[美術展] ホキ美術館ベストコレクション展

[美術展] ホキ美術館ベストコレクション展 千葉・ホキ美術館 12月21日

(写真↓は、渡抜亮「照らされた影」2010)

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 キケロは「人間にとって人間以上に美しく見えるものはない」(『神々の本性について』)と言った。ホキ美術館の絵を見るのは今年の6月以来、これが三度目だが、すばらしい風景画、静物画がたくさんある中で、私はどうしても人物画に惹かれる。今回の展示で初めて見た絵の中から、心惹かれた絵を何枚か挙げてみたい。渡抜亮1981~はドイツでファン・エイクの祭壇画を研究模写してきた人らしいが(「照らされた影」という絵の題名は、ヘーゲルの著作から採ったという)、彼の描く少女は、映画女優やファッションモデルのような美しさではなく、それが存在するだけでもうすでに十分に美しい、そういう美しさだと思う。ということは、現実に存在するすべての少女が、渡抜亮のような視線によって発見されるならば、誰もがこのように美しい表情を持ちうるはずだ。アリストテレスは、芸術の本質は「再現(ミメーシス)」であり、現実に存在する人間を、歴史学は現実態として再現するが、芸術は、「必然性のある可能態として」再現するのだと言う(『詩学』)。写真が、どちらかというと現実を現実態として再現するのに対して、絵画は、現実を「必然性のある可能態」として再現するのだと思う。(下も↓今回見た渡抜亮の絵)

f:id:charis:20201222021303j:plain絵画の窓

f:id:charis:20140518183753j:plainスペキエース

 下に貼った↓、最新の作である、三重野慶「僕が見ているあなたをあなたは見れない」(2020)、藤田貴也「台の上に立つ人物」(2020)も、惹かれるものがある。三重野の描く女性は、目がすばらしいというか、絵を見る者の心の底まで届くような視線で、こちらを見ている。藤田の描く女性は、体全体が作り出す体勢の美しさ、身体がたまたま今そのような仕方で空間を占めることによって可能になる、体の表情の美しさが感じられる。

f:id:charis:20201222021515j:plain三重野

f:id:charis:20201222021625j:plain藤田

 下は↓、若手ではなく大家のもので、野田弘志「掌を組む」(1998)。上に挙げた絵と違って、身体の衣服との調和、すなわちファッションモデル的な美しさを描いているように思われる。

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