[演劇] チャペック 『母MATKA』

[演劇] チャペック 『母MATKA』  吉祥寺シアター 4月15日

(写真は、息子たちが戦死したことにショックで気絶する母、周囲は生きているように見えるが死んだ霊魂たち)

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劇団「オフィスコットーネ」公演。演出は文学座の若手、稲葉賀惠。1938年2月に発表され、同年12月に死んだチャペックの遺作戯曲。チェコへのナチスの軍事的侵攻は1939年3月だが、物語では「まさにその時」に設定されている。5人の息子を産んだ「母」は、夫だけでなく上の4人の息子も(内戦を含む)戦争で失った。残された、ひ弱な少年の五男トニだけは絶対に兵士にしないと誓うが、死んだ夫や4人の息子の霊魂が部屋にやってきて、「正義のために戦争で闘い、自分が死んだことは、名誉なことである、トニも兵士として戦うべきだ」と妻や母を説得する。霊魂たちは母には見えるがトニには見えない。しかし内戦の段階を経て隣国(ナチス)の侵略が始まったとき、トニ自身が参戦を熱望し、母と激しい争いになる・・・。私は、劇がここまで来たとき、トニが母の制止を振り切って参戦して死に、終幕だろうと予想した。しかしそうではなかったのだ。敵国による都市爆撃で女こどもがたくさん死に、それを伝えるラジオニュースの女アナウンサーは自分の子も殺されたと泣き叫び、残された国民全員に、侵略者と戦え、義勇軍に参加せよと絶叫する。それを聞いて、母は突然考えを変え、トニに銃を渡して決然と言う、「さあ、トニ、行きなさい! 戦いに!」、即、終幕。この2時間の劇は、最後の10秒にすべてがある!(写真↓は、トニと母、そして敵味方に分かれつつも嬉々として内戦に参加する二人の兄)

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チャペックは1937年のナチスによるゲルニカ爆撃を踏まえてこの劇を書いたのだ。私はアリストパネス『女の平和』との差異に衝撃を受けた。『女の平和』も、「戦争は男たちの問題だ」という政治家に対して、妻たちが「いえ、戦争は女の問題だ、夫や息子が死ぬのだから」と戦争に反対する。ここまでは『母』と同じだ。しかし、『母』では最後に突然、母は非戦の側から参戦の側に転向し、「さあ、トニ、戦え!」と「軍国の母」になる。その理由は、「銃後の日常にいるはずの女も幼児も殺される」という、戦争形態の違いに由来するのだ。19世紀までの戦争は、戦場で男たちが戦い、銃後にいる女子供は死なない。『母』でも、母の父の霊魂もやって来て、「わしらの頃は、戦争といっても、そんなに死ななかったものだが」と語るのがそれだ。第一次大戦から、ゲルニカ爆撃、そして東京大空襲、広島・長崎と戦争の形態は大きく変わった。チャペックの遺作戯曲『母』は、それを正確に捉えている。ということは、「戦争は女の問題である」というその内実が、『女の平和』とは一変し、妻も娘も「自己保存」のために兵士になる必要が生まれたということだ。『女の平和』における女の非戦の論理は、もはや20世紀の戦争では通用しない。それを正面から描いたこの作品は、絶望的で、とても悲しい。そして、戦死した死者たちの魂が、こぞって参戦を喜ぶのも、悲しい。「靖国の英霊」たちには参戦を望まなかった者も多いはずだが、残された生者は「戦いを続け、英霊の死を無駄にするな!」と考えやすい。(写真下は、夫の霊魂と語り合う妻、仲の良い夫婦で、5人の子供とともに幸福な家庭だったのに)

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動画が↓。クリックして画面の下方。

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