美と愛について(13) ― 渡辺茂『美の起源』

美と愛について(13) ― 渡辺茂『美の起源』

 

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この三回ほど、「性選択」について見てきたが、今回は実験心理学者の興味深い見解を、渡辺茂『美の起源』(2016、共立出版)から見てみよう。

 

(1) まず渡辺は、ダーウィンの性選択や、同時代の進化論学者ウォレスのダーウィン批判を紹介している。ウォレスによれば、性選択は存在するが、それが果たす役割はダーウィンが考えたより少ない。性選択について渡辺は大筋認めるが、しかしその解釈がややおかしい。それは、動物たちの身体が美しいことは、それが優秀な遺伝子を持つというメッセージを伝達している、という解釈である。「動物たちの美はずっと前からメッセージ・アートだったのである。美を美として感じることは、遺伝子伝達のためのメッセージを受け取ることであり、むしろ、そのようなメッセージを伝えるものを私たちは美と名づけるようになった」(p41)。しかし、これは進化論の発想からしておかしい。健康な身体は病弱な身体より美しく、結果として、健康な身体の親から生まれてきた子はより多く育つ。これはあくまで結果論であり、この過程でメスがオスからメッセージを受け取っているわけではない。ウグイスのオスの美しい鳴き声は、メスにある種の「快」あるいは「気に入る」という感情を引き起こすが、それは「僕はいい遺伝子を持っているよ」というメッセージではない。研究者がこれを「メッセージ」だと考えやすいのは、カントが強調するように、生物の存在論には目的論的思考がどうしても入ってしまうからである。しかし性選択は、因果関係としては、交尾の回数をより増やすという一点に関してのみ生じるのであり、生まれてくる子が良い遺伝子をもつことが原因で生じるのではない。ここで問題になっているのは、あくまで生殖を動機づける原因としての美である。「良い遺伝子」の授受というのは生殖の結果であり生殖の原因ではない。目的論的思考によって原因と結果を転倒させてはいけないのだ。とはいえ、身体の美の問題は、身体が合目的性をもつことと不可分であり、カントが一番苦労した論点でもあるので、後に詳しく検討したい。渡辺が「メッセージの伝授」と解したのは多くの研究者が陥る陥穽でもあるので、責めることはできない。

 

(2) 次は、第2章の「美の神経科学」の論点を見よう。美を感じるときの脳内の状態を、MRIで見ることができるようになった。被験者が美を感じるとき、絵画でも音楽でも、内側眼窩前頭皮質が活性化されることを、ゼキと石津智大が発見した(2011、p47)。そして、同じ内側眼窩前頭皮質においても、視覚的美しさと聴覚的美しさとでは、活性化する場所が異なり、その中間に、視覚と聴覚に共通の美しさが活性化する場所もある(p50)。さらに興味深いことだが、崇高性を感じさせる風景画を見せて、崇高の活動場所を調べたら、美とは違った場所であった(2014、p51)。これはカントの洞察を裏付けるものでもある。数学者が美しいと感じる数学方程式を、15人の数学者に見せたとき、やはり内側眼窩前頭皮質が活性化したという。また、美しい行為と醜い行為という道徳的判断の違いも、内側眼窩前頭皮質の活動の違いがあるらしい。「彼は溺れている妹を助けた」という文と、「彼は小さな少女をレイプした」という文を見せたときの違いである(p51)。この点は、もっと詳細な実験が必要だが、カントが美と倫理は根底で繋がるのではないかと希望的観測をもっていたことを考慮すると、重要な問題点である。

 

(3) 美や崇高の経験における内側眼窩前頭皮質の活性化を、脳の局所だけでなく、さらに大きな脳システムの拡がりにおいて捉え、また、時間的前後も考慮すると、DMN(default mode network)という特に何かの行動はしていないデフォルトの脳状態、つまり何かをしようと待ち構えている待機的状態が重要な役割を果たすことが分ってきた(p53)。DMNとは、自己を何かに関係づけようとする脳内状態であり、それは、何かに注意を向けようと志向する状態で、じっさいに注意がなされるとそれは抑圧されるという(p53)。これをカントに関係させると、カントにおいて美的経験とは、認知認識の一歩手前にある「想像力の自由な遊び」であり、感性、想像力、悟性という心のすべての能力が協調的調和的に働く状態であるから、特定の能力だけではなく、諸能力のシステム的な活動と考えられている。カントとの対応というのは、渡辺の見解ではなく植村のものだが、重要なことは、MRIによる脳内活動の測定結果は、従来の美学の見解に反するものではなく、むしろそれを裏付けるように思われるからである。

 

本書は、他にも興味深い論点をたくさん提出しているので、残りは次回。

 

PS :美と愛が最高に一体となったシーン、『フィガロの結婚』第4幕13景、伯爵夫人に化けたスザンナをフィガロが口説くと、スザンナが怒ってフィガロをピシピシぶちます、「もっとぶって、ぶって、ああ、僕はしあわせ!」と歌うフィガロ、和解と愛が成就する『フィガロ』のクライマックス、私はここが一番好き! 天国的な音楽があまりにも美しく私たちは思わず涙ぐみます。大好きなので二つ貼ります(5分)。

https://www.youtube.com/watch?v=J40ACwKKMi4

https://www.youtube.com/watch?v=ljybOqsepPw