今日のうた(125) 9月ぶん

今日のうた(125) 9月ぶん

 

人流といふ語訝(いぶか)し夏の暮 (穴沢秋彦「朝日俳壇」8月29日、高山れおな選、コロナの感染者数が増えて、菅首相などは「人流を〇〇パーセントにしてほしい」とか言った、「人流」という曖昧で抽象的な語を使うのは、政府の無責任な対応の表れではないのか) 9.1

 

テレビ切れば晩夏の顔の映りけり (中村弘一「東京新聞俳壇」8月29日、石田郷子選、テレビを消した途端、暗くなった画面に自分の疲れた顔が映り、ハッとすることがある、なぜかあまり快いものでないのは、映画館を出て現実世界に引き戻されるときと似ているからか) 9.2

 

深呼吸、笑って歌って筋トレも脳トレもして死ねない老人 (榎本久「東京新聞歌壇」8月29日、東直子選、「「死なない」ではなく「死ねない」としたところにアイロニーが漂う」と選者評、いい味のあるアイロニーだ、健康で長生きなこと、それは誰にとってもよいことなのだから) 9.3

 

うちにきてよかったやろと語りかけ犬逝きて知るよかったのは我 (秋山行信「朝日歌壇」8月29日、高野公彦選、捨てられた子犬を拾ってきて育てたのか、その愛犬が老いて死んだ、いつも「うちにきてよかったやろ」とか犬に言っていたが、愛され、癒されたのは自分の方だったと気づく) 9.4

 

ワガハイノカイミヨウモナキススキカナ (高濱虚子1908、9月14日に松根東洋城から「センセイノネコガシニタルヨサムカナ」と、漱石の飼い猫の死を伝える電報が来た、その返電、「我輩は猫である」の猫さんか、漱石、虚子、東洋城は句友同士、弔電も俳句で遊ぶのがいい、今ならLINEか) 9.5

 

蝙蝠は天の高きに飛びて焼けぬ (橋本多佳子1936『海燕』、前後の句に「夕焼け」とあるから、この「焼けぬ」は、「コウモリがあまりに高く飛んで、夕焼空と一体化した」という意味、蝙蝠をダシにして「夕焼け」の美しさを詠んだ)  9.6

 

満月のなまなまのぼる天の壁 (飯田龍太1951『百戸の谿』、「満月が東の空から登り始めた、そういう時の満月は血のように「なまなま」しく赤い、「天の壁」に貼り付いたまま登ろうとしているかのようだ」)  9.7

 

陵(りょう)寒く日月(じつげつ)空に照らしあふ (山口誓子『黄旗』1935、前年に、奉天の北陵で見た光景、寒々とした旧宮廷の「稜」の付近、乏しい落日と月との両方が空に見える、誓子を「幾百年に一人の天才」とする小西甚一は、本句を蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」に比す)  9.8

 

別れ来て対(むか)ふ声なき扇風器 (石田波郷『風切』1943、自室で友人と談笑したあと、帰る友人を外まで見送り、また自室に戻った波郷、あいかわらず扇風器が回っている、でもなんだか寂しい、扇風器も自分と同じように、もっと彼と談笑していたかったのだ) 9.9

 

母老いぬ裸の胸に顔の影 (中村草田男『長子』1936、高齢の母が布団のうえに座ったまま、しばらく立ち上がらない、寝間着がはだけて胸が見えている、そこは前かがみに伏した顔の影になっていて、暗い) 9.10

 

白樺を幽(かす)かに霧のゆく音か (水原秋櫻子『新樹』1933、上高地滞在の句、人声もなく、歩く音も、車もなく、風もない、とても静かだ、でも、ほんの「幽か」に、あの霧が、白樺の樹の間をゆっくりと流れてゆく音が聞こえるようだ) 9.11

 

振分けの髪を短み青草を髪にたくらむ妹をしぞ思ふ (よみ人しらず『万葉集』巻11、「君は髪を左右に分けてわりと短く切り揃えている、少女っぽいなぁ、青草で束ねているのは、髪が早く伸びてほしいからなんだね、あぁ、なんて可愛い君!」) 9.15

 

思ふとも恋ふとも逢はむものなれや結(ゆ)ふ手もたゆく解くる下紐 (よみ人しらず『古今集』巻11、「彼女は高貴な人、僕がどんなに恋しても逢えるはずないんだ、なのに今夜は、結ぶ手がくたびれるほど、下着の紐が何度も解けてしまう、ひょっとして彼女に思われているのか?」) 9.16

 

