今日のうた (115)

[今日のうた] 11月ぶん

 

  • まぶしいと言えないままにすぎてゆく日々へわたしを運ぶ地下鉄

 (高山由樹子「灯台を遠く離れて」、『歌壇』2019年2月号、作者1979~は第30回歌壇賞受賞、通勤途上の地下鉄車内で揺られているのか、もうすぐ駅に着いて明るい地上に出るはずだが、最近の仕事を思うと暗い気持ちに) 11.1

 

  • 地に降りるまえに身体を縦にするすべての鳩は脚を揃えて

 (椛沢知世「切り株の上」、『歌壇』2019年2月号、作者1988~は第30回歌壇賞次席、飛んできたハトは地に降りるとき、ぐっと足を延ばして突っ張る独特の体勢を取る、ひょっとして、仕事の成果を一つ提出する自分の姿に重なるのか) 11.2

 

  • ごめんねという風もあり芒原

 (柳本々々「東京新聞俳壇」11月1日、石田郷子選、「ごめんねという風とはどんな風だろうか。芒の穂がちょっとうなづくような風か。そんな想像をしているとさまざまにそよぐ芒原が見えてくる」と選者評、なるほど) 11.3

 

  • 冬らしき冬との予報ふと安堵

 (中嶋陽太「朝日俳壇」11月1日、稲畑汀子選、「冬らしい冬になるという予報に安堵する作者。心構えが万全である」と選者評、最近は気候変動のせいか、季節の中味が微妙に狂ったように感じられることも多い) 11.4

 

  • 掛け時計を取り外しても幾度となく薄い影を見上げるような日々

 (瀬戸口祐子「東京新聞歌壇」11月1日、東直子選、「もうそこにないのに長年の癖で掛け時計のあった場所をつい見上げてしまう。その瞬間、時計は存在している。命の記憶の喩としても響く」と選者評) 11.5

 

  • 「わかるよ」と軽く言はれてつまらなくなつた気のする僕のかなしみ

 (佐々木義幸「朝日歌壇」11月1日、永田和宏・馬場あき子選、「悲しみは誰かにわかってほしいと思う半面、わかるよなどと簡単に言って欲しくはない」永田評、「よく経験するわかってくれる友人への複雑な心理」馬場評) 11.6

 

  • 有明は思ひ出(い)であれや横雲のただよはれつるしののめの空

 (西行『新古今』巻13、「後朝の朝にまだ月が残っているのは、いいなあ、前にも思い出があるんだ、あのときは、夜明けの空に横雲がただよっていた、だから僕もぐずぐずとなかなか帰らなかった」、作者の出家前の恋の回想か) 11.7

 

  • 秋風にあふ田の実こそ悲しけれわが身空しくなりぬと思へば

 (小野小町古今集』巻15、「ああ、秋の強い風に、田に実った稲の実があんなに吹きまくられているのは、何て悲しい光景でしょう、まるで、貴方に飽きられて棄てられた私の苦しみを見ているようだわ」) 11.8

 

  • 吹き結ぶ露も涙もひとつにてをさえがたきは秋の夕暮

 (式子内親王『家集』、「秋の夕暮はなんて悲しいのでしょう、強い風に吹かれた水が玉となって露が結んでいる、抑えがたく涙が溢れて、露と一つになってしまったかのように」) 11.9

 

  • 待つらむに至らば妹が嬉しみと笑まむ姿を行きてはや見む

 (よみ人しらず『万葉集』巻11、「君は僕を、まだかまだかと待っているよね、僕が君の家に着いたときの、君のあの嬉しそうに微笑む姿、ああ、早く見たいよ見たいよ!」) 11.10

 

  • 北しぐれ野菊の土はぬれずある

 (橋本多佳子、京都の醍醐寺で詠んだ句、地元の人が「北しぐれ」と呼ぶ初冬の雨、さっと降ってすぐ止んだのだろう、「野菊の土はぬれずある」がいい、今日は立冬)  11.11

 

  • 燭寒し身も世も愛の濃かれども

 (飯田龍太1947、27歳の作者は、山梨県の山村・境川村で、小さな長女や蛇笏ら両親とひっそりと暮す(=「愛は濃い」)、そうした中、長兄に続いて三兄の戦死の報も届く、「室内の明りも寒く感じる」冬) 11.12

 

  • つひに吾れも枯野のとほき樹となるか

 (野見山朱鳥、作者は、結核で療養している日々の多い人生だった、これは最晩年の句、ベッドに横たわりながら死が意識される、枯野の「とほき樹」を見ているのは自分だろうか、それとも後に残された人々か) 11.13

 

  • 視界ゼロの霧のむこうに誰かいて排卵のようなさよならをいう

 (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010、面白い歌だ、ニワトリとは違って人間の排卵はもちろん見えないし、本人にも分らない、霧の向こうに誰か女性がいて、ニワトリが卵を産むように、「さよなら」と大きな声が押し出されたのか、それとも、ほとんど聞こえないくらいの小さな声がしたのか) 11.14

