[今日のうた] 6月ぶん
(写真は石田柊馬1941~、現代川柳の領導者の一人)
- ややこしく体を使うことになる 敵と味方とうさぎが殖える
(関口真司『ねむらない樹vol.6』2021年2月、コンピュータ・ゲームの臨場感だろうか、画面上の自己の身体を巧みに動かして戦い、「ややこしく体を使って」戦っているうちに、「敵と味方とうさぎ」がどんどん殖えてゆく) 6.1
- ペアルックで歩くカップルどこまでをペアルックのまま歩くのだろう
(手取川由紀『ねむらない樹vol.6』2021年2月、「ペアルック」「歩く」「カップル」と、言葉の響きとリズムが快い、たしかに「カップルがペアルックで歩く」のも、TPOがあるべきだろう) 6.2
- どこからか荷物が届く逆光の配達員に君の名を告ぐ
(嶋稟太郎『ねむらない樹vol.6』2021年2月、彼女のところに泊まった翌朝、正午近くに宅配便のチャイムで起こされたのだろう、彼女の代りにあわてて玄関に出ると逆光が眩しい、いかにもありそうな現代版「後朝の朝」か) 6.3
- 良い寿司は関節がよく曲がるんだ
(暮田真名『はじめまして現代川柳』所収、作者1997~は若い女性、着眼点がユニークだ、そもそも寿司というものは、なんか海老に似ていないか、ひょいとつまむと微妙に曲がる、まるでいくつも関節があるかのように) 6.4
- 正確に立つと私は曲がっている
(佐藤みさ子『はじめまして現代川柳』所収、作者1943~は「川柳杜人」同人、「私」だけでなく、おそらく誰もがそうだろう、人間の身体は完全性から多少のズレをもっているし、精神についても同じことがいえる、「川柳は警句に似ている」と吉田精一) 6.5
- 満月の猫はひらりとあの世まで
(海路大破(うみじたいは)、『はじめまして現代川柳』所収、作者1936~2017は「川柳展望」「川柳木馬」などの創立会員、「満月」といえば普通は「兎」だが、「猫」なのがユニーク、しかも満月に飛び込んで「ひらりとあの世に」行ってしまった) 6.6
- 水平線ですかナイフの傷ですか
(石田柊馬『はじめまして現代川柳』所収、作者1941~は現代川柳の領導者の一人、この句はシャープで厳しい、誰かの抽象画なのか、一本の線が描かれているが、「水平線」のようにも「ナイフの傷」のようにも見える、いや、たぶん「心の傷」だろう) 6.7
- 仰ぎ見る樹齢いくばくぞ栃(とち)の花
(杉田久女、とち(橡)の木はとても樹高が高い大木だ、花は白い地味な花だが、なにしろ樹が大きいので、一斉に咲いているのを「仰ぎ見る」のは独特の趣がある) 6.8
- 千年の松も落葉は小さくて
(中村草田男、「松落葉」は夏の季語、松は常緑樹だが同じ葉がずっとあるわけではなく、初夏の頃、葉の一部が茶色になって落ち、緑の新しい葉と交代する、大きな松の下にたくさん積もっている松落葉だが、一つ一つは針のように細くて小さい) 6.9
- 酔顔(よひがほ)に葵こぼるゝ匂ひかな
(向井去来、おそらく日が長い今頃の夕方だろうか、「座敷では早くも主人が友人たちと飲み始めて赤ら顔になっている、庭先では立葵の花が夕陽を受けて色鮮やかに輝いている」、我が家にはないけれど、ご近所では立葵が美しい) 6.10
- 二人して結びし紐を一人して我れは解き見じ直(ただ)に逢ふまでは
(よみ人しらず『万葉集』巻12、恋人たちは共寝の後、互いに下着の紐を結び合って愛を誓う、次に逢う時に「二人して」紐を解き合おうねと、「一人して解く」は、別の異性と寝るの意、『源氏』「夕顔」に本歌を踏まえた歌がある) 6.11
- 下にのみ恋ふれば苦し玉の緒の絶えて乱れむ人なとがめそ
(紀友則『古今集』13、「外に現れないように理性で感情を押さえつけ、感情という心の底でのみ恋するのは、ああ苦しい、紐を切って玉が散り乱れるように、理性なんか捨てて、一目はばからず取り乱したいよ」) 6.13
- かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人(よひと)定めよ
(在原業平『伊勢物語』69段、伊勢神宮の斎宮から「貴方と一夜過ごしたが・・」と歌が来て、それへの返し、「貴女も僕も真っ暗な闇に迷った一夜でした、夢かまことかは第三者に決めてもらいましょう、僕には分らない」) 6.14
- あはれなる心の闇のゆかりとも見し夜の夢をたれか定めむ
