[演劇] S.ブロンテ『ジェーン・エア』 NTライブ

[演劇] S.ブロンテ『ジェーン・エア』 NTライブ 東宝シネマズ 12月7日

(写真は舞台、白木で組んだ高台を用いて、ジェインの人生の時間はすべてこの同じ空間を流れる)

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2015年12月のナショナルシアター上演の映像。サリー・クックソンという女性演出家による、正味3時間10分の舞台。『ジェイン・エア』は演劇化しにくいのでは、と思っていたが、音楽劇の様式化によって見事に舞台化できた。原作小説のもっとも重要な部分がきちんと表現されているだけでなく、むしろ小説からはなかなか読み取れないポイントが、演劇という形式ゆえに前景化できていると感じた。そのポイントとは、ジェインとロチェスターの愛は、ともに心に傷を負っている二人だからこそ可能になった愛だということである。二人とも互いにケアされることが必要なのだ。結婚の核にあるべき愛は、ケアでなければならないとジェインは考えている。これが『ジェイン・エア』という作品の肝なのではないか。(写真は↓、結婚式が中止になって苦悩するジェイン、そして、皆で走っているのは、ソーンフィールドを去って荒野に向かう馬車のシーン、逃走するジェインの苦悩を表現するこの演出は卓越している)

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私はこれまで、ロチェスターに狂人の妻がいて、結婚式が中止になった後、ジェインがロチェスターの元を去る理由が、よく分からなかった。彼女の彼への愛は一貫しているのに、なぜ結婚しないのか、法律など無視すればよいではないかと、疑問を感じていた。重婚を隠していたロチェスターに失望したこと、法的にはロチェスターの愛人にしかなれないことが不満だということは、たしかにあるだろう。だが、それだけでは理由として小さすぎる。妻のバーサは、兄のメイソンに噛みついて大けがをさせたり、ロチェスターの部屋に火を放ったり、非常に危険な精神異常をきたしているから、現在ならばもちろん離婚は許される。当時の法で許されなかったわけだが、それがジェインの理由ではなく、たとえ現在のように離婚が許される状態であっても、ロチェスターはバーサと離婚すべきではないとジェインは考えている。それはバーサこそなによりもケアされるべき存在だからだ。(写真はバーサと語り合うジェイン、彼女は激しく泣いている)

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この舞台で、ジェインは「奥様に対して、ずいぶん酷いことを言うのですね」とロチェスターをなじるシーンがあり、私はそれで初めて理解できた。原作の27章には、こうある、「あの不幸なご婦人にずいぶん冷酷なのですね。憎しみを込めて話していらっしゃいます。恨みがましい敵意をむきだしになさって。残酷です。あの方の狂気はご自分ではどうにもならないのです」(小尾芙佐訳p204)。おそらくこの言葉が、長編『ジェイン・エア』全体でもっとも重要な言葉ではないか。私は小説を読んだときにはそれが分からず、演劇の舞台で発話されて初めて気が付いた。(写真は、ロチェスターに結婚を断るジェイン)

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私はこれまで『ジェイン・エア』を、女の子が成長して自立する「教養小説」にロチェスターとの恋愛が加わったものと理解して、『高慢と偏見』と比較しながらジェインの恋愛を読んでいた。しかし今回感じたのは、ジェインの恋愛と結婚はこのうえなく崇高な愛であり、愛の核にケアを見ていることである。片手を失い盲目の不具者となったロチェスターとの結婚は、まさにケアそのものであり、あれほど自分をいじめたリード叔母の死に際においても、ジェインは叔母にとても優しい。外見は健康で強そうに見えても、その本質は、誰もが傷を負っている弱者であり、だからこそ男女の愛の本質は互いに癒し合うケアにある、というのがシャーロット・ブロンテの恋愛・結婚観なのではないか。というのも、アメリカの哲学者エリザベス・ブレイクの『最小の結婚』において、結婚の核に置くべきは愛よりはむしろケアだとされていたので、今回の舞台を見て、それが思い出されたからだ。

 

あと、音楽劇ならではの工夫もよかった。例えば冒頭はジェインの誕生で、「It's a girl」と皆が歌って始まるが、これは「何だ、女の子か」というニュアンス。ブロンテは五人姉妹なので、父親が言った可能性はある。そして終幕、やはり「It's a girl」と歌われ、こちらは「女の子だ、よかったね」というニュアンス。原作では男の子が生まれるわけだが、この改作はいい改作だ。演劇的リアリズムではなく音楽劇だから可能になる。

結婚を断るシーンの動画がありました。

https://www.youtube.com/watch?v=9LNFLbhve-4