[今日のうた] 10月ぶん
(挿絵↓は藤原定家、百人一首で名高いが、古今集から新古今集までの八代集から好みの歌を選んだ『定家八代抄』もある、私の「今日のうた」では、『定家八代抄』から見つけた歌も多い)
- 切り株のうえに木があるように抱く 望まなくても夕暮れる空
(椛沢知世「切り株の上」、『歌壇』2019年2月号、作者1988~は第30回歌壇賞次席、切り株を見るのは悲しい、どうしてもその上にあった木の姿を思い出してしまう、だからその幻の木をそっと抱いてみる、でも日が暮れてしまった) 10.1
(押切寛子『歌壇』2018年2月号、氷見湾をめぐるクルーズ船の後を、ついてくるように飛んでいる「ゆりかもめ、カモメ、うみねこ」たち、よく似ているので私には区別がつかないが作者には分るのだ) 10.2
- うつくしくアイロン台から立ちのぼる雲になることのない水蒸気
(高山由樹子「灯台を遠く離れて」、『歌壇』2019年2月号、作者1979~は第30回歌壇賞受賞、たしかにアイロン台からのぼる水蒸気には独特の感じがある、「<雲になることのない水蒸気>という受け止め方に自分の生き方への問いかけがある」と三枝昂之氏評」) 10.3
- 木犀の香にはたと會ふ夜道かな
(鈴木康之、作者1934~は俳誌「海程」同人、モクセイは香りでまず知ることも多い、視覚にはないけれど、暗い「夜道ではたと會ふ」木犀のよい香り、我が家の金木犀も咲き出したので、二階の窓を開け、室内でも香りを楽しんでいる) 10.4
- コスモスを離れし蝶に谿(たに)深し
(水原秋櫻子『葛飾』1930、コスモスが美しい季節になった、でも、街中と山岳地域では感じがかなり違う、ふと花を離れた蝶の背後には深い谿がのぞいている)10.5
- 秋の蝶きりぎしのもといそぎつつ
(橋本多佳子1941、「北陸線親不知あたり」と詞書、停まれないので絶壁に沿って必死で飛んでいる「秋の蝶」、「いそぎつつ」と優美に詠んだ) 10.6
- 秋夕映えの真顔ばかりが揺られをり
(森澄雄1949、上京した翌年、「友人の温情により居を北大泉に得て移る、西武線車中」と詞書、西武線に乗っている勤め帰りの人たち、「真顔ばかりが揺られている」、みな疲れ切って暗い顔をしているのだろう、誰も談笑していない) 10.7
- 人々やうなづきてきく秋時雨
(水原秋櫻子、秋に入ってよく降る雨には、「時雨」と区別して「秋時雨」という季語がある、歳時記には書いていないが、秋雨前線を遠くの台風が刺激することも昔からあったはずだ、この句は「うなづきてきく」に味がある) 10.8
- 抱き起す子のあたたかな宵の秋
(飯田龍太1948、小さな子を抱いた時、親はまず何よりも子どもの体の「あたたかさ」を感じる、そのあたたかさはとても愛おしい、「秋の宵」ともなればとりわけ) 10.9
- 秋風や書かねば言葉消えやすし
(野見山朱鳥、心に浮かんだ俳句のことだろうか、パロールだけではだめでエクリにしないと消えてしまう、それを「秋風」に感じたというのが、さすが俳人) 10.10
- 仏壇に両手を合わせ目を閉じる二十歳の彼女のファーストキス
(片山正寛・男・52歳、『ダ・ヴィンチ』短歌欄、テーマは「キス」、「二十歳のファーストキスって遅めな気がする」と穂村弘評だが、そうなのかな、今の若者は恋愛体温が低いとも言うから、私はむしろ作者の年齢が気になる) 10.11
- 小1に上がった甥がオレというオにアクセントは初心者マーク
(小野寺清子・女・29歳、『ダ・ヴィンチ』短歌欄、テーマは「男子」、「わかりやすい男子らしさ、オにアクセントはオレの初心者マークって捉え方が鋭い」、と穂村弘評) 10.12
- いつまでも お前を好きだと思うなよ 縄文時代の話をすんな
(さこ・女・21歳、『ダ・ヴィンチ』短歌欄、テーマは「女子」、「男子と女子では時間の流れ方が違うんだ。男子は「いつまでも」好きと思いがち。まさか、縄文時代の話になっていたとは」、と穂村弘評) 10.13
- どこにでもいける、からかな、ここにいる、遺構のごとき夜の鞦韆(しゅうせん)
(石原健「東京新聞歌壇」10月11日、東直子選、コロナ禍でも、いろいろな場所へ行こうと思えば行けるようになったからこそ分ったのか、「遺構のごとき」夜の公園のブランコが、自分の一番好きな場所だったことが) 10.14
- 僕ならばエリスを捨てたりしませんと令和の生徒は迷わずに言う
(塩田直也「朝日歌壇」10月11日、馬場あき子選、『舞姫』の「主人公への気概に満ちた生徒の発言が爽やか」と選者評、もしこれが現代の男子の標準的な感性(読後感)だとしたら、日本もずいぶんまともな時代になったと言えるのだが) 10.15
