[オペラ] ヴェルディ《アイーダ》

[オペラ] ヴェルディアイーダ》 METライブ Movixさいたま 8月5日

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2018年10月6日のMet公演、アイーダ(ネトレプコ)、アムネリス(ラチヴェリシュヴィリ)、ラダメス(アントネンコ)の三人が素晴らしい。ワーグナーと同様、歌い手の異様な声量が要求される作品なので、ほとんど絶叫に近いが、声がよく通る。Metの広大な舞台、巨大な舞台装置がセットされて、威圧的で権威主義的なエジプトの宮殿が圧倒的な迫力で迫ってくる。トーマス・マンが『魔の山』の中で、《アイーダ》の野蛮で威圧的な権力性や凱旋行進曲を厳しく批判していたことを思い出した。オペラ《アイーダ》はその成立からして、特別な事情がある。1869年のスエズ運河開通を記念して、エジプトの太守からの作曲依頼、破格の作曲料、1871年の初演はカイロの歌劇場だったから、エジプト王朝を否定的に描くことはできなかっただろう。しかし啓蒙主義的な立場からは、野蛮なエジプト王朝が肯定的に表現されているという批判が当時からあった。特にワーグナーのように大政治を主題にしているという点で、この作品は、当時のイタリアやフランスの「ワーグナー嫌悪」と重なったのだろう。たしかに男たちの半裸の踊りなど、野蛮な印象を受ける↓。

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しかし私は、あの凱旋行進曲には激しく心を揺さぶられたし、アイーダ、アムネリス、ラダメスの美しい「愛の三角形」という主題が、エジプト王朝の権力性によって毀損されているとも思わなかった。終幕、地下の牢で死んでゆくアイーダとラダメス↓の二重唱と、地上の宮殿に立って、涙にむせながら二人の愛を讃えるアムネリスの歌は本当に美しい。エジプト王朝の威圧的な野蛮性は王や王女アムネリスではなく、主として神官たちに表現されているし、エチオピアが(アイーダはエジプトでは女奴隷だが、本来はエチオピアの王女)、まるでユートピアの楽園のように描かれていることからして、ヴェルディは決して古代エジプト王朝を無条件で肯定しているわけではないと思う。権力性と純愛との葛藤が作品の真の主題であり、純愛が勝利するのが《アイーダ》である。アイーダ姫はエチオピアの王女であり、非ヨーロッパ的で異国的な神秘性にあふれているから、ネトレプコは本当に適役だと思う。

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凱旋行進曲のところ、9分の動画がありました。

https://www.youtube.com/watch?v=xxgOIwOd_5I