美と愛について(15) ― 鶴岡真弓『芸術人類学講義』

美と愛について(15) 鶴岡真弓『芸術人類学講義』

(写真↓は、スペインのエル・カスティーリョ洞窟の「手形」の絵、4万年前)

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 ケルト美術研究で名高い鶴岡真弓篇『芸術人類学講義』(2020、ちくま新書)は、芸術の起源について様々な角度から考察している。「芸術人類学」とは、「芸術の人類学」ではなく「芸術人類の学」を意味する。「ホモサピエンス」が「考える人」であるように、「芸術人類(マン・オブ・アート)」とは「芸術する人」のこと、つまり我々人間は例外なく全員が「芸術する人」「芸術的表現をする人」なのだ。「芸術する人」「表現する人」としての我々自身を反省してみると、芸術の起源が見えてくる。2万年前のラスコー壁画が、絵が見にくい真っ暗な洞穴に描かれた理由は、絵の前で祈りを捧げたからだろうと言われている。また4万年前のエル・カスティーリョ洞窟の顔料を吹きつけた「手形」は、身体が最初の絵であることを思わせる。

 芸術の起源は、共同体の祝祭における身体の表現にある。祈り、歌、踊り、そして踊りは身体にボディ・ペインティングして踊ったであろう。皮膚に色を付けて「模様を描いた」ものが、絵の起源であると想定される。シベリアでフィールドワークをした鶴岡は、先住民のナナイ族がサケなどの魚皮で作った服に模様が描かれていることに注目した。19世紀まで、西洋の絵画では、主に人物や自然などの対象が描かれてきたので、たんなる「模様」は副次的なものと考えられてきたが、鶴岡はそれを逆転する。「模様」こそが絵の起源なのだ。(写真↓は、シベリア先住民ナナイ族の白樺の樹皮製容器の模様、近くの洞窟壁画のヘラジカの絵も模様に特徴が)

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なぜ模様がまず描かれたかといえば、魚皮、樹皮、人間の皮膚に描くものとして模様が一番適切だったからである。皮膚とはその内側に生命が宿る表面であり、人だけでなく他の生き物と交感する表面(交感面)であり、それ自体が個体の生命を表現しているからだ。そしてまず描かれたのが「模様」であるのは、模様は「自然の生命循環を最高度に縮約し、抽象化したもの」(p130)だからだ。縄文式土器も、その特徴は模様にある。ラスコーの壁画の前で古代人たちは、自分たちの貴重な動物性タンパク源である動物たちに、感謝の祈りを捧げたに違いない。日本の縄文時代に、大きな魚やイノシシの土偶が作られたのも同じである。この祈りは、自分の有限な生命を自覚した人間が、死からの再生を願い、生命の循環を寿ぐ祈りである。自己の有限性と向き合うこの祈りこそが芸術の起源である。(写真↓は、ドイツで発見された「ライオン・マン」、3万2千年前と言われる、高さ30㎝の像、日本の縄文時代土偶と同様、この像の前で古代人は祈ったのであろう)

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本書は他にも、ウィリアム・モリスの壁紙の「模様」や、山梨県に見られる「丸石神」(河で削られ球形になった石を神として祀る)の分析が興味深い。ヒトという生物の皮膚に模様を描いたり、自然が創り出した石をアートと見なすことは、自然美と芸術美が接触する決定的場面でもある。私はこれまで、カント『判断力批判』において、自然美の一つとして「草のつるなどの模様」が挙げられていたのが気になっていた。現代アートが抽象画や模様化していることも含めて、「模様」に着目した本書は、芸術の起源について深い洞察を与えてくれる。(写真↓は、丸石神)

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エル・カスティーリョ洞窟には手形だけでなく、たくさんの動物の絵も。15分のYoutube映像が↓。

https://www.youtube.com/watch?v=7NTQxKHHua8

 

PS :美と愛が最高に一体となったシーン、『魔笛』のパミーナとパパゲーノの二重唱、ザルツブルク音楽祭2008(3分)。

https://www.youtube.com/watch?v=KIVsaCsegTU