[演劇] 長田育恵『ゲルニカ』

[演劇] 長田育恵『ゲルニカ』 パルコ劇場 9月8日

(写真上は↓、スペイン内戦を取材に来たジャーナリストのクリフ(中央)とレイチェル(右)、下は、ゲルニカ市旧領主の娘で主人公サラ(中央))

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長田育恵は、あまりにも素晴らしかった『海越えの花たち』(2018)に次いで、観るのはこれが二作目。二作ともよく似ている。どちらも、戦争で二重三重に引き裂かれ、憎しみと敵対の中に置かれた家族や恋人たちが、憎しみと復讐を再生産せずに、和解と愛を再生しようと、もがき苦しむ姿を、深い共感をもって描いている。この主題は、演劇という芸術が表現すべき本来的な主題であり(『アンティゴネ』や『リア王』がそうであるように)、このような作品を書く長田のような劇作家がいることは嬉しい(とはいえ筋立ては難解だが、演出の栗山民也との共作なのか)。今回の『ゲルニカ』も力作だが、私の感想を言えば、あまりにも悲しい結末なので、僅かでもよいから「希望」を見せてほしかった。ただし、私の注意力が足りないためか(座席も最後列二番目で声も聴き取りにくい、特にレイチェル)、終幕の直前、レイチェルが何をしたのか分らず、一番大事なシーンがよく分らなかった。(写真下は、ジプシー出身の女中ルイサを鞭打つサラの母マリア、だが実は、子供の出来なかったマリアに代わって領主の子を生んだのは女中のルイサであるが、サラは本当の母親がルイサであることを知らない、ルイサはこの後、「難民」にいたぶられて殺される、その下はサラ(上白石萌歌)、彼女はわずか9か月の間に深窓の令嬢であった少女から、愛の主体としての一人の女性に成長する。ジュリエットのように)

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ゲルニカ』は、1937年4月26日のドイツ軍によるゲルニカ空爆までの9ヵ月間を、ゲルニカ市の旧領主の娘サラの生活を中心に描いたもので、そこに国際ジャーナリストのクリフとレイチェルの二人がスペイン内戦を取材する過程が副筋のようにからまっている。まず『ゲルニカ』は人々が引き裂かれる対立の構図が半端ではない。1936年のスペイン人民戦線内閣の誕生(1931に王政が倒れて共和国に)とフランコによる軍のクーデターと内戦、中世以来一貫して平和に統治されてきたバスクとスペインとの対立、スペイン大司教ゴマはフランコの反乱軍を直ちに支持し、スペインカトリック教会が急速に反動化したこと、そして連合国と枢軸国の対立、つまりナチスドイツがフランコ軍を応援したのに対して、共和国軍には連合国側の支援がないこと(共和国軍に参加したのはマルロー、ヴェイユオーウェルなど文化人で、またピカソはスペインに戻り「ゲルニカ」を描いた)。さらに、旧領主だったサラの一家と使用人たちとの階級対立、また何より重要なのは、内戦によって周囲からバスク流入した難民とバスク古来の住民との対立(まさに現代的)。そして、これだけの多重の対立に引き裂かれていく人々が、非常に丁寧に人物造形されている。特に、バチカンからバスクに派遣された神父パストールや、数学者志望の学生でドイツ側のスパイになるイグナシオ(サラは彼の子を妊娠する)、そして内戦で苦しむ人への同情など微塵ももたずジャーナリストとして手柄を立てることしか考えない特派員クリフ。人々の分裂が多重で深いぶんだけ、皆がそれぞれ個性的での自分の顔をもっている。(写真下は、国際特派員クリフとレイチェル、彼らも内戦の取材体験を通じて自己変容を遂げ、それは本作の重要な要素なのだが、私は理解が追い付かなかった)

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クリフは実在のモデルがあり、『ザ・タイムズ』紙の特派員のジョージ・スティア(彼は少し後に、アジアのビルマ戦線取材で事故死)。スティアは、ゲルニカ爆撃が軍事目標ではなく市民の無差別虐殺であるというレポートを送り、ゲルニカが世界に知られるきっかけを作った。それはピカソゲルニカ制作にも繋がる重要な報告であり、スペイン内戦は、写真家キャパでも知られるように、世界中のジャーナリストが取材に集まり、戦争報道の戦場でもあった。この劇では、自分の功名心しかなかったクリフが、最後にゲルニカ爆撃を正確に伝えた。そしてレイチェルも新しい行動をした(仕事を捨てて母性を選んだ?)。これが、劇『ゲルニカ』に僅かに見られる「希望」と「救い」なのであろう。だが、爆撃の前日、ドイツのスパイとなったイグナシオから「ここから逃げろ!」と何度も言われたサラは、なぜ逃げずに爆撃で死んでしまったのだろう。最後、レイチェルがサラの子を抱いたように見えたが、サラがイグナシオを知ったのは10月1日、ゲルニカ爆撃が4月26日で、出産は日程的に無理では?(早産の場面あるいは説明あった?) サラの死に納得できなかった私は、8階のパルコ劇場から屋外階段(コロナ対策)を地上まで降りながら、『ワルキューレ』ではブリュンヒルデが父の命令にそむいてまで、妊娠したジークリンデを救ったのに・・、等と考えていた。でもそれは奇蹟であり、やはりサラは死ななければならなかったのか。(写真下は、共和国側についたサラの婚約者で、お坊ちゃまのテオ、彼はフランコ軍に加わるが、銃に不慣れでうまく撃てなかったために、出合いがしらに瞬時の差でイグナシオに殺された。二人ともバスクの若者で、内戦さえなければこんなことには・)。

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46秒の動画が↓。

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