かけて思ふ人もなけれど夕されば面影たえぬ玉かづらかな (紀貫之『新古今』巻13、「貴女は私のことを心に懸けてくれない、でも私は、夕方になると、このように貴女の顔が心に浮かび、ちらついて離れないのです」、「玉かづら」は女性の髪飾りだが、「顔」の意に使ったのが優美) 9.17

 

逢ひ見むと思ひな寄りそ白浪の立ちけん名だにをしき水際(みぎは)を (参河という女『千載集』巻12、「どうか貴方は、私に思い寄ろうなどと、近寄らないでください、白浪が立つように浮名が立ったらまずいでしょうに」、寄り/立ち/白浪/水際と縁語を連射し、言い寄る男をかわす) 9.18

 

つらしともあはれともまづ忘られぬ月日いくたびめぐりきぬらん (式子内親王『家集』、「つらいと思いながら、愛おしいと思いながら、私は貴方に恋をしました、あぁ、どうして忘れられましょう、あれからどんなに長い月日がめぐったというのでしょう」) 9.19

 

(ねじ)れつつ立ち直りつつ噴水を支えいるのは水の軟骨 (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010、噴水はさまざまな理由でさまざまに水が動く、噴水自体が動くこともあり、固定した噴水に風が吹いて水が揺れることもある、水が「ねじれたり」「立ち直ったり」、まるで「軟骨が支えいる」みたい) 9.20

 

歩道橋がみもふたもなくかかってる道路に沿って歩くと夕日 (永井祐『文學界・2021年3月号』、ほとんどの横断歩道橋はまったく美的ではない、たしかに「みもふたもなくかかってる」、この歌に言われてみて、やっぱりと思う、短歌は日常のかすかな知覚経験をスパッと意識化できる) 9.21

 

「綺麗なものにみえてくるのよメチャクチャに骨の突き出たビニール傘が」 (穂村弘『ドライ ドライ ドライアイス』1992、穂村弘は従来の短歌では詠まれたことのない新しい情景や感情や抒情を詠み、短歌の真の革命者と言えるが、女の子の発話にしたこの歌もとても新鮮) 9.22

 

ぼくはただ口語のかおる部屋で待つ遅れて喩からあがってくるまで (加藤治郎『サニー・サイド・アップ』1987、当時加藤は俵万智と並んで「ライトヴァース」の代表と言われた、本歌も軽快な韻律で自分の短歌を自己認識している、だが現在ではあまり「ライトヴァース」という語は聞かれない) 9.23

 

(結婚+ナルシシズム)の解答を出されて犀の一日である (萩原裕幸『あるまじろん』1992、たぶん短歌会の題詠として「結婚+ナルシシズム」をテーマとする歌が集まったのだろう、だが、いいテーマなのに、提題者の期待に反して、いい歌が少なかったので「犀になった」のか) 9.24

 

<我>といふ貨車引かれゆく実感のさびしさの行き止まりで覚めたり (大口玲子『東北』2002、夢を見たのだろう、確かに現実の「引かれてゆく貨車」にはどこか寂しい感じがある、夢の中で作者は、貨車に乗っているのではなく、自分が貨車になって「引かれていく」と感じているのか) 9.25

 

デジタルにすべし脅しに使うべし (石田柊馬『はじめまして現代川柳』、アナログはソフトで柔らかなのに対して、デジタルは黒白の二進法だからハードで固いイメージがある、石や刃物と同様に「脅しに使える」のだ、「マイナンバーカードを作れ!」もデジタルだからこそ) 9.26

 

ほれるかほれるかと茶をくらつて居(い) (『誹風柳多留』、註によれば「茶屋女がいつ惚れてくれるかと期待する」とある、「茶屋」もいろいろだろうが、「茶屋女」とはホステスなんだね、惚れられることを期待して茶屋に通ったオヤジも多かったのか) 9.27

 

オルガンとすすきになって殴りあう (石部明『はじめまして現代川柳』より、かなり長身の人が、体を大きくねじり、撚じり、激しく揺れながらオルガンを弾いている、まるで「オルガンと殴りあっている」ようだ) 9.28

 

御代参ころんで帰るせわしなさ (『誹風柳多留』、「御代参」とは、江戸城の御殿女中が将軍の妻の代理として、神社に参詣すること、「ころぶ」とはねんごろの彼氏と同衾すること、「せわしなさ」がいい、大急ぎでラブホテルに寄り道する感じだ、自宅で夫とではない) 9.29

 

椅子に手があったら愛をはがいじめ (海地大破『はじめまして現代川柳』より、長椅子に恋人同士がラブラブで寄り添っているのだろうか、嫉妬した長椅子が「はがいじめにしてやりたい」と羨ましがる、いや嫉妬しているのは恋人とたちを見る人間だろうか) 9.30