今日のうた(131)  3月ぶん

今日のうた(131)  3月ぶん

少し狂って少し毀れてラジオ体操 (加藤久子『矩形の沼』、音楽+掛け声とともに行われるラジオ体操には、どこか不自然な感じがある、教師と大勢の者との「教練」関係が含まれるからだろう、このようにラジオ体操への批判的な視点は、川柳ならでは) 1

 

風景が動いていっただけの旅 (松永千秋、バスの団体旅行だろうか、あるいは新幹線の往復だけで時間の大半を消費した旅なのか、いずれにせよ、こういう旅も大いにありそう、作者は1949年生まれの川柳作家) 2

 

天井の目と目が合わぬようにする (榊陽子、布団にあおむけになっているのだろう、「天井の目」とは、天井の木目模様のある部分が「目」に見えるのか、あるいは、どこからということもないが、天井から自分が見下ろされていると感じるのか、作者は1968年生れの川柳作家) 3

 

干からびた君が好きだよ連れて行く (竹井紫乙(しおと)、「干からびた」と言われているのは人間だろうか、それとも、枯れた花を挿してゆくのか、まさか恋人では・・・、と思わせるところが面白い、作者は1970年生れの川柳作家) 4

 

のびあがる指あるいは手鎖のような管楽にひとは巻かれてうたう (井辻朱美『女性とジェンダーと短歌』2022、オーケストラの指揮者をまず見て、次に、指揮者を視線で追っている合唱団とソリストを見ているのか、指揮者の手指はオケと合唱の間に「鎖のような」絆を生み出している) 5

 

敵に弓引くしぐさに似て傘ひらくふつうに女がやるしかない (飯田有子『女性とジェンダーと短歌』2022、「ふつうに」が凄い、自分のジェンダー歌人はこのように詠う) 6

 

歩くのは地への口づけにほかならず爪先立ちでゆく昼の道 (飯田彩乃『女性とジェンダーと短歌』2022、歩くときは足の裏が地面に触れる、それを「地への口づけ」と捉えるのがいい、作者は大地に恋をしているのか、それとも人に恋をしているのか、あるいはその両方か) 7

 

(その連なりがうただというの?) にんげんの砦はほんとうにつまらない (井上法子『女性とジェンダーと短歌』2022、「にんげんの砦」とは何だろう、東京のような乱雑な都市の家屋かもしれない、それらはいくら「連なって」も、そこに抒情は感じられない) 8

 

どうやってそこに来たのか知らねども/渡りろうかとおるたび みつめる (今橋愛『女性とジェンダーと短歌』2022、前後の歌からすると、作者は小学校?の「渡りろうかを通るたび」に、校舎の端の5m位の高さにいつまでも引っかかっている「紺いろの髪ごむ」を見詰めてしまう) 9

 

海中に逆立つくぢらを助けんと仲間は来たり魚雷のごとく (梅内美華子『女性とジェンダーと短歌』2022、インドネシアのレンバタ島には、モリをもった人間が海中でクジラを殺す伝統捕鯨があり、それを詠んだ、刺されて「逆立つ」クジラに「魚雷のごとく」仲間が助けに来た) 10

 

瀬戸を擁く陸と島との桃二本 (高濱虚子1896、「瀬戸の音戸」と前書、呉市にある瀬戸内海の狭い海峡だ、現在は橋があるが当時は無かったのだろう、陸と島の端にそれぞれ、狭い海峡を抱くように、大きな桃の木が一本づつ咲いている) 11

 

遥かなる春着やこちへ来ず曲がる (山口誓子1946、「春着」は、本来は正月に女性が着る晴着だが、「春に着る衣服」という意味もある、昔は、遥か遠くでも「春着」はそれと分かったのだろう、最近のややユニセックスな洋装にも、「春着」というのはあるのだろうか) 12

 

魚ひかり春潮比重計浸せり (橋本多佳子1939、小豆島の海岸、塩田で詠んだ句、桟橋のような所に、海水の塩分を測定する「比重計」が浮かんでいるのだろう、そこへ「春潮」が寄せて、「魚がひかり、比重計が揺れている」) 13

 

入学試験幼き頸の溝ふかく (中村草田男『長子』、草田男は1933年に31歳で東大独文科を卒業、成蹊学園の教師になった、成蹊学園は当時、小中高校があった、中学を受験している小学生だろう、生徒たちを後から見ている、頭を深く垂れているので襟から「幼い頸の溝が深く」見える) 14

 

ゆく鴨に野のいとなみのはじまれる (加藤楸邨『寒雷』1939、春になると空を「ゆく鴨」に目がいくようになる、そして空から大地へゆっくり視線を戻し、「野のいとなみのはじまれる」と大きく受けとめる) 15

 

