[演劇] エウリピデス『メデイア』

[演劇] エウリピデス『メデイア』 NTライブ シネリーブル池袋 7月14日

(写真は舞台↓、二階は王の宮殿での結婚式、一階はメデイアの住居、舞台の作りは非常にうまい、原作のメデイアは四分の一ほど神の血をひく王女で、伝承では魔女だが、本作では現代の「普通の女」に造形される、そして乳母) 

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2014年9月4日のナショナルシアター上演だが、メデイアを演じたヘレン・マクロリーが今年の4月に急逝したので、映像上映は彼女の追悼の意味もあるのだろう。原作の怖い雰囲気がよく出ており、コロスをコンテンポラリーダンスにしたのも効果的だ。メデイアも、黒人俳優が演じるイアソンも、知的な人物に造形されている。ほぼ原作通りだが、原作では終幕、ヘリオス神(メデイアの祖父)が派遣したと思われる龍車(黄金の二輪車)が空からメデイアを迎えに来て、メデイアは子供の死体とともに龍車に乗って高笑いしながら空に消えてゆく。そこはどう舞台化されるのだろうと期待していたが、本作では、メデイアが「今、ここよ」と叫んでも龍車は来ない。子供の死体をかかえたメデイアがよろよろと倒れそうにふらつきながら舞台の奥に消えて終幕。原作のようにアテナイまで逃げられるとは、とても思えない。子殺しは罪なのに罰せられない、というのがエウリピデスの(異例な)メッセージだが、この終幕は『メデイア』全体の解釈に関わる大きな改変だ。(写真下は、二階はメデイアが送った毒入りドレスを着て踊りながら焼き殺される王女クレウーサ[原作には登場しない]と、一階はそれを心待ちにするメデイア)

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 原作を読み返してみても、なぜメデイアは裏切った夫イアソンではなく二人の子供を殺すのか、その理由は分からない。たぶん、今までのすべての上演でも、その理由についての説得的な解釈はないのではないか。プログラムノートに、ギリシア演劇研究者の山形治江が、子供を失うという痛みをイアソンにも共有させることで二人が愛の絆を回復するという解釈を提出しているが、いくらなんでも牽強付会ではなかろうか。ただ、マクロリーがインタヴューで言っているように、王クレオンの支配するコリントスにやってきた二人は、どちらも「よそ者」であり、「自分の居場所がない」という孤独が極限に高まっていたことは、イアソンの浮気と王女クレウーサとの再婚、そしてメデイアの子殺しを引き起こした理由とも考えられる。(写真下は、コンテンポラリーダンスを踊るイアソンと王女クレウーサ、そしてコロス)

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公開予告編の映像が

https://www.youtube.com/watch?v=KR9zX0Ph7lI