[演劇] 大池容子作、うさぎストライプ『あたらしい朝』

[演劇] 大池容子作、うさぎストライプ『あたらしい朝』 アトリエ春風舎 10月28日

(写真は↓、スケッチブックを掲げてヒッチハイクする女を車内から見つけた主人公たち、その下は、ドライブする若い夫婦、二人に愛はあるのだが、何となくすれ違いがち)

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大池容子の作品は、『バージン・ブルース』『空想科学Ⅱ』『ハイライト』と見てきたが、どれも傑作。本作は、コロナ禍でも何とか演劇を再開しようと、急いで書かれたのだろう。全50分の小品だが、『ハイライト』とよく似た、いかにも大池らしい作品だ。夫婦や恋人であっても、愛のテンションがあがらずに、どこか寂しさをかかえている若者たち。本作では、それがぐっと前景化している。隣席に妻を乗せてドライブしている夫は、最近、妻の心が少しずつ離れていくように感じているが、今日たまたま、寂しい道端でヒッチハイクを求めて立っている女を妻が見つけ、絶対に乗せようと言うので、いやいやながら乗せてしまう。その女は妻と同じ27歳で、同じ東京・深川出身であることが分り、二人は急速に親しくなって、二人だけで旅行することになる。隣席の夫のことを妻は、「この人は運転手だから、いない人物と考えていいのよ」と言い、夫の存在は無視される。そして妻と女は旅行に行った途端、時間と空間がワープして、気が付くと、いつの間にか夫も含めた三人がイタリアに向かう航空機に乗っている↓。

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大池の劇作はすべて、時空をワープさせてシュールな場に恋人たちを投げ込むが、本作は短いながら、それが巧みに設定されている。イタリア見物するうちに、別の女や男がバスの車内に乗り込んできて、これは夢なのか現実なのか、本当にイタリアに来ているのかどうかも怪しくなってしまう(写真下↓)。しかしその過程で、妻もまた大きな寂しさを抱えていること、最初にヒッチハイクで車に乗り込んできた女は、妻の母の若い時の幻影だったらしいこと(妻と母は仲が悪かったので和解したいのか)、そして、新しく現われた男も孤独で寂しさを抱えていること、などが分かってくる。そう、誰もが、愛のテンションの低さに、どこか満たされない思いがあって、明るく振る舞ってはいても、孤独を内包しているのだ。本作では、彼らがペストマスク(中世のペスト禍のとき、治療する医師が被った鳥の顔の形のマスク)を被っているシーンが何回かある(↓)。おそらくこれは、眼前にいる他者との絆が断たれていることの象徴なのだろう(死者の比喩?)。そしてもちろんコロナ禍においても。

 しかし一方では、誰もが、自分たちのすっかり小さくなってしまった愛の炎を、消えてしまわないように、何とか大切に盛り立てようとしている。そして、彼らはまた新しいドライブへと出発する「あたらしい朝」で終幕。現代の若者の恋は、ブロンテ姉妹が描いたような激しく燃え上がる炎ではなく、ちいさな蝋燭の炎が何とか消えずにいるようなもので、しかしそれでも恋人たちは、その小さな炎を消さないように、必死に盛り立てようとあがいている。それは少し悲しいけれど、見えないくらい小さな宝石がそれでもキラリと光るように、どこまでも美しく、愛おしい。 それをシュールな不条理劇の姿で描くのが、大池の劇の魅力だと思う。

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