしの古巣」がいい、梅の樹の枝に、中に虫のいない「みのむしの巣」だけが残り、ぶら下がっていて、それに沿って「梅が二輪咲いた」、美しいと同時に俳諧味もある、そういえば我が家の梅も咲いている) 2.10

 

  • わたしには世界の果ての私がコーヒーカップをテーブルに置く

 (香川ヒサ『ファブリカ』1996、作者1947~は思索的な面白い歌を詠む人、「私」はいつも必ず自分の目の奥3センチの所にいる、「世界」はつねに「ここから」眼前に開けているから、「私」はつねに「世界の果て」にいる) 2.11

 

  • 子もやがて一生(ひとよ)をかけて知るだらう世界中の母の悲しみ

 (小島ゆかり『六六魚』2018、作者1956~の娘に子どもが生まれて、作者はおばあちゃんになった、この歌は娘に向かって詠んでいる、子どもを生んで母になると、そうでなければなかった悲しいこともまた増える、と)  2.12

 

  • ひとみいい子でせうと言いし時 いい子とほめてやればよかりし

 (五島美代子『母の歌集』、作者1898~1978の長女「ひとみ」は、戦後すぐ、女子も受け入れるようになった東大に入学、作者も聴講生となり一緒に授業を受けた、しかし1950年に娘は自死、悲しみにくれる母) 2.13

 

  • 筒井筒(つついづつ)、井筒にかけし、まろが丈、生いにけらしな、妹見ざるまに

 (在原業平、能『井筒』、「幼なじみの君とは、よく井戸で遊んだね、井戸の枠に届かなかった僕の背も、君に会わないうちにすっかり伸びた、ああ、君に会いたい」、昨夜、国立能楽堂で能『井筒』を観賞、シテの華麗な舞がこの歌で終り圧巻、紀の有常の娘(シテ)が業平の服を付けて舞う↓、原作は『伊勢物語』23段の「筒井つの井筒にかけしまろが丈過ぎにけらしな妹見ざるまに」) 2.14

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  • 「犬のひとり歩きはいけません」と大看板ひとり歩きの犬ぞ恋ほしき

 (酒井佑子『矩形の空』2006、私は見たことがないが、こういう看板が実際あったらしい、とてもユーモラスな看板だ、でも「ひとり歩きの犬」もまた珍しい、だから「恋ほしき」なのだろう) 2.15

 

  • 校長のスマホケースが迷彩という目撃談 それがどうした

 (月野桂『角川短歌』2019年11月佳作、作者は女子高生、管理主義の高校の学校生活を詠む歌が並ぶ、校長は男性だろう、スマホケースの「迷彩」から、生徒たちは戦闘服を想像し怖さを感じたのか、「それがどうした」がいい) 2.16

 

  • 幸せな女に見えるコート欲し

 (三浦鈴子・姫路市「朝日俳壇」2月9日、長谷川櫂/高山れおな選、高山は「案外難しい注文か、もちろん男でも」と評、作者は今幸せだが、地味なコートゆえに「そう見えない」のが心配なのか、それとも今不幸せなので、せめて明るいコートを着たいのか) 2.17

 

  • なみなみと太陽を載せ冬の水

 (森住昌弘・我孫子市東京新聞俳壇」2月9日、石田郷子選、沼、湖、あるいは広い河か、水が豊富なのだろう、「なみなみと太陽を載せた」水面が輝いている) 2.18

 

  • 寡作なる人の二月の畑仕事

 (能村登四郎『咀嚼音』1948、「二月の畑仕事」といえば、もっぱら土を掘り起こしたり、種を蒔くなどが中心だろうか、まだ畑には、緑の大きな葉や実った作物などは少ない、それが「寡作なる人」と重なる) 2.19

 

  • 冬の蠅二つになりぬあたたかし

 (臼田亞浪『亞浪句鈔』1925、作者1879~1951は小諸出身の俳人、冬の蠅はあまり動かない、二匹がくっついているように見えたのだろう、でも一匹ではなく二匹なのだ、それを「あたたかい」と詠んだ) 2.20

 

  • 雪山をはひまわりゐる谺かな

 (飯田蛇笏『霊芝』1937、雪山の雪が解けて雪崩を起こし、その音が「こだま」となって聞こえるのだろう、「はひまわりゐる」が卓越、地表をころがるような低い音が響いているのだ) 2.21

 

  • なんにもない机の抽斗(ひきだし)をあけて見る

 (尾崎放哉『大空』1926、作者1885~1926は種田山頭火とともに自由律俳句で名高い、東大法学部卒のエリートだが飲酒癖のため会社を免職(1923)、最後は孤独な生活となった、代表句「咳をしても一人」など強い表現力の句を詠んだ) 2.22

 

  • 品切れに気づかず何度も自販機を押す あなたにも同じことしてた

 (早乙女蓮、栃木市東京新聞歌壇」2月9日、東直子選、たしかにこういうことはある、選者の評にあるように「他者に対する無神経な行動に結びつけた」のが上手い) 2.23

 

  • その愛が重いと言われ十年間タンスで眠る手編みのセーター

 (塩田八寿子、高松市「朝日歌壇」2月9日、永田和宏選、選者評に「私もそうだが、手編みを重荷と感じる人も」と、なるほど、母(妻?)が編んだ手編みのセーターを着たがらない息子(夫?)もいるわけだ) 2.24

 

  • 単純な生命線もちゃんとある足の裏おやこんにちわ

 (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010、あまりちゃんと見たことはないが、足の裏にも確かに線はあるようだ、だがそれは「生命線」なのか、足占いというのがあるのかな? いずれにせよ「おやこんにちは」がとてもいい) 2.25

 

  • 完走をなせし男(お)の子はゆらゆらと紙飛行機のごとうずくまる

 (上野久雄『バラ園と鼻』1994、マラソンで完走してゴールすると、力が抜けてふらふらとした感じになる、「ゆらゆらと紙飛行機のごとくうづくまる」走者、作者1927~2008は「未来短歌会」の歌人、「みぎわ短歌会」も主宰) 2.26

 

  • 「やさしい鮫」と「こわい鮫」とに区別して子の言うやさしい鮫とはイルカ

 (松村正直、水族館あるいは絵本や図鑑かもしれないが、その小さな子はサメ類などを初めて知ったのだろう、とても新鮮な出会い、名前は知らなくても、正確に対象を捉えている) 2.27

 

  • かがまりて君の靴紐結びやる卑近なかたちよ倖せといふは

 (中城ふみ子『乳房喪失』1954、作者は三人の幼い子供をつれて離婚、その後、新しい年下の恋人ができたが、親族や周囲から批判された、それを跳ね返して詠んだ歌、そして少し後に作者は乳癌で逝去) 2.28

 

  • 生物学用語のやうに「愛」といふわれに優しき文(ふみ)の来てゐる

 (坂井修一『ラヴュリントスの日々』1986、瑞々しい相聞歌、作者21歳頃の作、恋人の米川千嘉子は1歳下、ともに知的な人、「生物学用語のやうに「愛」といふ」のは作者なのか、それとも彼女からのラブレターなのか) 2.29