[演劇] 宮本研『反応工程』

[演劇] 宮本研『反応工程』 新国立劇場 7月21日

(写真は舞台、九州にある三井化学工場で、ロケットの燃料を作っている、知識階級といえる旧制高校生たちが学徒動員された若い工員たちと、初老の小卒たたき上げ職工たちが仲良く一緒に働いている)

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宮本研は『美しきものの伝説』以来、観るのはこれが二作目だが、1958年の本作も演劇作品として傑作中の傑作だ。戦後まもない頃に書かれたのではない。戦争体験や戦争責任の問題を深く捉え直すのにはそれなりの時間を要するのだ。本作が焦点を当てているのは、戦争の只中にいる当事者は、自らが置かれている客観的状況をよく認識できない、そしてまた、戦争を体験しない世代は戦時中の人々の内面的心理をよく理解できないという、二重のギャップである。本作が何より優れているのは、1945年8月5日、8日、10日、そして1946年3月の、工場の同じ作業室に、時空を設定したことである。広島と長崎の原爆投下を知り、しかし敗戦の15日が迫っていることはまったく知るよしもない深刻な状況と、翌年3月、戦争体験を十分に内面化できないうちにGHQの命令で一気に「民主化」に走り出している職場の滑稽な様子に焦点を絞っている。(写真↓は、主人公の旧制高校生の田宮と、たたきあげ職工・荒尾の娘の正枝、二人に恋が芽生えるが、正枝は終戦直前に直撃弾で即死、12日に入隊した田宮はそれを知らなかった)

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8月5日、8日、10日の時点で、多くの工員が「この戦争は負けだ」と内心では分かっているが、口には出せない。会社も、軍需品ではないインジゴ(三井化学の主要生産品)の機械を動かし始めるなど、終戦を意識して対応を取り始めているふしがある。しかし誰も、あと5日で終戦とは夢にも思わず、米軍の投下ビラなどから判断して、9月頃か、遅くとも年内だろうと思っている。これらの状況認識をもとに、自分はどう行動すべきか各自が考え始めているのだが、しかし一方では、勝ち負けとは別に、家族や同朋たちが戦い死んでいっている状況で、自分だけ逃げるのは間違っている、あくまでこの戦争戦うべきだ、と本気で考えている者もいる。それが互いに分かり、みな非常に苦しんでいる。

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群像劇だが、もっとも重要な人物は、旧制高校生の田宮、そしてかなりのインテリである正社員の太宰、たたき上げ職工の荒尾、この三人だろう。太宰は敗戦を確信しており、それを田宮にだけは口にする。太宰は田宮にレーニン帝国主義論』を貸したが、田宮がうっかり作業室の机の上に置き忘れたので、憲兵に見つかり、田宮は尋問を受ける。彼は「自分の本である」と嘘を主張して、逮捕されそうになる。太宰は、本が太宰のものであることを知る恋人の正枝に「太宰さんの本だと言ってください」と懇願され、彼は憲兵に自首する。結局、田宮は入隊したが3日で終戦、太宰は1か月の入獄で済んだ。しかし二人がそのことを知るのは(正枝の爆死のことも含めて)翌年の3月なのだ。8月10日で職場はみな散り散りになってしまったので、もっとも近い距離にいる当事者自身が相手のことを知らない。「戦争に負ける」ということが当事者たちにとってどういうことなのか、それがリアルに提示されている。本作は、かなり難解な思想劇なのだが、説得力ある舞台を作れたのは凄いと思う。作品を深く読み解いた演出の千葉哲也、そして完全オーディションで参加した無名の若い俳優たちを讃えたい。

(写真↓は、田宮と太宰、そして舞台、憲兵が手にしているのが『帝国主義論』)

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