今日のうた(119)

[今日のうた] 3月ぶん

(写真は、紫式部[土佐光起画])

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  • 生くるとは愛にこころを砕くこと嘴(はし)合す鳩は日向をあゆむ

 (上田三四二1963『雉』、早春の公園の陽だまりに鳩が嘴を合せてむつんでいる、そして作者は、鳩のこうした姿を祝福し、そこに人間を重ね合せて見ている、この優しさが三四二の歌の魅力) 3.1

 

  • ためいきは金平糖(こんぺいたう)のひいふうみすこし棘(とげ)ある心のこぼれ

 (小池純代『苔桃の酒』1994、自分の「ためいき」を「心の金平糖がこぼれる」ように感じた、たった三個だけれど、金平糖は「すこし棘のある」形をしている、「ためいき」にも深浅はあるが少し深い方なのか) 3.2

 

  • もどかしや雛に対して小盞(こさかずき)

 (榎本其角『続虚栗』、面白い句だ、雛祭なのだろう、儀式の中に、雛人形を相手に小さな盞で酒を酌み交わす場面があるのか、少女があどけなくやっているのを横からオジサンが見ているのか、「もどかしい」とか言っている、今日は雛祭り) 3.3

 

  • さしぬきを足でぬぐ夜や朧月(おぼろづき)

 (蕪村1779、蕪村ならではのユーモア句、「さしぬき」とは男が直衣や狩衣に履く袴のこと、「春の夜、朧月の薄明かりのもと、周りに気づかれずにやっと女のところに忍び込んだよ、音をたてないように、体の動きを最小限にして、足ですーっと袴を上手に脱いだところ」、自分のことではない、「光源氏」を茶化しているのか) 3.4

 

  • 今上げし小溝(こみぞ)の泥やとぶ小蝶

 (小林一茶1804、一茶は42歳の中年オヤジ、江戸で貧乏な一人暮らし、「小さなドブの泥を掬い上げたところに、シジミチョウだろうか、小さな蝶が飛んできた」、一茶は「小蝶」を詠んだ句が多い、美しい揚羽蝶などよりは「小蝶」に親しみを感じていたのか) 3.5

 

  • 故郷(ふるさと)やどちらを見ても山笑ふ

 (正岡子規1893、子規は当時25歳、東大を中退して新聞『日本』の記者になったばかり、久しぶりに故郷の松山に帰ったとき、よほど嬉しかったのだろう) 3.6

 

  • 木蓮の窓一杯にゆれにけり

 (真喜屋牧也、作者は調べたが不明、歳時記の順からすると昭和の俳人、陽気で我が家の白木蓮も蕾が開き始めた、二階の私の書斎の「窓の前一杯にゆれている」、ヒヨドリくんが来て、せっせと花芽を食べているが、それでまた枝が小刻みに揺れる) 3.7

 

  • きれいだと思へるほどの雪がふる

 (高杉靖子、芦屋市「朝日俳壇」3月7日、稲畑汀子選、雪は、ほんのちょっと降ったのでは「きれい」とは言えない、しかし久しぶりに積もるほどの雪が降った、「きれいだと思えるほどの」雪が) 3.8

 

 (内藤孝、長岡市、「朝日俳壇」3月7日、長谷川櫂選、「ふだんカラスは、雁や鶴やツバメみたいに、飛ぶ姿のカッコよさで注目されることは少ない、それがどうだろう、今日は「春一番」がぴゅうぴゅう吹いて、高い空をカラスが「宙に舞ってる」) 3.9

 

  • おとうとのミュート解除に家中が息をひそめて見守るレッスン

 (菊田知和「東京新聞歌壇」3月7日、佐佐木幸綱選、弟は音大か音楽高校で学んでいるが、コロナでレッスンはZoomなのだろう、レッスンの日、自宅で家族が見守る中で「さあ先生が終って、弟が弾く番になった、弟はミュートを解除」) 3.10

 

  • 狭い部屋で大きなことを考える そういう人がすごくいる町

 (加藤ふと「東京新聞歌壇」3月7日、東直子選、シリコンバレーのように創意あふれる野心的な起業家が集まる「町」が、日本にもあるのだろうか、いやあるのだろう、「そういう人がすごくいる町」なのだ) 3.11

 

  • 相思はぬ人のゆゑにかあらたまの年の緒長く我が恋ひ居(を)らむ

 (よみ人しらず『万葉集』巻11、「私が貴方を片想いしているだけで、貴方が私をちっとも思ってくれないからよね、こんなに長い間、ずっと貴方を恋い焦がれていなければならないのは」) 3.12

 

  • 限りなき思ひのままに夜も来む夢路をさへに人はとがめじ

 (小野小町古今集』巻13、「貴方が恋しくてたまらない、いらしてくださらないから、私が夜の夢で貴方のところへ行くわ、夢の通い路なら誰もとがめだてしないでしょうから」、調べが優美、「夜も来む」がいい) 3.13

 

  • 心だにいかなる身にかかなふらむ思ひ知れども思ひ知られず

 (紫式部『家集』、「せめて自分の心くらいは自分の身に合ってほしいけれど、そうなっていないわ、どんな身なら私の心に合うのかしら、分っているつもりだけれど、分っていないのね、私」、紫式部らしい思索的な歌) 3.14

 

  • 身にそへるその面影も消えななむ夢なりけりと忘るばかりに

 (藤原良経『新古今』第12巻、「私の体にぴったりと寄り添って離れない貴女の面影よ、ああいっそのこと、どうか消え去っておくれ、貴女との恋は夢だったと忘れられるように」) 3.15

