今日のうた (111)

[今日のうた 111] 7月ぶん

(挿絵は、志太野坡1662~1740、芭蕉の弟子で、蕉門十哲の一人)

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  • 噴水の立ち上がりざまに見えているあれは噴水のくるぶしです

 (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010、噴水の水が立ち上がり始める瞬間、もこもこもこっと盛り上がってくる先端に、丸みを帯びた奇妙な形がいくつか見えた、「あれは噴水のくるぶし」なのでしょう) 7.1

 

  • 水準器。あの中に入れられる水はすごいね、水の運命として

 (穂村弘『手紙魔まみ』、地球上の水のほとんどは、雲になったり川になったり海になったり、いつも動いている、でも水準器の中の水は、あの小さなチューブの中にずっと閉じ込められたまま。いやじゃないんだろうか、「あの中に入れられている水は、すごいね、水の運命として」) 7.2

 

  • 夏になる私たちだけ2進数繰り返すキス繰り返すキス

 (梅田桃代・女・17歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、テーマは「キス」、「真っ直ぐな恋の歌ですね。オンとオフだけの「2進数」という捉え方が新鮮。「繰り返すキス繰り返すキス」という繰返しの響きも素晴らしい」、と穂村弘評) 7.3

 

  • ユミちゃんがひとりで先に腕の毛を剃ったのプール開きの前に

 (浪江まき子・女・28歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、テーマは「女子」、「それまでは何でも一緒だったのに、女子の世界の新しい扉を「ユミちゃんがひとりで先に」開いてしまったんだ」と穂村弘評、作者はJKかと思ったが、意外にも(?)大人女子) 7.4

 

  • 道の辺の木槿(むくげ)は馬に喰はれけり

 (芭蕉1684、「馬上吟」と前書があり、馬に乗っているのは芭蕉自身、「木槿の美しく咲いた樹を通りかかったら、突然馬がパクッと花を食べてしまった」、人を喰ったような俳諧の味で、木槿の花の美しさを詠んだ、我が家の近くの花も咲き出した) 7.5

 

 (志太野坡1662~1740、作者は芭蕉の高弟、梅雨時には川や池が溢れて、魚が手づかみでも獲れたのだろう、子供たちのいかにも得意そうな顔が眼に浮かぶような句) 7.6

 

  • 時鳥(ほととぎす)雨のかしらを鳴いて来る

 (浪化1671~1703、作者は芭蕉の弟子で、浄土真宗の僧侶、「あっ、黒い雨雲がぐぐっと近づいてきた、雲の先頭に立つように飛んできたホトトギスが鳴いた、と思ったら雨がザーッと降りだした」、「雨のかしらを・・・」が上手い) 7.7

 

  • おろし置く笈(おひ)に地震(なゐふる)なつ野哉

 (蕪村1768年6月20日、「笈」とは、旅などで、ものを入れて背中に背負う箱↓、「夏野で笈をおろして休んでいると、突然笈が振動し始めた、あっ地震だ、怖いな」、野原では普通は地震は感じにくいが、「笈」の揺れを真っ先に捉えた鋭い句) 7.8

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  • 山艸(やまくさ)に目をはじかれな蝸牛(かたつぶり)

(一茶、1813、『七番日記』、草叢を、カタツムリが触角をぐーんと上方に伸ばして動いているのだろう、触角の先端には目玉がある、草の葉に触れて眼を痛めないようにね、と一茶) 7.9

 

  • 海底(うなぞこ)に眼のなき魚(うを)の棲むといふ眼の無き魚の恋しかりけり

 (若山牧水『路上』、「光のない深海に棲む魚には眼のない魚もいるという、そんな魚が羨ましい」、早大生だった21歳の牧水は、人妻である園田小枝子に恋をした、しかし5年に及ぶその恋は破綻、その苦しみを歌った歌) 7.10

 

  • 草づたふ朝の螢よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ

 (斎藤茂吉『あらたま』、「草づたふ」が重要、茂吉自身の解説によれば、「朝、草のうへに、首の赤い螢が歩いてゐる。夜光る螢とは別様にやはりあわれなものである」、螢の命は短いが、同様に人の命も短い) 7.11

 

  • 睡蓮の花さく水にゐる魚の緋のかげは追憶に似てひらめけり

 (上田三四二『湧井』、1972年の作、「花影」と題した歌群の一つ、「大きな池の睡蓮の下に緋鯉がいるはずなのだが、ちらっと見えたと思ったら、もう見えなくなった、逃げ去る記憶が「ひらめいた」かのように」) 7.12

 

  • 万緑の真中でうつつ見失ふ

 (田頭玲子、柏市、「朝日俳壇」7月12日、高山れおな選、「万緑の圧倒的な力にふと日常を忘れる」と選評、コロナ自粛で家に籠っている人には、外の万緑は、よりいっそう衝撃度が大きいかもしれない) 7.13

 

  • そら豆の莢を割りつつ自粛の日

 (さがたさとこ、東京都練馬区、「東京新聞俳壇」7月12日、石田郷子選、コロナ自粛で家にいる時間が長いと、料理や家事にかける時間も長くなるのか、いつもは特に意識されない「そら豆の莢を割る」作業も、より丹念になって、それと意識される) 7.14

 

  • この空間あなたのものでないですと監視し合へる車内のまなこ

 (藤井啓子、神戸市、「朝日歌壇」7月12日、佐佐木幸綱選、「電車に乗り合わせた者が互いを意識する微妙な空気。コロナ騒ぎではじめて味わった「まなこ体験」」と選評、たしかに電車内で近くにいる人の顔を「見る」ようになった) 7.15

