今日のうた(130) 2月ぶん

今日のうた(130) 2月ぶん

 

揺れやすい豆腐のからだを火にかけてくちやくそくの束をほどいた (紡ちさと「東京新聞歌壇」1月30日、東直子選と評「湯の中の豆腐の様子と、あやうい自分の状態を結びつけた。口約束のまま果たされない約束をあきらめていく感覚を「ほどく」と表現」、豆腐を自分に見立てたのが凄い)  1

 

親兄弟すべてを忘れた方々も歌えば優し「さざんかの宿」 (太田克宏「朝日歌壇」1月30日、高野公彦選、「認知症気味の人々を優しく見守る介護職員」と選者評、歌は記憶を呼び覚ます働きもあり、癒しの機能があって、人と人とを結びつける)  2

 

熱燗(あつかん)や大風呂敷に点火せり (河野奉令「朝日俳壇」1月30日、大串章選、「「大風呂敷」に「点火せり」が言い得て妙。俳諧味あり。大言壮語する酔漢たちの声が聞こえる」と選者評)  3

 

冬服の釦桃色珊瑚かな (岩佐なを「東京新聞俳壇」1月30日、小澤實選、「冬服のボタンに桃色の珊瑚製のものを使っている。色のない世界の中で、そこだけ鮮やかな色が差され、印象的」と選者評)  4

 

叱られて目をつぶる猫春隣り (久保田万太郎、「目をつぶる」がいい、何をして叱られたのだろう、ひょっとしてお隣りの家の雌猫さんに強引に恋をしたのか、「春隣り」だもの、ありそうなこと) 5

 

天上に宴(うたげ)ありとや雪やまず (上村占魚、白色、密度、動きなどが調和して、雪が降りしきるのが非常に美しいときがある(いつもではないが)、眺めているうちに、視線はおのずと上に向かうが、たしかに「天上で宴」をしているように感じられる) 6

 

父酔ひて葬儀の花と共に倒る (島津亮、ありがちな光景だが、日本式の葬儀では、通夜や葬式の直後に参列者の会食があり、酒がでるからだ、飲み過ぎて酔っぱらう人もいる、キリスト教式のように、葬儀直後の会食はしない方がよいのかもしれない)  7

 

愛(かな)し妹を弓束(ゆづか)並べ巻きもころ男のこととし言はばいや片増しに (よみ人しらず『万葉集』巻14、「もころ男」は恋敵、「いとしい君を、弓束に藤を巻くように、しっかり抱いて寝るよ、僕の力が、恋敵のあの男と変らないと言うなら、もっともっと力強く巻いてやる」) 8

 

つれもなき人を恋ふとて山びこの応へするまで歎きつるかな (よみ人しらず『古今集』巻11、「貴女は本当につれない人ですね、僕は大声で貴女の名を呼んでしまった、そしたら貴女の声ではなく、こだまが返ってきたのです、あぁ悲しい」)  9

 

いかにして夜の心をなぐさめん昼はながめにさても暮しつ (和泉式部『千載集』巻14、「貴方が来ない夜は寂しくてたまらない、昼間はぼんやり外を眺めて寂しさをまぎらわしたけど、夜はそれもできない、あぁ、この寂しさをどうしてくれんのよ」) 10

 

おのづからさこそはあれと思ふまにまことに人の訪はずなりぬる (源経信の母『新古今』巻15、「これまで貴方が来なかったときは、「たまたま都合が悪かっただけよね」とあまり気にしなかった、でもずっと来てないじゃない、まさかもう来ないんじゃないわよね」、今でもありがちなこと) 11

 

はじめなき夢を夢とも知らずしてこの終はりをや醒め果てぬべき (式子内親王『家集』、「人はいつのまにか眠りに落ちるから、夢が映画みたいに始まる時を経験することはできない、だが「終り」はどうか、この人生そのものが儚い夢だとすると、その「終り」に果たして覚醒するのだろうか」) 12

 

蝶墜ちて大音響の結氷期 (富澤赤黄男『天の狼』1941、赤黄男の代表句の一つ、作者は動員されて中国の華中を転戦した、この句も、実際に戦闘機が撃墜された場面を詠んでいるのではないか) 13

 

憲兵の前で滑って転んぢやつた (渡辺白泉、1939、「通勤景観」という一連の句の中にあるから、都心の街路だろう、憲兵は基本は軍隊内部の警察だが、この頃すでに思想犯取締りを大々的に行っていた、作者も翌年「京大俳句」弾圧で検挙された) 14

