今日のうた (121)

[今日のうた] 5月ぶん 

(写真は石部明1939~2012、現代川柳の領導者の一人)

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  • 病棟や父「撤収ッ」を連呼せり

 (石田柊馬1941~、作者の父は出征し帰還した兵士だった、戦後ずいぶんたつのに戦争の記憶は父の中で生きている、入院病棟で意識朦朧としている父が「撤収ッ」と連呼した、まだ戦場にいるのだ、しかしこの川柳は笑えない) 5.1

 

  • いけにえにフリルがあって恥ずかしい

 (暮田真名、コミックか映画か、「生贄にされた女の子が「フリルのついた」衣服(スカート?下着?)なので恥ずかしがっている」、そして「いけにえ」を見ている私も「恥ずかしい」のだろう、作者1997~が若い女性だからこのように感じるのか) 5.2

 

  • 見たことのない猫がいる枕元

 (石部明1939~2012、これはいかにも川柳らしい川柳、笑ってしまう、目覚めた時「枕元に見たことのない猫がいる」のに気づく人間の当惑ぶりがおかしいのだ、しかしありそうもないケースでもない、迷い猫はありうる、「目覚めた時」という驚きがいい) 5.3

 

  • しばかれてごらん美しすぎるから

 (榊陽子1968~、これも微妙な感情を詠んでいるのが面白い、「美しすぎる」のはもちろん女性だろう、そして「しばく」人は女性なのか男性なのか、たぶん女性なのだろう、そして、この「しばく」は「いじめる」ほどの意味だろう) 5.4

 

  • 外側を強くするのよ月光に毛深い指を組んで寝るのよ

 (飯田有子『林檎貫通式』2001、作者1968~は、男性に媚びるような女性らしさを蹴っ飛ばす歌を作る人、よく分からない歌も多いが、何だか面白い、怒りを詩的に昇華させるユニークさがあるからだろう) 5.5

 

  • 星ひとつぶ口内炎のように燃ゆ<生きづらさ>などふつうのテーマ

 (北山あさひ『崖にて』2020、一連の「報道部にて」の歌からすると、作者1983~はTV局勤務の人なのか、この歌の「星」とは地球のことだろう、「生きにくい」現代世界を大きく一首に収めた) 5.6

 

  • LINEしながら階段や坂をいくいつものような夕方がくる

 (永井祐『文學界』2021年3月号、「もし今夜にデートの予定があれば、「いつもとちがった」夕方のはずだが、残念ながら「いつものような」夕方がきてしまった、LINEで彼女と遣り取りはするけど、ちょっと寂しい」) 5.7

 

  • モニターにきみは映れり 微笑をみえない走査線に割かれて

 (大塚寅彦『空飛ぶ女友だち』1989、TVに出た恋人の女性が、隣室のモニターのブラウン管に映っているが、「ほほえみ」が硬いのだろう、「みえない走査線にさかれる」がいい、でも「走査線」自体が今は存在しない) 5.8

 

  • 寄せ返す波のしぐさの優しさにいつ言われてもいいさようなら

 (俵万智『サラダ記念日』1987、前後の歌からすると、彼氏と九十九里浜にいる、夕日が落ちて暗くなり、二人で線香花火をした、「寄せ返す波のしぐさ」がいい、たぶん抱き合っているのだろう、「さようなら」ではなく、愛の絶頂にいる) 5.9

 

  • 拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません

 (笹井宏之「数えてゆけば会えます」2004、第四回歌葉新人賞・受賞の歌の一首、「あなた」は作者の恋人だろう、実景なのか想像の場面なのかは分からないが、これはありうる事態であろう) 5.10

 

  • 真っ青な風につばさをぶつけつつ鴉は無言だからゆるされる

 (江戸雪『空白』2020、「美しく澄み切った青空を、バッサバッサと不快な音を立てて鴉が横切った、でも鴉は責められないよね、しかし、もし人間だったら文句言われるかも、人間は言葉が分かるからね」) 5.11

 

  • もし海をおほきな墓といふのならこの島国はちひさなひつぎ

 (小池純代『短歌タイムカプセル』2018、水葬は、公海上の船舶に死者が出て、遺体を船内に保存できない場合、遺体を棺に入れて海に流すことだが、そういえば日本列島も、国であると同時に海に浮かぶ棺のようにも見える) 5.12

 

  • 薔薇ひらききつて芯(しん)まで風およぶ

 (矢部栄子、バラの花は、蕾の時、やや開きかけた時、そして「開ききった」時で、姿かたちの印象が大いに違う、「開ききった」時にはまさに「芯まで風がおよぶ」感じがする、我が家のバラも幾つも「開ききった」 ) 5.13

 

  • しら雲を吹き尽シたる新樹かな

 (椎本才麿1656~1738、「白雲を吹き尽す」がいい、若葉の一枚一枚がぐんぐん大きくなって高く聳える樹の全体に広がった、その新緑の緑が空に向かって輝き、「白雲を吹き尽くした」かのように青空だけが空にある) 5.14

 