 

  • 夏の観覧車崩れれば冬の観覧車生まれるような万華鏡欲し

 (鍵丘ノア、大津市、「東京新聞歌壇」7月12日、東直子選、「万華鏡の中で偶然できる形に観覧車、それも夏と冬の違いがあるものを見い出そうとする繊細な美的感覚。たった一人の瞳の中の儚さと華やかさ」と選評) 7.16

 

  • 郭公(ほととぎす)いまだ旅なる雲路より宿かれとてぞ植へし卯花

 (式子内親王『前斎院御百首』、「旅の途中で雲の間を飛んでいるホトトギスさん、どこかで休んで宿を取りたいでしょう、我が家にどうぞ、白い花が上から見えるように、卯の花を植えました」) 7.17

 

  • 麻苧(あさを)らを麻笥(をけ)にふさすに績(う)まずとも明日着せさめやいざせ小床(をどこ)に

 (よみ人しらず『万葉集』巻14、「君は本当によく働くね、麻を紡いで箱一杯に積み上げようとしてる、でも明日お召しになるわけじゃないでしょ、もうやめて早くおいでよ、僕が待つこのベッドへ) 7.18

 

  • 今しはとわびにしものを蜘蛛(ささがに)の衣にかかり我をたのむる

 (よみ人しらず『古今集』巻15、「もうこの時間だもの、ダメだわ、貴方は来てくれないのねと諦めたけど、あっ、蜘蛛が一匹私の着物に這い上ってきた、まるで貴方が来るかのように、だからもうちょっと待ってみよう」) 7.19

 

 (橋本多佳子『海燕』、句集の最初に「昭和十年以前」と分類の前書、1926年から俳句を始めた作者1899~1963の初期の句、葛の花が咲いている中をぐんぐん歩いている作者、茎がはじけて露が「とびかかる」ように私に向かってくる) 7.20

 

  • 雲の峰祭の夜をうつくしく

 (飯田龍太『百戸の谿』、「昭和二十年以前」と前書にあり、作者1920~2007の初期の句、まだ宵の口だろう、美しい夕焼けになっている「雲の峰」、その夕焼けが、ふもとの村祭りを一層うつくしいものにしている、今年は各地の祭りは中止か) 7.21

 

  • 妹とゐて俳諧の夏たのしけれ

 (山口誓子1928、誓子1901~94が27歳の時の句、その年10月に結婚したから、「妹」とは婚約中か、俳句は短歌と違って「愛」を詠むのはむずかしいが、誓子にもこういう句がある、しかし何だか説明的で、名句とはいえない) 7.22

 

  • 田舎馬車乘りおくれたる螢かな

 (虚子1903、当時の「田舎」にはまだ馬車が使われていたのだろう、「夜、止まっていた馬車が動き出すと、そこに螢が浮かんでいた、やぁ、螢くん、乘り遅れたのかい」) 7.23

 

  • あかるさや蝸牛かたくかたくねむる

 (中村草田男『長子』1936、「夜が明けて明るくなったよ、ん、そこにカタツムリがいる、でも動かない、まだ「かたくかたくねむって」いるのかな」) 7.24

 

  • 携帯メール打つとき思ふ縦書きに愛をささやく女男(めを)減りをらむ

 (佐藤モニカ『夏の領域』2018、携帯メールで「愛をささやく」とき、たいがいは横書きだろう、だが縦書きメールも可能なのか? それとも、ラブレターを便箋に書いた頃のことなのか) 7.25

 

  • 娘とは腕組むこともなきままに来たこと今に思いいたりぬ

 (竹村公作『歌壇』2018年2月号、娘の結婚式で、娘と腕を組んでバージンロードを歩いている作者、「そういえば、娘と腕を組んで歩いたことって、今までなかったな」と一瞬感慨が、でも、まぁ、父親って普通そういうものでしょう) 7.26

 

  • 玄関でおかあさあんとわれを呼ぶ給食袋を忘れたように

 (中川佐和子『花桃の木だから』2017、作者の娘の結婚式の前後の歌、なにかで娘がちょっと駆け戻ってきて、玄関で「おかあさあん」と大声で呼んだ、小学生のときと同じように。娘の結婚は母にとってはとても寂しい) 7.27

 

  • 奔馬結核により死す」とあり作家の見し夢駆けつづけゐむ

 (栗木京子『南の窓から』2017、樋口一葉は24歳で死去、死因は「奔馬結核」、急激に悪化するタイプの結核を当時そう呼んだらしい、人生最後の14か月を「奔馬」のように創作に駆け抜けた彼女にふさわしい病名) 7.28

 

  • 白芙蓉暁けの明星らんらんと

 (川端茅舎、「明けの明星が「らんらんと」輝いている、夜明けはまだ暗い、だが、その暗さの中に真っ白な白芙蓉の花がはっきりと浮かび上がった」、我が家の近所でも芙蓉が美しく咲いている、芙蓉は秋の季語) 7.29

 

  • 祭笠いただき栄(は)えてわたし守

 (水原秋櫻子『葛飾』1930、「多摩川の夏」と前書、「そうか、今日はこのあたりの祭りなんだ、多摩川渡し船の船頭さんも、きれいな飾りを付けた笠をかぶって、嬉しそうにしているよ」) 7.30

 

  • 冷奴隣に灯(あかり)先んじて

 (石田波郷『風切』、1942年の句、波郷は29歳、新婚直後だと思われる、つつましい暮らしだったのだろう、妻と二人の夕食、「ひややっこ」を食べるのがうれしい、いつもはほぼ一緒に「灯りがつく」隣家より一足早く夕食にしよう) 7.31