 

雪野より梅野につゞく遠い雲 (高屋窓秋1970『ひかりの地』、ずっと遠くまで雪原が続いているが、その先に梅林が見えるのだろう、そこだけかすかに色が違うので分る、まるで「遠い雲」のように) 15

 

目つむりて雪崩(なだれ)聞きおり告白以後 (寺山修司1955「牧羊神」、寺山19歳の作、彼女に告白したのが実景かどうかは分らないが、彼は告白した後、胸がドキドキして、心中の雪崩の音を聞いている) 16

 

透明なたましいをひとつ住まわせる砂時計この空っぽの部屋 (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010、砂時計の上半分は「空っぽの部屋」だ、砂時計をひっくり返せば、そこへ直ちに砂が落ちる、だが砂時計をひっくり返さなければ、そこに住む「透明なたましい」と見つめ合うこともできる) 17

 

神々は留守 色チョーク取り出してなぐり書きする空暮れやすし (永井陽子『葦牙』1973、作者1951~2000は、孤独を基調としつつも、どこか音楽的な美しい歌を詠んだ人、子の歌も、孤独を詠んでいるが、「神々は留守」というユーモアと、「色チョーク」「なぐり書き」が呼応する) 18

 

海は海 唇嚙んでダッシュする少年がいてもいなくても海 (千葉聡『海、悲恋、夏の雫など』2015、今はいないけれど、少し前には、そこに「唇嚙んでダッシュする少年」がいたのだろう、蕪村「凧(いかのぼり)昨日の空のありどころ」を思い出させる) 19

 

手があれば胸をこうしてばってんに押さえて飛び立つだろう飛行機 (高柳蕗子2007、作者1953~は歌誌「かばん」所属、「ばってん」とは✕印のこと、空港で、巨大な旅客機が今飛び立とうとしているのか、機体は重く、滑走路からなかなか浮き上がらない、はらはらする作者) 20

 

夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで (仙波龍英『わたしは可愛い三月兎』1985、作者1952~2000は歌誌「短歌人」に所属、渋谷にPARCO3まで揃ったのが1981年、若者文化の象徴として輝いていた、しかし当時早くも、それがやがて「墓標」になる日を予見) 21

 

ヘッドライトさわればいまだにあたたかく言えずに終わってゆく物語 (吉岡太朗『ひだりききの機械』2014、作者1986~は第50回短歌研究新人賞受賞、これは恋の歌だろう、恋の始まりの頃の歌、一緒にドライブしたのだろう、でも言いたかったことを言えずにその日は終った) 22

 

一本はうしろ姿の冬木立 (和田耕三郎、冬木立の中に、一本だけ「うしろ姿」のように立っている木がある、普通は太陽光に対して一定の方向に葉が揃うのだが、その木だけそうなっていない、まるで立ち並ぶ人間の中で一人だけ向きが違うかのように) 23

 

冬空や猫塀づたひどこへもゆける (波多野爽波、「冬空」とあるから、この「塀」はかなり高い塀なのだろう、作者が見上げているとすぐ、猫はササッと「塀づたい」に行ってしまった、まるで空を行くように) 24

 

獺(かはうそ)の祭見て来よ瀬田の奥 (芭蕉1690、「膳所へゆく人に」と前書、芭蕉膳所に滞在した時の句、「獺の祭」とは、獺が採った魚を岸に並べる(本当か?)のを真似て、旧正月に祖先を祭る膳所近郊の習慣のこと、「それをぜひ見にいらっしゃい」と呼びかけたユーモア句) 25

 

つとめよと親もあたらぬ火燵(こたつ)かな (服部嵐雪、作者は芭蕉の弟子で、職業は武士、「自分の子供たちに刻苦勉励を説き、自分も炬燵にあたらない、炬燵の温かさは怠け心をもたらすから」) 26

 

出(いづ)べくとして出(で)ずなりぬうめの宿 (蕪村、「今日は外出すべき用事がないわけじゃないんだけど、家の梅の咲きぶりを何度も眺めているうちに、結局、一日中家にいちゃったな」) 27

 

梅咲てひときわ人の古びけり (一茶1808、「人」とは自分のこと、46歳で独り者の一茶は、相変わらず貧乏暮らしのまま、容貌もすっかり「古びてしまった」、瑞々しく咲いた梅の花は、自分の衰えと対照的だ) 28