  • さつき咲くしゆんしゆんしゆんと湯が沸いて

 (大井雅人1932~2008、作者は山梨の俳人飯田龍太に師事、この句もたぶん山村の室内、囲炉裏のある和室のようなところだろうか、庭先に今を盛りと咲くさつき、そして囲炉裏では沸いた湯が「しゅんしゅんしゅん」と音を立てて) 5.15

 

須原和男1938~、大きな山寺では、よく屋根付きの廊下が堂と堂を連結している、比叡山延暦寺だろうか、今その廊下が「青葉より青葉へ」と繋がっているように見える、作者は川崎展宏に師事した俳人)5.16

 

  • 昭和の日全部生き抜き昭和の日

 (松永朔風「朝日俳壇」5月16日、高山れおな・稲畑汀子共選、「長い昭和の日々を全部生き抜いたのは、今年、満九十五歳以上の人。全人口の0.5パーセント程だ」と高山評」) 5.17

 

  • 而して春のマスクとなりにけり

 (村越陽一「東京新聞俳壇」5月16日、石田郷子選、「而(しこう)して」(=そうして)の一語が効いている、「二年目に入ってしまったコロナ禍に不自由な生活がまだ続くのか、そんな深いため息が聞こえそう」、と選者評) 5.18

 

  • 移り住み二度目の春もマスク顔人波よけて吾は旅びと

 (佐藤雅子「朝日歌壇」5月16日、佐佐木幸綱選、「昨年の春に引っ越して以来、自分もマスク姿、近所の人たちもマスク姿で、全く知り合いができない異常事態」、と選者評) 5.19

 

  • 空調が大きな骨をなでているジュラ紀は過去で幻ではない

 (遠藤紘史「東京新聞歌壇」5月16日、東直子選、「博物館の空調の風がジュラ紀の恐竜の骨に触れる。大過去に対する実感がユニーク。どんなに時が経っても「過去」は幻にならないのだ」、と選者評) 5.20

 

  • 独り尼(あま)藁屋(わらや)すげなし白躑躅(つつじ)

 (芭蕉1690、「わらぶきの小さな庵に独り住む尼をたずねたら、そっけない態度をとられた、私が男性だからだろうか、庵の外には白いツツジが美しく咲いているけれど、ちょっと白けた気持ちになってしまった」) 5.21

 

  • 竹の子の力を誰にたとふべき

 (野沢凡兆『猿蓑』、「豊国にて」と前書、京都東山の、豊臣秀吉を祀った廟の竹藪で詠んだ、竹の子の勢いを詠んでいるが、「太閤」の「た」に宛てて、「竹の子」「誰」「たとふ」と三つの「た」を重ねてリズムを作った) 5.22

 

  • さつき雨田毎(たごと)の闇になりにけり

 (蕪村1776、梅雨が降り込めるときは昼間でも空がかなり暗いことが多い、田にもどんよりとした雲しか映っておらず、「田毎の闇」と詠んだ、決まり文句の「田毎の月」をもじって) 5.23

 

  • 足元へいつ来(きた)りしよ蝸牛(かたつぶり)

 (一茶1801「父の終焉日記」、一茶は39歳、一茶にはカタツムリを詠んだ句がいくつもあり、この句もカタツムリを親しい友人のように言っている、弱い小動物への共感は一茶の俳句の魅力の一つ) 5.26

 

  • ひんがしはあけぼのならむほそほそと口笛ふきて行く童子(どうじ)あり

 (斎藤茂吉『赤光』1913年5月作、「おひろ」の歌群の直前にあり、おそらく後朝の朝の歌、「童子が吹いていく口笛のほそほそとした音」で目覚めた作者、「東の空は曙なのだろう」、たぶん隣には「おひろ」が寝ている) 5.27

 

  • 今しばし麦うごかしてゐる風を追憶を吹く風とおもひし

 (佐藤佐太郎1947『帰潮』、麦秋かそれより少し前の麦だろう、風に吹かれて麦の穂が一斉になびく姿はとても美しい、しかしそれはなにか「追憶」を呼び起し、かすかな悲しみがある) 5.28

 

  • 噴水を傾けて風のすぐるとき繁吹(しぶき)の音もすこし乱れぬ

 (上田三四二1964『雉』、作者にとって噴水は、たんなる噴水ではなく、何か人間のような存在なのだろう、風に吹かれて水が傾いたね、しぶきの音も少し乱れてるね、と噴水に語りかけているのか) 5.29

 

  • なにもないところで道を尋ねられ 仕方ないから上を指差す

 (向井俊太『ねむらない樹vol.6』2021年2月、作者1998~は大学生か、大平原で道を尋ねられたら、目印になるものを指差すことはできないので「上を指差す」、比喩的にならば、こうした状況もありそう) 5.30

 

  • 野良犬を見たことがないという人と野良犬が居そうな浜へ行く

 (川村有史『ねむらない樹vol.6』2021年2月、作者1889~は海辺の近くに住んでいる人のようだ、現代日本は犬の飼育管理が厳しいので野良犬はあまりいない、しかし、なるほど「浜には浜居そう」な気もする) 5.31