[演劇] 井上ひさし『日本人のへそ』

[演劇] 井上ひさし『日本人のへそ』 こまつ座紀伊國屋サザンH 3月10日

(写真↓は第2幕、純粋の演劇の部分、ミュージカル構成による第1幕の劇中劇を受けて、その劇中の物語が実在世界へと転換している、代議士宅の応接間)

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ひょっこりひょうたん島』で放送作家として知られていた井上ひさしの演劇初デビュー作品(1969初演)。第1幕はミュージカル構成で、東北の山奥のイモ娘が集団就職で上京、場末のストリップ劇場でストリップ嬢になり、右翼青年の彼女から代議士の二号夫人に昇りつめるまでの物語が、面白おかしく歌と踊りで表現されている。ところが実はこれは劇中劇で、吃音を治療するための音楽療法として、役者は全員が吃音症に悩む「患者」たちであり、怪しい「教授」の指導でミュージカルが上演される。なぜミュージカルかと言えば、歌を歌ったり、実の自分とは異なる虚構の人物として話す場合には、どもらないという理論がああって、それを実践しているわけだ。井上ひさし自身が吃音症だったという体験と、岩手県から上京し岩手弁と標準語で話すことの二重性に悩んだことが、この戯曲の下敷きになっている。劇を演じることによって吃音を直すという発想が、とても斬新だ。だから岩手弁のイモ娘というのはあくまで虚構で、演じるのはアメリカ人ハーフのヘレン天津という女性で、まったくイモ娘ではない小池栄子が演じているのが面白い。TVのある場面を報道していたら、突然どもってしまったという女性アナウンサーも、ミュージカルに参加して治療を受けるが、こちらは元宝塚スターの朝海ひかるが演じている。準主人公の会社員を演じているのは井上芳雄だから、やぼったく見える「どもり」をそうは見えない美男美女に演じさせている。(写真↓は第1幕、上は、イモ娘と東大出エリート会社員を演じる小池と井上、下は、同じくストリップ嬢とチンピラヤクザを演じる二人)

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第1幕のミュージカル部分はとてもいい。チープなストリップ劇場で、みな明るく楽しく踊っているのだが、どこかもの悲しく、人々の愛おしい感じがよく出ている。井上ひさし自身が最初はストリップ劇場で働き、ストリップ台本や一緒に上演するコントなどを書いていたことが、この作品が生まれた背景にある。私は唐十郎を思い出した。唐もストリップ役者出身で、どうしようもなく猥雑なものから高貴な美がスッと立ち現れるのが彼の演劇の魅力だが、井上のこのミュージカルからも、私は似たものを感じた。しかし、である。第2幕はどうなのだろうか。完全な演劇仕立てで、劇中劇という第1幕の場面が代議士の家という実在の場面に代わっている。しかし最後にドンデン返しがあり、実はそれも演劇として演じられていたことが明らかになる。それが虚構であった理由は、代議士の後援者であった右翼の大物を刺した犯人をあぶりだすために、皆が演技していたというわけ。つまり全体が、三重のメタ・シアター構造になっている。最初から全体がミステリー劇ならそれはそれで良いのだろうが、「どもり」を治そうと歌って踊る人たちの愛おしさが溢れる第1幕とは、主題的にあまり繋がらないようにも思える。いや、ゲイやレズビアンを「演じる」のは他者として話すから吃音の矯正になる、という繋がりなのか。(写真↓は第2幕、代議士の二号夫人になったイモ娘とその家の秘書を演じる、小池と朝海)

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