今日のうた(123) 7月ぶん

[今日のうた] 7月ぶん

(写真は永井荷風1879~1959、浅草など下町を愛した荷風は、下町の風情を俳句に詠んだ)

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  • 夏空へ嵌め殺し窓壊さうか

 (佐藤勝美「東京新聞俳壇」6月27日、石田郷子選、「誉め殺し」は知っていたが、「嵌め殺し」は初見、でもよく分かる、最初から作り付けで、開けることのできない窓が最近は多い、広がる夏空へ向かって、「ああ、窓を開けたい!」) 7.1

 

  • 太陽は独身ならむ浜ビール

 (春日重信「朝日俳壇」6月27日、高山れおな選、独りで海岸に来ている作者、カップルたちが楽しそうに遊んだり泳いだりしているのを見ながら、一人黙々とビールを飲む、そして、ふと思う、「そういえば、頭上の太陽くん、君も独身なんだっけ?」) 7.2

 

  • 「復興」の掛け声徐々に薄れきて「やるためにやる五輪」となりぬ

 (白鳥孝雄「朝日歌壇」6月27日、馬場あき子・永田和宏選、オリンピックは金儲けのための巨大なイベントになった、それで儲けている人が世界中にたくさんいるのだろう、だから「やるためにやる五輪」となった) 7.3

 

  • 浅く胸を上下させつつ霧雨のように静かにあなたはねむる

 (森本有「東京新聞歌壇」6月27日、東直子選、「浅く胸を上下させて」眠っているのは彼女だろうか、「霧雨のように」がとてもいい、『失われた時を求めて』の主人公に寝姿を見守られるアルベルチーヌを思い出す) 7.4

 

  • 色町につゞく空地や夏相撲

 (永井荷風1938、下町に住む荷風が、夕焼けが美しい夏のある夕方、ふと通りかかった近所の空地で相撲が行われている、直ちに、「そうか、ここは色町につゞいている空地なんだ」と連想が働く) 7.8

 

  • 炎天の巨きトカゲとなりし河

 (富澤赤黄男『天の狼』1941、「阿呆の大地」と題する句群の一句、当時作者は中国戦線にあり、華中(=黄河揚子江の間の地域)を転戦中だった、大きな河が一瞬「巨大なトカゲ」に見えた、荒涼とした自然景だが、それは戦争による心の荒廃でもある) 7.9

 

  • 嫁ぐ妹と蛙田を越え鉄路を越え

 (金子兜太『少年』、1942年の作か、東大生の兜太はごく短期間、郷里の秩父に帰る、妹の結婚の直前、兄妹の二人は、蛙の鳴く田を越え、線路を越え、家の近くをひたすら歩く、それだけのことだが、兄も翌年には入隊、万感のこもった散歩だったろう) 7.10

 

  • 夏の海水兵ひとり紛失す

 (渡辺白泉1944、作者は応召を受け、横須賀海兵団に入隊、水兵として監視艇隊に配乗していた、戦場ではなく日本近海だが、乗船していた同僚の水兵が突然行方不明になったのだろう、それを、なにか物が「紛失した」程度にしか受け止めないのが軍隊という所) 7.11

 

  • 森で逢びき正方形の夏の蝶

 (寺山修司『花粉航海』、修司は青森高校の三年間、たくさんの俳句を詠んだ、これはその中の一句、二匹の蝶が森の木の枝で交尾している、二匹が重なり合ってちょうど「正方形に」見える、交尾しても形は曲線のはずだが、「正方形」と詠んだのが鋭い) 7.12

 

  • たらちねの母に知らえず我が持てる心はよしゑ君がまにまに

 (よみ人しらず『万葉集』第11巻、「お母さんに知られないように、貴方からの求愛に対する私の気持ちはずっと隠してきたけど、もう隠せない、いいわ、どうなったって、私も貴方が大好き、私を貴方のすきなようにして!」) 7.13

 

  • 天雲のよそにも人のなりゆくかさすがに目には見ゆるものから

 (紀有常の娘『古今集』巻15、「空の雲が風にのって忙しく動くように、貴方は私の所に来ても(泊まらずに)すぐ帰ってゆく、まだ私の目に見える所にはいるけれど、なぜそんなによそよそしいの、業平さん」、彼の返しは明日) 7.14

 

  • ゆきかへり空にのみして経(ふ)ることはわがゐる山の風早みなり

 (在原業平古今集』巻15、「僕が貴女の所へ、雲のように行ったり来たりして、うわの空に過ごしているのは、僕が泊まるべき貴女という山には、冷たい風が強く吹いていて降りられないからさ、もっと優しくしてよね」) 7.15

 

  • 夢とても人に語るな知るといへば手枕(たまくら)ならぬ枕だにせず

 (伊勢『新古今集』巻13、「忍びたる人と二人臥して」と前詞、「ねえ、今晩のこと、絶対に人にしゃべらないでね、枕は秘密を知っちゃうというから、私は手枕しかしないの」) 7.16

 

  • 見えつるか見ぬ夜の月のほのめきてつれなかるべき面影ぞ添ふ

 (式子内親王『家集』、「はたして月は見えたのでしょうか、貴方に逢えない今夜の月は、ほのかに見えたけれど、その月に影のように添って見えたのは、まちがえなくそっけない貴方のお顔です」) 7.17

