今日のうた(118)

[今日のうた] 2月ぶん

(写真は窪田空穂1877~1967、日常生活の情景を詠み「境涯詠」と言われた、国文学者であり早大教授をつとめた)

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  • 冬山のふかき襞かなこころの翳

 (飯田龍太1949、作者は山梨県の山村に居住している、この「冬山」は、家からすぐ見えていて、毎日親しく目にしている山だろう、だからこそ、その「ふかき襞」に自分の「こころの翳」を見る) 2.1

 

  • 暖炉たき吾子抱き主婦の心たる

 (橋本多佳子1936、作者が自分を「主婦」と詠むのは珍しい、当時、四人の娘を育てながら句作に励んでいた、「吾子」は幼児ではなくこのとき10歳の四女、末っ子なので甘えん坊だったのだろう、「母」といわず「主婦」と言ったのは夫が横にいるからか) 2.2

 

  • 家々の鼠に寒も明けにけり

 (山口誓子、「寒明けか、そういえば天井裏のネズミの動きが少し活発になったみたいだな」、「寒の明け」とは立春のこと、今年は2月3日の今日) 2.3

 

  • 雀等も人を恐れぬ國の春

 (高濱虚子1936、虚子がイギリスに旅行したときの句、「キュー・ガーデン吟行」と前書、虚子句集では「二月」の部にある、イギリスの二月は日本よりは寒いはずだが、雀が人のごく近くまでくるのが印象的だったのだろう) 2.4

 

  • 猫の舌のうすらに紅(あか)き手ざはりのこの悲しさを知りそめにけり

 (斎藤茂吉『赤光』、「うすらに紅き」猫の舌と、そのざらざらした「手ざはり」は誰でも知っているが、「この悲しさ」「知りそめにけり」が不思議、佐藤佐太郎は茂吉が「おひろ」を知ったこととの関連を推測している) 2.5

 

  • 白梅(はくばい)にまじる紅梅(こうばい)遠くにてさだかならざる色の楽しさ

 (佐藤佐太郎1977『天眼』、「遠くにてさだかならざる色の楽しさ」と詠んだのが卓越、ご近所の梅は蕾が目立ちますが、わが家の梅は不調で、ことしは蕾がわずかです) 2.6

 

  • 顔を刺すひかりを感じて目覚むれば枕元の梅みなひらきたり

 (窪田空穂『清明の節』1968、梅が咲く頃は、朝が毎日少しずつ早くなっている、「顔を刺すひかりを感じて目覚めた」ら、「枕元では」梅の花が「みなひらいて」作者の目覚めを待っていた、室内の梅も人のように光を感じている) 2.7

 

  • 白梅のひくく咲きゐる畑に来て春の光をしばし楽しむ

 (長谷川ゆりえ『長谷川ゆりえ歌集』1989、「白梅のひくく咲きゐる」がいい、少し低地にある畑の丈の低い梅の樹なのだろう、咲いた白梅をやや上から見下ろすと、一杯に咲いた白梅の上に春の光が溢れるように広がっている) 2.8

 

  • 紅梅の匂ひやさしき園に来つ匂ひは過ぎしひとしのべとぞ

 (上田三四二1963『雉』、作者は41歳で東京・清瀬結核療養所に勤務、近所に紅梅のある公園があるのだろう、この日、なぜかその「紅梅のやさしい匂い」は、すでに亡きあるひとの思い出を喚起した) 2.9

 

  • 白梅は男のやうだ寒風に見栄をはつたり困つてみたり

 (池田はるみ『婚とふろしき』2007、「白梅」の姿に「男」をみるという面白い発想、それもジェンダー規範に囚われその犠牲になった「男らしい男」をみる) 2.10

 

  • 煉炭の最終の火や兄妹

 (永田耕衣1939、「兄妹」とは作者の息子(16歳)と娘(10歳)だろう、貧しい暮らしで暖房といっても煉炭くらい、煉炭の「最終の火」で何とか体を暖めようねと、兄は妹を火鉢の一番近くにかじりつかせている) 2.11

 

  • 冬蝶のひそかにきいた雪崩の響

 (富澤赤黄男『天の狼』1941、「雪山が見える平地に、小さな冬蝶が這うように低く飛んでいるが、今、この弱々しい冬蝶が奇妙に揺れた、ひょっとして、あの冬山の雪崩の音を「ひそかにきいた」のだろうか」、山と蝶の凄い取り合せの句) 2.12

 

  • 詩のことばかすみの肌に彫られたり

 (高屋窓秋1971『ひかりの地』、地と図の反転の句、本来は「詩のことば」は散文のことばよりずっと重く、大理石に「彫られて」いる、だから「かすみの肌に彫られる」とは、眼前のかすみ自体が「ことば」=詩になって存在しているということだろう) 2.13

 

  • わが頬の枯野を剃つてをりにけり

 (渡辺白泉『白泉句集』、1968年の句だと思われる、自分の髭を「枯野」に喩えたユーモア句だが、前後には「枯野」を詠んだ句が幾つもある、そして1969年1月、白泉は突然の脳溢血の発作で急逝、「枯野」は白泉にとって何だったのだろうか) 2.14

