[オペラ] グラス 《サティアグラハ》

[オペラ] グラス《サティアグラハ》 METライブ  東劇 8月18日

(写真は舞台、アリアも合唱も、全篇「バガヴァッド・ギーター」がサンスクリット語で歌われ、意味は英語字幕で)

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珍しいオペラを見た。東劇のアンコール上映、2011年MET上演の映像。フィリップ・グラス1937~が1980年に作曲した作品で、マハトマ・ガンジーの生涯を描いた政治劇。「サティアグラハ」というのは、サンスクリット語で「真理の把握」という意味で、ガンジー自身が自らのインド移民救済運動をこう呼んだ。オペラのリブレットは「バガヴァッド・ギーター」から採られており、歌はサンスクリット語ガンジーは23歳のとき、弁護士として南アフリカに行き21年間滞在、インド系移民の救済運動を指導し、非暴力の大規模な抵抗運動を創出した(運動を導く新聞の刊行、登録証の集団焼き捨て、大デモ行進、大量逮捕させて刑務所をパンクさせる等々)。この運動はその後、彼がインド帰国後の独立運動の原型になったもので、さらにはアメリカのキング牧師公民権運動にも継承された。その全体が、一大叙事詩としてオペラで表現されている。科白は極端に少ないが、舞台のそれぞれの局面で何が起こっているのかは分る。(写真↓は登録証を焼き捨てるガンジー、そして後はキング牧師か)

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音楽は現代音楽で、旋律は通奏低音のように繰返し反復され、大きな輪がゆっくり回転しながら上昇していくような印象を受ける。アリアも合唱も、全編が讃美歌を歌い続けているようで、私は、ガンジーがすべて暗記していたとされる「バガヴァッド・ギーター」がこんなにすばらしい言葉に溢れているとは知らなかった(ヒンドゥー教の聖書なのだから当然だが)。「バガヴァッド・ギーター」が詩となり歌となって、人種差別からの解放運動に生き生きとした魂を吹き込む。「非なる者を倒そう、ふたたび<善>をその座につかせるために」「さあ、憎しみ合いはやめて、愛をもって報いよう」「敵にも味方にも、尊敬にも軽蔑にも、平等であろう」「さあ賢者よ、立ち上がり、行動しよう」・・・。私には、このオペラの音楽は、アメリカのプロテストソング「We shall overcome」のように聞こえた。全編が讃美歌のようでありながら、個々の歴史的事象、政治的事象はきちんと表現されている。当時の南アではヨーロッパ系移民が一級市民で、インド系移民は二級市民として蔑まれた。ガンジーは新聞「インディアン・オピニオン」を発行して、分断されていたインド系移民を団結させた。どちらの移民もそれぞれの新聞を読み、それがそれぞれのアイデンティティを作り出す。まさにアンダーソン『想像の共同体』そのものの舞台だ。本作では新聞の存在が強調され、明らかに「言葉の力」が全体の主題になっている。本作によれば、この時期のガンジートルストイと文通があり、またタゴールとも知り合っていた。人間を自由にする言葉こそ、彼の人生の主題でもある。(写真↓上は、ヨーロッパ系移民たち、彼らは自分たちの新聞を読み、ガンジーをいじめる、下は対抗して刊行される「インディアン・オピニオン」、壁の窓にいるのはタゴール)

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 このオペラ『サティアグラハ』は、オペラという表現様式がホメロス叙事詩イリアス』のような表現の力を持っており、芸術の根源を示しているように私には感じられた。つまり、言葉がその真の力を発揮するのは、論理的に説得するときではなく、詩となり音楽となって、人々の心に共感を生み出すときなのだ。人が感情によって結びつくことができるのは、何とすばらしいことだろう! 『魔笛』のタミーノの笛が動物たちを優雅なダンスに誘い、パパゲーノの鳴らすグロッケンシュピールが追っ手たちを「ラララ・・」と歌い出させたように、言葉が音楽となった時、それは人々を憎しみと敵対から解放し、和解と愛をもたらす。『サティアグラハ』はそれを身を以て示す傑作だ。

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 4分半の動画が。

https://www.youtube.com/watch?v=PCGmbzRz9Ws