[演劇] 長田育恵/瀬戸山美咲『幸福論―現代能楽集Ⅹ』

[演劇] 長田育恵/瀬戸山美咲『幸福論―現代能楽集Ⅹ』 シアター・トラム 12月8日

(写真↓は、『隅田川』終幕、左から、母になれない女、息子が自殺した老女、赤ん坊を産んで捨てた少女、三人が、少女の死んだ赤ん坊を追悼し、隅田川に祈る。その下は『道成寺』、エリートの青年と両親、三人とも、青年が捨てた少女に焼き殺される)

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能を現代演劇化した二次創作で、『隅田川』を長田育恵が、『道成寺』を瀬戸山美咲がそれぞれ劇作し、瀬戸山美咲が両方を演出。能は、その強い様式性(能面をつける、科白の少なさ、舞いによる表現)と、表現の抽象性ゆえに、あれほどの強い感情を舞台で表現できるわけだが、それを現代演劇化するならば、様式性や抽象性に頼れないので、内容の具体性だけで勝負しなければならない。つまり物語の細部を、新たに作らなければならないのだ。三島由紀夫の「近代能楽集」など、どこか「わざとらしさ」があって、失敗作だと私は思っているが、この二作は、意欲的な実験作として評価できるだろう。キャラクターを増やし、相当違った話になっているが、それでも『隅田川』や『道成寺』が表現しようとした感情を表現できていると思う。長田版『道成寺』は分かりやすく、男性の歪んだ欲望の犠牲となった女性が、男性に復讐するという主題が尖鋭に表現されている。私には、男の女への愛の欲望は、ラカンの言う「ファロス中心主義」つまり「相手を支配したい欲望」であり、それに女が抵抗している、ように見えた。傲慢なエリートの学生(東大医学部学生?)には、東大生を批判した「彼女は頭が悪いから」や今年の芥川賞破局』などと似たモチーフを感じた。ただ、主人公の学生の母が夫に復讐する話は、ややその動機が弱いように感じた。あと、冒頭の、主人公の学生が巫女を殺して「檻」が吊り上がる場面は、能の冒頭シーンの、巨大な鐘をつるす場面をなぞらえているのだろうが、繋がりがわからなかった。(写真↓は、たんに「支配したい」という欲望からのみ少女に「愛の欲望」を持つ青年、彼は両親ともども、少女に焼き殺される)

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隅田川』は、能の原作が、暗く、救いのない話であるのに対して、最後にかすかな希望を挿入したのがよいと思う。原作では、息子の梅若丸を失い狂女となった一人の母を、本作では、少女を取り調べる家裁調査官の女、息子が自殺した老女、子供を産んで捨ててしまった少女という、三人の女にキャラを分担させている。三人に増えることによってかえって強化された契機もあり、本作は、子供が生まれてくることが人間にとって最大の希望であり救いであるという、原作にはなかった契機を、長田は付け加えているのだろうか。また、原作では、隅田川の渡しが、京都から来た狂女に対して「面白く狂ってみせたら、渡し船に乗せてやろう」と言うところが衝撃的なのだが、本作では、生活保護を受けてやっと生きている老女に対して、彼女を世話するヘルパーの女が「都合のいいときだけ、呆けてみせちゃってさ」とか言って意地悪をするシーンがそれに対応するのだろうか。それにはヘルパーの女をもっと意地悪に造形する必要があると思う。あと、少女が妊娠して出産する理由と必然性があまり示されていないように感じた。(写真↓左は、生殖補助治療を受けながら妊娠せず、その苦しみを負いながら少女を取り調べる家裁調査官の女)

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