今日のうた(109)

[今日のうた] 5月ぶん

(写真は川野芽生1991~、2018年に第29回「歌壇賞」受賞、東大大学院生、古典的様式の耽美的な歌を詠み、思想性が強くフェミニズム的)

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  • 梅の木の心しづかに青葉かな

 (一茶、今、木々の青葉が美しい、我が家では、モクレンの葉などは風に大きくそよぐのに対して、梅の葉は小さく、しかも枝にこびり付いているので、動きが少ない、小さな実も付き始めて、青葉を見ている私たちも「心しづかに」なっている) 5.1

 

  • 粽(ちまき)結ふ片手にはさむ額髪(ひたひがみ)

  (芭蕉1691、「端午の節句といえば粽だよ、あの娘、てきぱきと笹の葉で粽をくるみながら、ときどき額に垂れてくる髪をさっと片手で掻きあげて、耳の後ろに挟んでる、可愛いなぁ」) 5.2

 

  • 高枝を吹きはねし尾や鯉幟(こひのぼり)

 (池内たけし、「鯉幟が強い風に泳いでいる、あっ、あの高い樹の枝を尾でバシッと横殴りにしたぞ、すごいなぁ、強いんだなぁ」、作者は高濱虚子の甥にあたる人) 5.3

 

  • 広すぎる空は嫌いだ 屋上は風を感じるため上がる場所

 (月野桂『角川短歌』2019年11月佳作、作者は女子高生、管理主義の高校の学校生活を詠む歌が並ぶ、「広すぎる空は嫌いだ」というのも、校内に充満する圧迫感・抑圧感と関係あるのだろう) 5.4

 

  • 嚙むほどに五月の風もふいてくるセロリーは白い扇状台地

 (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010、「扇状台地」とは、川が山間から平地に出るところに砂礫が堆積して扇状になった地形のこと、「セロリー」の根元はたしかにそんな形をしている) 5.5

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  • 夜型って書いてあるのと昼型って書いてあるのとある、ウサギ本

 (穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』2001、ウサギは夜型と書いてある絵本と、昼型と書いてある絵本との両方があるのか? それとも動物学の専門書? 両方のタイプのウサギを一緒に同じ籠で飼ってみたいな) 5.6

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  • 初めてのキスは女の子とだった皆言うだろう五年二組は

 (石川明子・女・43歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、テーマは「キス」、小学校の想い出、「「五年二組」が意外でありつつ、リアルに感じます。局地的に「女の子」同士の「キス」が猛威を振るったわけですね」と、穂村弘評) 5.7

 

  • 観覧車いまがてっぺんなのにまだ父親のこと話してるきみ

 (関根裕治・男・43歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、テーマは「キス」、「「観覧車のてっぺん」ではキスするもの、というのは或る世代に限定された感覚なんじゃないか。そこから「父親のこと」までの距離の遠さがいいですね」と穂村弘評) 5.8

 

  • ほんたうはひとりでたべて内庭をひとりで去つていつた エヴァ

 (川野芽生『歌壇』2018年2月号、作者1991~は第29回歌壇賞受賞、東大大学院生、古典的様式の耽美的な歌だが、思想性が強くフェミニズム的、「イヴは蛇の誘惑ではなく自分の意志でリンゴを取って食べ、エデンの園を出て行った、アダムと一緒でもない」) 5.9

 

  • 女でも背中に腰に汗をかくごまかしきかぬ作業着の色

 (奥村知世『歌壇』2018年2月号、作者1985~は第29回歌壇賞次席、工場で工作機械と格闘しながら船のスクリューなどを加工する仕事のようだ、職場は男性がほとんどだろう、作業着に汗が滲むのを見られるのは少し恥ずかしい) 5.10

 

  • 時々は花も鋏みてばら手入

 (高野素十、薔薇が美しい季節になった、たくさん植わっているご近所の前を通るたびに、じっくり見て楽しんでいる、我が家の薔薇も咲き出したが、私は、咲くそばから鋏で切り取って室内に活けてしまう、本当は作者のように「時々は切り取る」くらいが望ましいのだが) 5.11

 

  • 竹の子の力を誰にたとふべき

 (野沢凡兆『猿蓑』、竹林の中に地面からずんと生えてきた竹の子、今そこに生えている竹の子は動かんばかりの「力」がみなぎっている、「力」という簡潔な一語で竹の子を詠んだのが卓越) 5.12

 

  • 漁夫やさし提(さ)げて訪ひ来し鯖一尾

 (峽川、「鯖」は一年中売っているので「秋刀魚」と違い季節感があまりないが、たくさん集まる産卵期の初夏と、脂ののった「秋鯖」が季語に、本句は大都市ではなく鄙びた漁村の近辺だろう、作者については分らないが、たぶん昭和初期か) 5.13

 

  • かきつばた丹(に)つらふ君をゆくりなく思ひ出でつつ歎きつるかも

 (よみ人しらず『万葉集』巻11、「かきつばたのように、ほんのりと赤い紅顔の美少年のあなたを、ふとした機会に抱いてしまった、たった一度のこと、でももう忘れられない、思い出しては、もう逢えないのかと嘆いています」) 5.14

 

  • うちわびて呼ばはむ声に山彦のこたへぬ山はあらじとぞ思ふ

 (よみ人しらず『古今集』巻11、「ああ、もう寂しくて、貴女の名を叫ぶように呼んでしまいます、どんな山でも呼べばかならず谺が返ってきます、まさか貴女は答えてくれますよね」) 5.15

 