(藤原経公『新古今』巻14、昨日の業平の歌を受けて、伊勢神宮の斎宮の立場になって返している、「私を恋の闇に迷わせたのは貴方でしょう、あの一夜が夢かまことか、第三者に決めさせるのではなく、貴方が決めてよね」) 6.15
- 尋ぬべき路こそなけれ人しれず心は馴れて行き帰れども
(式子内親王『家集』、「貴方に逢いたいけれど、貴方のところへ行く路が分かりません、私の心だけは、貴方にも他の誰にも知られずに、密かに貴方のところへ何度も行き帰りして、馴れているのにね」) 6.16
- 馴れてのちつらからましに比ぶればなき名はことの数ならぬかな
(輔仁親王『千載集』巻12、「(僕が文通しているだけのあの人と恋の噂があるらしいが)、今僕は別のある女性と恋をしている、そちらは捨てられるかもしれないので、とても辛い、それに比べれば浮名なんて全然」) 6.17
- 巣立つ日や尾長の母の声やさし
(植村恒一郎、二階の私の書斎の窓近くの木蓮に、オナガの巣があり、巣の中ではオナガの母鳥は、いつもの「ギエーッ」ではなく、「キュイー」と優しい声を出します、雛たちは「キュイ、キュイ」と可愛らしい小さな声で応える、そろそろ巣立ちでしょう) 6.18
- 紫陽花や身を持ちくづす庵(いほ)の主
(永井荷風1927、荷風の6月26日の日記の中にある一句、いかにも荷風らしい句だ、「身を持ちくづす庵の主」とはもちろん自分のことだろう) 6.19
- 薔薇を撰り花舗のくらきをわすれたる
(橋本多佳子1936『海燕』、薔薇の花はそれ自身が光を放つように明るい、「花屋の店舗の、奥の暗いところで、薔薇を撰んでいる私、薔薇があんまりきれいなので、部屋の暗さを忘れてしまった」) 6.20
- 夏至今日と思ひつゝ書を閉じにけり
(高濱虚子1957、夕刻遅くまで一心に書を読んでいたのだろう、明るいのでもうそんな時間とは思わなかったが、「ご飯ですよ」と声がした、「そうだ、今日は夏至なんだ」と思いながら書を閉じる)6.21
- 抱く吾子も梅雨の重みといふべしや
(飯田龍太1951『百戸の谿』、「吾子」は、前年に生まれて一歳になったばかり次女純子か、たぶん毎日抱いている作者、「今日は吾子がなんだかちょっと重く感じる、梅雨が降っているせいかな、いやちょっと大きくなったんだよね」) 6.22
- 真菰(まこも)刈る童(わらべ)に鳰(にお)は水走り
(水原秋櫻子『葛飾』1925、句群「水郷の夏」の冒頭句、「真菰」は背の高い水草でむしろ等に編まれる、「鳰」は水鳥のカイツブリ、真菰を刈っている子供の横を水鳥がスーッと「水走ってゆく」、秋櫻子らしい絵画的で美しい句) 6.23
- 雷(らい)の音のひと夜遠くをわたりをり
(中村草田男『長子』1936、梅雨時にはこのようなことがよくある、夜中のかなり遅くまで、遠くに雷の音がしている、雷は近くには来ない、外を見ても遠くでチラッと光るのがたまに見えるくらいだ) 6.24
- 蛞蝓(なめくぢり)急ぎ出でゆく人ばかり
(石田波郷『風切』1943、「門にナメクジがいる、ゆっくりゆっくり動く様が面白くて、立ち止まってじっと眺めるが、そういう人は他にはいない、皆急いで通り過ぎてゆく、忙しいんだね」、そういえば最近はナメクジをあまり見ない気がする) 6.25
- 梅雨の間の夕焼誰ももの言ひやめ
(加藤楸邨『颱風眼』1940、「うっとうしい梅雨が続いている、皆でワイワイしゃべっていたが、ふと窓の外を見ると、美しい夕焼けになっているのに気付く、皆、話すのやめて思わず眺めてしまう、あたかも虹が出た時のように」) 6.26
- 六月の夢にも黄砂がふいていてきみの寝息がたまにつまづく
(榊原鉱『悪友』2020、「彼女は隣でスヤスヤと快い寝息をたてて眠っている、その表情からすると、きっと夢を見ているんだ、今日一緒にニュースで見た黄砂がふいているのかな、寝息がたまにつまづくから」) 6.27
- 遠い空が焼けているのはもう言わず背のかたむきにクッション入れる
(江戸雪『空白』2020、父を看病し死を看取った歌群の一つ、「病室の窓に美しい夕焼けが見える、前はいつも「あ、夕焼けだね」と言った父は、もう何も言わない、私は父の背もたれにクッションを入れて姿勢を調整する」) 6.28
- 雨降れば雨の向こうという場所が生まれるようにひとと出会えり
(小島ゆかり『展開図』2020、「ある雨の日、大通りの向こう側に思いがけず旧知の友人を認めた、本当に久しぶりに偶然会えたのが嬉しい、もし雨が降らなければ二人とも今ここにいなかったから、出会わせてくれた雨に感謝」) 6.30