生ひ出でてきのふけふなる水草(みぐさ)かな (水原秋櫻子『葛飾』1930、「多摩川の春」という句群の一つ、川岸に近いあたりの水面には、わずかに「生ひ出でた」緑色の水草が、ここにもあそこにもあることに気づく、春の到来は情景を細部から変えてゆくのだ) 16

 

春の街馬を恍惚と見つつゆけり (石田波郷『鶴の眼』1939、1931年の句と思われるが、まだ「街」には馬がゆっくりと荷車を引いたりしていたのか、さっそうとした立派な馬が堂々と闊歩している、思わず「恍惚として見とれ、見ながら一緒に歩く」作者、春なのだ) 17

 

誰(た)そ彼と問はば答へむすべを無み君が使を帰しつるかも (よみ人しらず『万葉集』巻11、「もうちょっとで「誰なの、その男性は?」と母に尋ねられるところだった、どう答えていいか分からないので、先手を取って彼を帰してしまった、貴方のお使いなのにごめんなさい) 18

 

白河の知らずとも言はじそこ清み流れて世々にすまむと思へば (平貞文古今集』巻13、「今までは人に知られまいと忍んできたけれど、もう貴女を知らないとは言わないよ、清らかな河が底まで澄んでいるように、これから僕も君と一緒にずっと棲もうと思う」、「すむ」=澄む、棲む) 19

 

遭ふならぬ恋なぐさめのあらばこそつれなしとても思ひ絶へなめ (道因法師『千載集』巻12、「もし「遭わない恋」というのが慰めになるなら、つれない貴女なんかそうしたいけれど、いやだめです、それは少しも慰めにならない、僕は貴女を諦めることはできません」) 20

 

歎くらむ心を空に見てしがな立つ朝霧に身をやなさまし (女御徽子女王新古今集』巻15、「貴女に遭えずに大空に歎きます」という村上天皇の求愛の歌への返し、「お嘆きでいらっしゃるそのお心を、私は、朝霧になって、それが昇ってゆく空から拝見しましょうか」、巧みにかわした) 21

 

霞とも花とも言はじ春の色むなしき空にまづ著(しる)きかな (式子内親王『家集』、「春の空は虚空のように空しい、でも春の様子がはっきりとある、霞も見えないし、桜も見えないけれど」、式子にとって、春の空は「虚空のように空しい」、それは自分の人生を見ているからだろう) 22

 

私から逃れられずにしっとりと爪下にうかぶ永遠の半月 (小原史子「東京新聞歌壇」3月20日東直子選、「爪の半月を、本来の半月と照らし合わせて「私から逃れられない」特別な閉塞状態として描いた。体の小さな一部分に永遠を見出す着眼点が独特」と選者評) 23

 

大人になるのイヤだと言ったら友笑う私たち二十歳大人ゼロ歳 (松田わこ「朝日歌壇」3月20日、高野公彦/馬場あき子選、これが若者の実感ではないだろうか、法的には18歳成人になったが、明治時代と違い、今は誰しも「大人」になるのが遅い、実質は30歳弱くらいではないか) 24

 

産声の力強さや山笑ふ (小俣友里「東京新聞俳壇」3月20日、石田郷子選、「産声」と「山笑ふ」の取り合わせがいい、山も喜んでいるのだ、春の喜びとともに) 25

 

女子全員子の字の句会うららけし (大野宥之介「朝日俳壇」3月20日、高山れおな選、名前がすべて「~~子」で終るのは、年配の女性たちなのだろう、「うららけし」と受けたのがいい、春だもの) 26

 

麗しや皆働ける池の鴨 (松本たかし『松本たかし句集』1935、池の鴨たちはけっこうせわしく水に潜っては餌を採っている、それを「皆働ける」と詠み、「麗しや」とまとめた) 27

 

暖かや飴の中から桃太郎 (川端茅舎『川端茅舎句集』1934、金太郎飴は、断面のどこにも金太郎の顔がある棒状の飴を切ったもの、「桃太郎」のそれもあったのだろう、「桃」マーク付きの顔なのか、そして春だから「暖かや」と詠んだ)28

 

野に出れば人みなやさし桃の花 (高野素十、野ではなく、狭い我が家の庭だけれど、やっと桃の蕾が膨らんで咲きだした、同じ一本の樹の、枝の六割が赤い花、四割が白い花、今年は例年より遅いが、それでも素十の言うように、桃の花は「やさしい」) 29

 

泣いてゆく向うに母や春の風 (中村汀女1934、母親の姿が見えないので泣きながら歩いている小さな子、あっ、でもいた! あそこに、気づいた子は急いで駆けてゆく、「春の風」のように) 30

 

たんぽゝと小声で言ひてみて一人 (星野立子1954、知らない場所だろうか、自宅の庭だろうが、たんぽぽが咲いているのを見つけた、思わず「たんぽゝ」と声が出てしまった、周りには誰もいない) 31