- 露の世と思ひ逆らはざることに
(今村征一「朝日俳壇」10月11日、選者二人が採った句、「「露の世は露の世ながらさりながら」一茶、やはり逆らわざるべきか」長谷川櫂評、「露のようにはかないこの世、せめて天寿を全うしたい」大串章評、だが「運命に逆らわない」とはどういうことか難しい) 10.16
- ゆつくりと言葉さがして林檎剥く
(戸田鮎子「東京新聞俳壇」石田郷子選、作者は、何か怒ることがあって、怒りを鎮めようとしているのだろうか、だから林檎を剥きながら「言葉をさがしている」のか、「りんご」は秋の季語) 10.17
- 秋深き隣は何をする人ぞ
(芭蕉1694、芭蕉の死去は10月12日、最期の句「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」は10月9日、その一つ前の句がこれ、たぶん数日前だろう、大阪泊りの芭蕉は「隣の人」に面識はない、物音一つしない隣家、その深い静寂に、人生の究極の孤独が) 10.18
- 落穂拾ひ日あたる方(かた)へあゆみ行(ゆく)
(蕪村1773、稲を刈り取った後の寂しい田んぼ、農夫が一人深くかがみ込んで、落穂をたんねんに拾っている、そのゆっくりとした動きが、向こうの日の当たっている明るい場所に少しずつ近づいてゆく) 10.21
- また人にかけ抜かれけり秋の暮
(一茶1806、一茶は44歳、定職もなく貧乏で結婚もまだ、人生の「勝ち組」とは言えない、そのことがつねに意識にあったのだろう、たまたま道で誰かに追い越されても、ビクッとして、いじけてしまう) 10.22
- 秋はただ夕(ゆふべ)の雲のけしきこそその事となく眺められけり
(式子内親王、「秋といえば、夕暮れの雲の様子がいちばん美しい、特にどこがどうということがなくて眺められるから」、ある注釈によれば、「夕べの雲」には「火葬の煙」のイメージもあるという) 10.23
- 数ならぬ心のとがになしはてじ知らせてこそは身をも恨みめ
(西行法師『新古今』、「貴女を愛してしまったことを、ものの数に入らぬ愚かな自分の心の過ちとは思いません、こうして貴女に告白します、そうしてこそ、たとえこの恋が叶わなかったとしても自分を恨むことができます」、やっと告白を決意) 10.24
- 新小田(あらをだ)をあら鋤(す)き返し返しても人の心を見てこそやまめ
(よみ人しらず『古今集』巻15、「なかなか心を開いてくれない貴女よ、僕は、荒れ地を新たに開墾した固い田を、何度も何度も力いっぱい鋤き返すように、貴女の心に訴えます、それでも心を開いてくれないのなら、諦めましょう」) 10.25
- ねもころに片思(かたもひ)すれかこのころの我が心どの生けりともなき
(よみ人しらず『万葉集』巻11、「いつもいつもひたすら貴方に片想いしているからでしょうか、ああ、もうこの頃の私の心は、とても自分が生きている感じがしません」) 10.26
- 人形は淡く微笑む抱かれたら抱かれたままに歪む体で
(道券はな『角川短歌』2020年11月、作者1993~は第66回角川短歌賞受賞、彼氏と一緒に人形展に行き、見ているうちに生身の自分の体が人形のように思えてきた、その倒錯を詠んだ面白い一連の歌が並ぶ、この歌も自分に擬しているのか) 10.27
- 容量を超えないように人間をえらびえらばれ付き合ってゆく
(廣間菜月『角川短歌』2020年11月、第66回角川短歌賞佳作、作者2000~は大学生、失恋したあと、しばらくして新しい彼氏ができた、彼もまた失恋した後らしい、「似た者同士」慎重に付き合おうねと、静かな恋が始まる) 10.28
- 真っ直ぐに伸びる飛行機雲がある 窓を見ながらユズは吹いてる
(折田日々希『角川短歌』2020年11月、第66回角川短歌賞佳作、作者2000~の高校時代、吹奏楽部の合宿で全員が熱心に練習に明け暮れる、作者はサックスを吹き、女生徒「ユズ」もすぐ横で吹いている) 10.29
- トルコからシリアに向かう検問の事務所にかかるルノワールの絵
(田中翠香『角川短歌』2020年11月、作者1993~は第66回角川短歌賞受賞、シリアを取材したジャーナリストの目になって、内戦の街を詠む、空爆で女も子供もたくさん殺されているのに、まったく場違いな絵が検問所に) 10.30
(小早川翠『角川短歌』2020年11月、第66回角川短歌賞佳作、作者1985~はIT技術者か、日本神話と最先端のコンピュータ技術が重なる、「神奈備」は神の座す山や森、「petabyte」は1024テラバイト、「デヴァイス」はコンピュータ機器) 10.31