 

  • 下町の冬あおぞらや牛乳びん

 (宮本拓「東京新聞俳壇」2月14日、小澤實選、「飲み終えて洗った牛乳瓶が玄関先に出してあるのか」と選者評、あるいは白い牛乳が入ったびんなのか、いづれにせよ外から見えるところに牛乳瓶が無造作に置かれているところが「下町らしい」) 2.15

 

  • ワンマンカー乗客ひとり山笑ふ

 (松永朔風「朝日俳壇」2月14日、稲畑汀子選、「バスの客はたった一人、運転手も一人で春の山地を行く」と選者評、バスの車内と「山笑ふ」の取り合わせがいい、山は窓の外で「笑っている」) 2.16

 

  • 卒論をプリントアウトしトントンとそろえる音のうれしい響き

 (松田梨子「朝日歌壇」2月14日、高野公彦・馬場あき子共選、「プリントされた卒論の紙を揃え、完了を確認する喜びを音とともに表現」と馬場評、内容も満足のゆく出来栄えの卒論になったのだろう) 2.17

 

  • 「特技は?」と面接官に問われれば星の名前を延々と述べ

 (嶋村純「東京新聞歌壇」2月14日、「星の名前を聞かされる面接官のぽかんとした表情が浮かぶ。社会との接触の悪さと独自の浪漫性との対比」と東直子選評、作者は天文ファンなのか、就活で星の名前を「延々と」言えるのは立派な特技) 2.18

 

  • 観覧車 恋人たちをよろこばすあれは夕焼けオルゴールです

 (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010、夕焼け空のもとで回る観覧車はとても美しい、大きな円輪を「オルゴール」にたとえたのがいい) 2.19

 

  • 梅を見て梅をわすれてもう一度梅を見るまでわすれてをりぬ

 (小池純代『梅園』2002、上田三四二の歌にもあったが、梅の花を見ることが誰かの記憶を喚起することがある、一度梅を見て、ちょっと間があいて、また梅を見たら、そしたら今までずっと忘れていたあの人が記憶に甦った) 2.20

 

  • くつしたの形てぶくろの形みな洗はれてなほ人間くさし

 (永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』2000、「くつした」も「てぶくろ」も、おろしたてはもとのしゃんとした形だが、使ううちに自分の体の形のくせがつき、洗って干すときに、洗っても「なお人間くさい」親しみが感じられる) 2.21

 

  • 腕時計のなかに銀の直角がきえてはうまれうまれてはきゆ

 (大滝和子『竹とヴィーナス』2007、秒針は1分間に短針と長針とそれぞれ2回ずつ直角になる、その他に短針と長針は1時間にそれぞれ2回ずつ直角になる、直角はめまぐるしく「きえてはうまれうまれてはいえてゆく」) 2.22

 

  • この角を曲がれば海にひらきゆく記憶に張らんわれの帆船(はんせん)

 (佐伯裕子『春の旋律』1985、港町を再訪したときには、「あの角を曲がれば海が見えるはず」という場所がある、ちょうどそこまで来たとき、「帆船が帆を張る」ように、自分の記憶も軽やかに膨らんでゆく) 2.23

 

  • 旅烏(たびがらす)古巣は梅になりにけり

 (芭蕉1685、作者は42歳、故郷の伊賀上野に一か月ほど帰ったときの句、江戸に住む自分を「旅烏」に喩え、故郷を烏の「古巣」と詠んだ、黒い烏と梅の花の赤白との対比も印象的) 2.24

 

  • 紅梅は娘住まする妻戸かな

 (杉山杉風『炭俵』、作者は芭蕉の弟子、とても面白い句、豊かな町人の屋敷だろう、娘を住まわせている部屋の「妻戸」(家の端の方にある両開きの戸)の脇に紅梅が美しく咲いている、「世が平安時代なら夜に貴族の男が訪ねてくる雰囲気だわな」と父親の感慨) 2.25

 

  • ととははやす女(め)は声若し菜摘み哥(うた)

 (服部嵐雪『虚栗』、「父さんが手拍子打って歌い出し、母さんは若々しい声で合わせて歌う、二人は歌いながら菜摘みしている、仲睦まじいご夫婦っていいね」) 2.26

 

  • 風荒れて春めくといふなにもなし

 (秋野弘、「春めく」ころは、そのような日が続かずに、翌日には急に寒い風が強く吹いたりして、厚手のコートに身をくるむことも多い、作者は戦後すぐ俳誌「馬酔木」で活躍していた人) 2.27

 

  • 春めきてものの果なる空の色

 (飯田蛇笏1953、「春めく」のを感じる時期は、場所によって違い、またその「春めき方」もさまざまだろう、山梨の山村に住む蛇笏は、周囲の山々に空が接するあたりに「春めく」のを感じ、「ものの果なる空の色」と詠んだ) 2.28