 

  • たのむかなまだ見ぬ人を思ひ寝のほのかに馴るる宵々の夢

 (式子内親王『家集』、「まだ貴方に会っていないけれど、貴方のことを思って寝る夜には、ほんのかすかに貴方の姿が夢に現れます、それがやっと見分けられるようになったので、毎晩でも夢を見たいわ」、「ほのかに馴るる」が悲しい) 3.16

 

  • 運命は笑ひ待ちをり卒業す

 (高濱虚子1939、卒業式なのだろう、どの段階の学校なのかは分からないが、「運命が笑って待っている」とあるから、卒業生は社会に出てゆくのだろう、句柄が大きく堂々とした虚子らしい句) 3.17

 

  • 春夜更けこの一寸(いっすん)に電波混む

 (山口誓子1953『構橋』、ラジオの短波放送だろうか、電波の伝播状況は時間ごとに変化するが、春のある晩、深夜に近くなると、「この一寸に」急に混信が増えた、今ならば、ネットが混む時間帯がありそう) 3.18

 

  • 春暁の路面かつかつと馬車ゆかす

 (橋本多佳子1936『海燕』、前書によれば、夫と上海の「仏蘭西租界」を訪れたときに詠んだ句、たしかに日本の大都市ではなさそうな雰囲気がする) 3.19

 

  • 紺絣(こんがすり)春月重く出でしかな

 (飯田龍太1950『百戸の谿』、「紺絣」とは紺色の地に白いかすり模様のある織物、着ているのは自分か妻かそれとも二人ともだろうか、春の夜の闇の中にやっと「重く出てきた月」、その光に紺絣がかすかに浮かび上がる) 3.20

 

  • 旅に病んで銀河に溺死することも

 (寺山修司『花粉航海』、寺山の俳句には、ギリギリはったりをかますような面白さがあって、この句はそれが成功している、「銀河に溺死する」というのがシュールでいい) 3.21

 

  • かわかわと鴉が外(はづ)す春の水

 (永田耕衣1950『驢鳴集』、「いつもの小川だけれど、今日は春の水が溢れて水流が速い、水を飲みに降りようとしたカラスがうまく降りられずにカアカア鳴いたよ」、「外す」というのがいい) 3.22

 

  • 朝櫻みどり兒に言ふさやうなら

 (中村草田男、「みどり兒」は草田男の幼い子どもなのか、普通なら「いってきます」なのに、なぜ「さようなら」なのだろう、数日の地方出張で早朝に家を出るのか、それとも知人の家に泊まって家族と早朝の別れなのか、草田男の句にはいつも人間がいる) 3.23

 

  • ことしまた花見の顔を合せけり

 (黒柳召波、召波は蕪村の弟子、当時すでに「花見」が盛んだったのだろう、「花見」とは桜を見ることだが、一人で見るよりは友人たちと一緒に見る方がずっといい、今年もコロナで、「昨年と同じ人と顔を合わせる」ことはなさそう) 3.24

 

 

  • 花の陰わが草の戸や旅はじめ

 (杉山杉風1689、芭蕉が「奥の細道」の旅に出る時の挨拶句、「わが草の戸」とは杉風の家の庵、芭蕉は出発にあたって芭蕉庵を人に譲り、杉風の庵に移ってそこから出発した、その日その庵は、「花の陰」すなわち満開の桜の花の下だった) 3.25

 

  • 遠里の麥や菜種や朝がすみ

 (上島鬼貫、菜の花の黄色や麦の緑色が美しい時期になった、「朝がすみ」を通してはるか向こうに「遠い里」が見えている、「麥と菜種」の緑と黄色がくっきりと色鮮やかに映えている) 3.26

 

  • かれ芝やややかげらふの一二寸

 (芭蕉1688、「春といってもまだ野原の芝は枯れた色をしている、でも目で追っていくと、何かが動いたような気がする、そうか、ほんのわずかだけれど陽炎がゆらめいているんだ」) 3.27

 

  • 手をつなぎ桜をくぐる少女らの頬に影さし影はうつろう

 (安藤美保1967~91、お茶大のキャンパスには桜の樹がいくつもある、付属女子高生たちだろうか、樹の下を「くぐる」彼女たち頬には、一面の花の影が映り「うつろう」) 3.28

 

  • どつちにもいい顔してと責められてふくれてしまふやうな菜の花

 (石川美南『砂の降る教室』2003、菜の花は、4枚の黄色の花弁からなる小さな花が幾つも集まって塊のようになっている、だからどの方向から見ても同じように鑑賞できる、「どっちにもいい顔してる」みたい) 3.29

  • たんぽぽの河原を胸にうつしとりしずかなる夜の自室をひらく

 (内山晶太『窓、その他』2012、夕方からたんぽぽの咲く河原を散策し、暗くなって帰宅したのか、それとも「しづかな深夜」に「自室[の窓]をひらいて」、真っ暗な遠方に昼間の「たんぽぽの河原」を思い浮かべるのか) 3.30

 

  • スカートの影の中なる階段をひそやかな音たてて降りゆく

 (大滝和子『銀河を産んだように』1994、明るい昼間に、室外の広い石段を降りているのか、ふっくらとした自分のスカートの影が映り、スカートを踏んで歩くみたいに感じる、だから静かに慎重に降りてゆく) 3.31