[オペラ] ヘンデル《セルセ》 二期会

[オペラ] ヘンデル《セルセ》 二期会 めぐろパーシモンホール 5月22日

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コンテンポラリーダンスの中村蓉の演出、ダンスをたくさん舞台に取り入れている。ヘンデルのオペラは、オケの音楽が伴奏あるいは通奏低音として下部構造をなし、演劇的要素である上部構造は、多くのアリアがあまり演技なしに順々に歌われる。つまりオケピットの音楽と舞台上に視覚できる演劇的要素とがくっきりと分離しているので、コンテンポラリーダンスで舞台上を補うのは、とても効果的だ。実際に、ヘンデルの時代でもバレーが取り入れられたそうで、またラモーのオペラでもコンテンポラリーダンスは調和的だ。ヘンデルの音楽はゆったりと水が流れるような美しさがあるので(有名なヘンデルの「ラルゴ」が《セルセ》原曲だと初めて知りました)、ダンスという身体運動に向いているのかもしれない。モーツァルト以降のオペラになると、舞台でも重唱が増えて、オケの音楽的要素は舞台上の演劇的要素と緊密に統一されるので、コンテンポラリーダンスの挿入の必要はなく、舞台上には十分な演劇的様相が存在するようになる。(写真↓はカーテンコール、演出の中村蓉)

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物語は、セルセ(=ペルシアのクセルクセス大王)の結婚をめぐる、よくあるラブ・コメディなのだが、今回のプログラムノートによると、王位継承(ジョージ二世)をめぐる政治的な批判が含意されているので、ラブコメのドタバタが政治や外交の失敗の暗喩になっているという。そう考えると、ヘンデルのオペラでは、マッチョなはずの王や英雄や武人がカウンターテナーになっており、女性的になよなよしているのも風刺的な含意として理解できる。今回はセルセはテノール(新堂由暁)だったが、弱々しい王様ぶりで、王のマントが長すぎて持て余しているなど、コミカルに造形されている。当時はセルセはカウンターテナーだったそうだから、あるいは現代ではアルトやメゾソプラノの女性が演じるとさらに面白いだろう。セルセのアルサメーネはメゾの桜井陽香が歌うので、これは完全にトランスジェンダー。恋の相手であるロミルダ(牧野元美)とアタランア(雨笠佳奈)の姉妹が対照的で、純愛の姉と恋多き女の妹という極端な違いがとても面白い。ロミルダは失恋して「死にたい」と嘆くが、アタランタは違う。「私はモテ女! 男を誘惑する術に卓越してるから、新しい彼氏なんてすぐに見つかるわ」と明るく歌いながら、小さな望遠鏡を取り出して、さっそく男を発見したようだ。この舞台ではアタランタが一番すばらしく、私はとても共感した。《ドン・ジョバンニ》を観る観客はツェルリーナを好きになってしまうように、《セルセ》ではアタランタが一番可愛くて、いい女。恋に奥手の純愛の姉と、恋に巧みな妹という姉妹は、考えてみるとオペラや文学によくあるタイプだ。二人の対照はラブコメを盛り上げる重要な要素なのだろう。