[演劇] 三好十郎『地熱』 劇団・民藝

[演劇] 三好十郎『地熱』 劇団・民藝 紀伊國屋サザンシアター 2月8日

(写真↓は舞台、戦前の佐賀県の小さな飲み屋、中央は信州から流れてきた「渡り人夫」の留吉(神敏将)と、右端は飲み屋で働く香代(飯野遠)、香代の留吉に対する片思いに留吉は気づかない)

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三好十郎を見るのは、昨年の『殺意(ストリップショウ)』以来、これが二作目。『地熱』は1937年初演、1938年映画化、1953年再演、その後の再演はあったのだろうか。もしなければ、これが68年ぶりの再再演なのか。私は、『地熱』は非常に優れたプロレタリア演劇なのだと思う。三好自身は、1953年の再演に際して、「新派くさい芝居だと云われたが、・・・実はさうではないので、僕が前から持つてゐて、書きたいと思つてゐたものを書いたので、僕としては一生懸命書いたものなのです」と言っている(プログラムノート)。「この作品のテーマは、自分の過去であり、・・・自分が実際経験してゐながら、気づかず、そのまま通りすぎてしまふことがたくさんあります。愛情の問題など特にさうです」とも。この言葉は、直接には、留吉が香代に愛されていることに気が付かなかったことへの留吉の後悔を指しているが、同時に、佐賀の炭鉱で、苛酷な炭鉱経営者と戦おうとする労働者たちの連帯に背を向けた留吉自身の反省でもあり、さらには戦前における三好自身の微妙な「転向」についても反省しているのではないか。何しろ1937年の初演は、左翼演劇が弾圧される只中で行われたわけで、留吉を井上正夫、香代を水谷八重子、留吉の妹のお雪を岡田嘉子、そして演出は、岡田とともにソ連へ越境した杉本良吉なのだ。『地熱』初演は、日本演劇史に残る重要な出来事だったはずで、今回、宇野重吉滝沢修の系譜を引く劇団・民藝が再演したのは、そのこと自体が感慨深い。演出は田中麻衣子という若い人だが、この作品の「イデー」を全面的に表現できた、すばらしい舞台だった。『地熱』は、当時の炭鉱労働者の戦いや疲弊した農村における階級闘争を舞台にしているが、そこでの「臨時工」を現代の「非正規労働者」に、農村の不況を、グローバル化による現在の日本農業の疲弊に置き換えてみれば、驚くほど現代の光景と似ている。そして、たんに階級闘争階級闘争として描くのではなく、二組の男女のこのうえなく美しい純愛を通して描いている点が、『地熱』を演劇として卓越したものにしている。小林多喜二の「党生活者」が、男女関係の描き方に問題があり、そのことがたんに文学としてではなくプロレタリア文学をもダメにしているのと対照的に、『地熱』は、三好自身の微妙な「転向」意識にもかかわらず、優れたプロレタリア演劇であると思う。(写真↓左は、香代と留吉、右は、留吉の妹のお雪とその夫の利助)

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佐賀の飲み屋では、留吉は自分が金を溜めることだけを考えているために、香代に愛されていることに気が付かない。しかしこれは彼自身の失態ではあるのだが、留吉は故郷に残された妹と取られた農地を救うために出稼ぎ先で冷たい守銭奴になっており、そのことは周囲の誰もが知らない。労働争議階級闘争では、労働者たちが分断され、互いに対立して争うように仕向けられることが、個人間の関係性にまで及んでいるのだ。そして、めでたく二千円を持って故郷に帰った留吉は、周囲の人たちの対立ぶりに衝撃を受ける(↓)。妹の夫となっていた利助は、大資本に農地も製材所も奪われそうになり、気も狂わんばかりに荒れて、留吉と殺し合いになりかける。しかし、こうして人間性をほとんど失いかけた二人の男は、それぞれ香代とお雪という女性の愛によって、人間らしさに立ち戻り、その魂が救済される。そして香代が、優等生的で天使的な女性ではなく、酒浸りにもなるたくましい女として造形されていることが、『地熱』を優れた作品にしている。この作品の鍵は、階級闘争の只中に置かれている二組の男女の純愛を通して、貧困のために人間性を喪失しかかった二人の男が、女性の愛によって蘇生し魂を救済されることにある。私は終幕で、『ファウスト』の最後の言葉、「永遠に女性的なるもの、我らを引きて往かしむDas ewig weibliche zieht uns hinan」が脳裏をかすめた(私の感じ方はやや大袈裟かな)。

PS:1938年の映画版も見た。香代が、酒を飲みすぎる女、すねた女、暗い女として造形されていたが、この舞台のように、香代は、もっと明るく健気(けなげ)で愛嬌のある女性であるべきだと感じた。31歳の滝沢修(=志水)の目の美しさも印象的だった。

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