[演劇] 唐十郎『泥人魚』

[演劇] 唐十郎『泥人魚』 コクーン 12月23日

(写真は舞台、男臭い男たちが踊る、チープで泥臭い感じが素晴らしい!写真下は、詩人の伊東静雄を演じる風間杜夫、安っぽいタキシードがよく似合う、風間は6月に観た『ベンガルの虎』にも出ていた)

f:id:charis:20211205143950j:plain

f:id:charis:20211224104002j:plain金守珍演出、コクーンは唐の芝居にはやや広すぎる空間だが、十分に楽しめた。『泥人魚』は、アンデルセンの『人魚姫』を、諫早湾干拓工事で腐敗した海(厚い鉄板を海に落とすいわゆる「ギロチン堤防」の内側)に連れてくる話で、物語としては非常によくできている。ただし、唐の作品はどれもそうだが、科白が難解で、舞台を見ているだけでは物語はよく分らない。確かに本作(2003)は「唐十郎の集大成」と言われるだけあって、詩的な科白がハッと胸に刺さる。たとえば、ヒロインの泥人魚「やすみ」(宮沢りえ)が言う「心の鱗(うろこ)」、そして「やすみ」に恋をする少年「螢一」(磯村勇斗)の科白、「あの鉄の扉のバリアーは[=ギロチン堤防のこと]、たった一枚の、それも厚さ0.2ミリのウロコがあれば抜けられる。そんな人魚の背につかまり、夢の中を泳いで行くなら・・」は本当に美しい。(写真↓は、螢一とやすみ、引っ張り合っているのは、鯉幟か、それともブリキで創ったウロコの着物か)

f:id:charis:20211224104028j:plain

f:id:charis:20211226080427j:plain

唐の作品の魅力は、もがくように生きている人々のやさぐれた不良っぽさへの愛おしさ、そして、猥雑でいかがわしい雰囲気の中から、最後に、このうえなく美しい高貴な純愛の美がスーッと立ち上る点にある。後者の点に関しては、本作は『少女仮面』『ベンガルの虎』には及ばないかもしれないが、滑稽でゴツいオヤジたちの愛おしさという点では、唐作品の頂点かもしれない。あと思ったのは、宮沢りえの美しさである。演劇で彼女をたくさん見てきたが、舞台にスッと現れるその瞬間が、他のどんな女優よりも美しい。野村萬斎もそうだけれど、役者の身体性の魅力は、そこに存在するだけで美しいという点にあるのだろう。(写真↓は、左から愛希れいか、宮沢りえ磯村勇斗風間杜夫)

f:id:charis:20211224104150j:plain

f:id:charis:20211224104213j:plain