  • わりなしや思ふ心の色ならばこれぞそれとも見せましものを

(河内『千載集』巻11、「残念だわ、もし貴方を思う私の心に色が付いていたら、その思いの深さを色で見せられるのにね」、聞こえる音や見える文字に色が伴う共感覚の人は当時いなかったのかな?芸術家に多いから歌人にもいそう) 5.16

 

  • あはれなりうたた寝にのみ見し夢の長き思ひにむすぼほれなむ

 (藤原俊成『新古今』巻15、「あぁ辛いです、貴女とは、うたた寝の夢のような、たった一回の逢瀬があっただけなのに、結ばれたまま解けない紐のように、私の心は貴女から解放されないでしょう」、「うたた寝」「結ぼほる」を上手く使った) 5.17

 

 (猪俣千代子、「ねぇ、こんな小さな花が落ちてたよ」と、子供が拾って父にも母にも見せている、「ああ、これはね、沙羅双樹って花だよ」と父も母も口に出して答えたのか、我が家の沙羅双樹も咲き出した、遠目では白だが、近くで見るとほんの少しピンクが) 5.18

 

  • 老農は茄子の心も知りて植ゆ

 (高濱虚子、1942年5月3日作、私は鴻巣の近所をよく散歩するが、今どこの畑にも、植えられたばかりの茄子の苗が美しい、紗を掛けたり、ビニールの覆いを付けたり、大切にされている) 5.19

 

  • 満開のさつき水面に照るごとし

 (杉田久女、サツキはツツジの仲間では咲くのが一番遅い、「五月」と呼ばれるのもそのためだ、渓流沿いの岩場によく咲いており、この句もそういう場面だろう) 5.20

 

  • 風光り無人の校舎駆け抜ける

 (丸田由紀子・東京都「朝日俳壇」5月17日、高山れおな選、コロナで休校の小学校校舎を詠んだのだろう、「駆け抜ける」のは人ではなく風、俳句にはこのような記録性がある、だが20年後には、前書がなければこの句は単独では分らないだろう) 5.21

 

  • 居場所なきステイホームや春暑し

 (森一平・世田谷区「東京新聞俳壇」5月17日、石田郷子選、「ステイホーム」がこの句の肝、コロナのため外出自粛なのだが、毎日毎日、家族と一緒に一日中家にいるのもつらいよ、「お父さんはうざい」とか言われるし) 5.22

 

  • 風のない春も春です制服を脱いで可塑性そのものの君

 (古瀬葉月「東京新聞歌壇」5月17日、東直子選、コロナで在宅? いつもと違って私服姿の「君」、「制服」はJK?CA?ホテルのボーイ?神父?「君」の男/女/年齢は? 色々考えられるけれど、「可塑性そのもの君」はとても素敵 ) 5.23

 

  • 唐突にコロナ離婚がわかるわとピアノに向かう休日の妻

 (上門善和「朝日歌壇」5月17日、永田和宏選、「ピアノに向かう休日の妻」が微妙、いつもなら休日に仲よく一緒に外出する夫婦なのか、それともずっと夫が在宅でストレスが溜まり、たまたま夫に顔を合せない時に、ぼそっと言ったか) 5.24

 

  • 君の名を誰かの前で呼ぶときの踏絵 確かに試されている

 (雪吉千春『歌壇』2018年2月、第29回歌壇賞候補、作者2000~は高校生、クラスメートに好きな男子がいる、でも恋はまだ始まったばかり、友人たちには気づかれているのだろうか、彼の名を呼ぶとき意識してしまう) 5.25

 

  • 古本を売るひと生地を染めるひとまだアッラーと生きる人々

 (田中翠香『歌壇』2018年2月、第29回歌壇賞候補、作者1993~は大学院博士課程、研究のためバクダッドに滞在、イラク各地の様子が生き生きと詠まれている、「博論」「遺跡」等々の語、専攻は考古学、宗教学、or文化人類学?) 5.26

 

  • 海さがすためスクロールする指に乗っかっている爪の半月

 (坂井ユリ『歌壇』2018年2月、第29回歌壇賞候補、作者1990~は彼氏と海辺へ旅行中、彼氏は鬱で薬を飲んでおり、自殺願望がある、「海さがす」は入水を考えたのかもしれない、結局、二人とも無事に帰ったようで、本当によかった) 5.27

 

  • 蛙啼く田の水うごく月夜かな

 (高桑闌更1726~98、最近、我が家の近所でも田んぼに水が引かれたが、そうなると突然、蛙がたくさん鳴き出し、夜じゅう私の書斎にも声が聞こえてくる、一夜にして湧くとも思えず、水が入る前には蛙たちはどこにいたのだろう?) 5.28

 

  • 手あまりの人佇める田植かな

 (修山人、昔の田植えは、村じゅうの人が繰り出す人海戦術だったのだろう、でも今は、我が家の近くでも田植えが始まったが、一人乗る一台の自動田植え機が田を往復し、あっという間に終る、「手あまりの人がたたずむ」のを見たことはない) 5.29

 

  • 二本(ふたもと)の競ひ伸びたる葵かな

 (昂志、わが家の近所でも、立葵の花が美しく咲き始めた、立葵は一本だけのこともあるが、たいていは三四本一緒のことが多い、この句では二本、でも、上へ上へと「競い伸びる」感じがとてもいい) 5.30

 

  • 驅けつけて驛で別れぬ麦の秋

 (野村泊月1882~1961、我が家の近くの畑でも、あちこちの麦が色づいてきた、まだ濃淡はさまざまで、濃い褐色はごく一部だけれど、やがて一面が「麦秋」になってゆく、作者は虚子門下の人) 5.31