 

  • 月をこそ眺め慣れしか星の夜の深きあはれをこよひ知りぬる

 (建礼門院右京大夫、「いつも月を眺めるのが好きで、心を動かされてきたけれど、でも今夜は、月はないけれど星が月のように明るく光る星月夜(ほしづきよ)、星月夜もいいなあ、こんなに素敵なんだ」) 7.18

 

  • 空席にくうせきさんがうずくまる

 (佐藤みさ子、「空席」とは初めから「無」ではない、そこに座る可能性があった誰かが欠席し、替りに「くうせきさんがうずくまった」から「くうせき」になった、「無」がそこに来なければ「無」にはならないのだ、作者1943~は宮城県の川柳作家) 7.19

 

  • 行き過ぎてあれは確かに鳥の顔

 (海地大破1936~2017、『魔笛』のパパゲーノのように、「鳥の顔」のように見える人間の顔というものはある、すれ違った時は人間の顔「として」見えていたが、一瞬のちに「?」と思い、思わず振り返ってしまう、とても個性的な顔だった) 7.20

 

  • いつもセクシーな猫がいる非常口

 (加藤久子1939~、雌猫にも雄猫にも「セクシーな猫」はたしかにいる、そういう猫は人間がむんずとつかんで抱きしめるかもしれない、猫セクハラから逃げられるように、「セクシーな猫はいつも非常口に」いる) 7.21

 

  • やわらかい布団の上のたちくらみ

 (石部明1939~2012、バブルの頃の東京か、「やわらかい布団」はたぶん高級ホテルの一室だろう、久しぶりに彼女とデートの後、夜景の東京湾を見下ろす高層ホテルへ、もう舞い上がってしまって、布団にちょっと足が触れただけで、頭がクラクラ) 7.22

 

  • 縄跳びをするぞともなかは嚇(おど)かされ

 (石田柊馬1941~、「もなか」は皮がとても薄いから、激しく揺さぶられれば中の餡が皮を破って出てきてしまう、「縄跳び」なんかしたらもちろんダメ、人間って、そういう「もなか」にどこか似てはないか) 7.23

 

  • ためらはず遠天(をんてん)に入れと彗星の白きひかりに酒たてまつる

 (斎藤茂吉『赤光』、1910年5月19日頃、ハレー彗星が地球に最接近し、彗星は大きな弧を描いて天上を動いているように見えた、「さあ、ためらはずに、そのまま進もう!」と彗星に呼びかけ、「白い光に、酒をたてまつった」) 7.24

 

  • 楽しくも満ちかへり来る潮(しほ)あれやかの堤防に向ひてあゆむ

 (佐藤佐太郎 1950『帰潮』、戦後、作者は東京でまだ苦しい生活をしていた、荒川か隅田川の河口だろう、満ち潮が「楽しく帰ってくる」ように見える時がある、それが見たくて仕事の後、「堤防に向かって歩く」) 7.25

 

  • 酒のうへの一つ言葉に傷つきて弱きかな月の夜の道かへる

 (上田三四二1964、『雉』、作者は数年前に京都から東京に移り、清瀬の国立療養所に医師として勤務、患者の治療に悩む歌が続く、この歌も、おそらく同僚の医師の一言が胸に刺さったのだろう、愚直なまでに真面目な人柄) 7.26

 

 (俵万智『未来のサイズ』2020、すっかり商業主義のイヴェントになってしまったオリンピックなど、現代は人間のバランスが崩れて、安定感のない「リズムの危うい」時代になっている)  7.27

 

  • 入念に髪撫でている青年にわれは嗜虐(しぎゃく)の笑い送りぬ

 (大和克子『無花果家族』1974、「嗜虐」とはサディスティックなこと、「髪を撫でつけている青年の姿がとても滑稽なので、冷やかに笑ってやった」、作者1921~は戦後早くから塚本邦雄らと前衛短歌に参加、トゲのある歌を詠む人) 7.28

 

  • 記憶とは泥濘(ぬかるみ) 気泡はきながら紅茶のうづへ檸檬が沈む

 (川野芽生『Lilith』2020、何か思い出したくもない嫌なことがあったのか、でもいやでも思い出してしまう、気を鎮めようと紅茶をいれてみたが、レモンが荒々しく「気泡をはきながら」紅茶の「渦」に沈んでゆく) 7.29

 

  • 風景を見てるつもりの女性徒と風景であるオレの目が合う

 (工藤吉生『世界で一番すばらしい俺』2020、作者は女生徒から無視されているのだろうか、ここにいるオレを工藤くんと知りながら、風景の一部としてしか見ていない、オレはじっと彼女を見詰め続けているうちに目が合った) 7.30

 

  • 夕焼けは鳥の天国ぼくたちの天国と交換してください

 (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010、歌集のすぐ後の詩からすると、荒川の河川敷のようだが、広い空のあるところなら他でもいい、大きく広がった夕焼け空を鳥たちが飛んでゆく、それは「ぼくたちの天国」以上に美しい天国) 7.31