 

  • 運転中眠くなったら両親の本気のキスを想像してみる

 (田島晴『ダ・ヴィンチ』短歌欄、「衝撃的な一首。うわっ、となって目が覚める。気持ち悪くて。「本気の」が効果的」と穂村弘評、「両親の本気のキス」を目撃してショックを受けたのは、子供の頃か、それとも高校生くらいなのか) 11.15

 

  • サザエさん』の時間に少し愛し合うとっても不思議な日曜だった

 (柳本々々・男34歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、「「サザエさん」の世界には愛し合う成分はゼロなんじゃないか。だから、その画面を見ながら「愛し合う」自分たちが不思議な生き物のように感じられるんだろう」と穂村弘評) 11.18

 

  • 目薬をさす君のからだが無防備になる瞬間に恋に落ちたよ

 (大西ひとみ・女・51歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、若い人の歌ではない、作者は51歳の女性、「君」は何歳くらいの男性だろう、それとも夫に向かって遠い昔のことを語っているのか) 11.19

 

  • 掘りごたつに足をぶら下げ合っている打ち上げ 遠い人ほど笑う

 (鈴木晴香・女・34歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、「いつも遠い方の席の方が盛り上がっている、感じがする」と作者コメント、打ち上げでそういうことはある、自分や並びは、ただ静かに「足をぶら下げ合っている」だけ) 11.20

 

  • 風になびく富士の煙(けぶり)の空に消えて行方も知らぬわが思ひかな

 (西行『新古今』巻17、「風になびく富士の煙が虚空に消えて行方が分からないように、恋が終わってしまった今、私の貴女への思いはいったいどこに行けばよいのでしょう」) 11.21

 

 (虚子1893、虚子19歳のときの句、「吉田虚桐庵」と前書があり、当時京都の三高に在籍していた虚子は河東碧梧桐と仲良しで、一緒に住む下宿を「虚桐庵」と称していた、もっとも初期のこの句も、ゆったりと柄の大きないかにも虚子らしい句) 11.22

 

  • 夕焼けて寒鮒釣も堰の景

 (水原秋櫻子『葛飾』1930、夕焼けを背景にして、堰全体が黒いシルエットのように見えるのか、ぽつんぽつんと「寒ぶな釣り」の人の影が黒くまばらに並んでいる、あるいは夕焼けの光が明るく当たっている釣り人の背中を見ているのか、いずれにしても「堰の景」となっている) 11.23

 

  • 月光の壁に汽車来る光かな

 (中村草田男『長子』1936、消灯した後の室内か、カーテンが薄く、窓から入る月光によってかすかに光っていた壁が、ちょうど通った汽車の光でぐっと明るくなった、今でも、自動車のヘッドライトが当たってこうなることはよくある) 11.24

 

  • しぐれきて仏体は木に還りける

 (加藤楸邨『寒雷』1939、「飛鳥仏」と前書、しかも前の句によると、夜に懐中電灯を当てて見ている、素朴な木彫りの仏像が少し雨の当たる位置に置かれているのか、古い仏像なので、時雨に濡れてただの木に見える) 11.25

 

  • 秋没日(いりひ)美しき顔しかめつゝ

 (山口誓子『晩刻』1946、せっかくの美しい秋の日没なのに、連れの女性は「美しい顔をしかめている」?、もちろん理由はいろいろありうるだろう、11月末から12月初頭にかけてが、日没時間が一番早いという、冬至よりも早く日が暮れる) 11.26

 

  • 枯野行く美人をしばし眺めたり

 (永田耕衣1948『驢鳴集』、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」(芭蕉)、「大とこ[=高僧]の糞ひりおはす枯野かな」(蕪村)以来、「枯野」はたくさん詠まれてきたが、「美人」と取り合せたこの句は名句、異色の要素の取り合わせこそ俳句の生命だから) 11.27

 

  • 夜業人(やぎょうびと)に調帯(ベルト)たわたわたわたわす

 (阿波野青畝1934『國原』、「調帯[しらべおび]とは、工場などで機械の一方の軸から他の機械の軸へ動力を伝えるベルト、いかにも昔の町工場らしい光景、「ベルトたわたわ/たわたわす」という7・5の調べも快い) 11.28

 

  • 置きざりにして来りけるものありと思ひいづれば京の夢ひとつ

 (斎藤茂吉『つきかげ』、1948年秋、64歳の茂吉は京都から山陰に旅し、東京に帰宅して詠んだ歌、旅のあと何か置き忘れてきたような気がするが、それは、思い出してみれば、京都で見た夢だったと気づいた) 11.29

 

  • しづかなる水平線をさかひとし海より遠きそらの夕雲

 (佐藤佐太郎1976『天眼』、水平線は、空と海が「そこで出合っている」線だけれど、たぶんそこにおける空は海よりもずっと遠くが見えているはず、その遠近を佐太郎は「海より遠き空の夕雲」と詠んだ) 11.30