今日のうた(133) 5月ぶん

今日のうた(133) 5月ぶん

 

てのひらは扉をひらき出入りするたびに違った表情をもつ (尾崎まゆみ『女性とジェンダーと短歌』2022、上司の部屋の「扉」なのか、それとも自宅の「扉」なのか、普通は自分の「てのひら」には注意しないが、たしかに「扉をひらく」時には、「てのひら」にはそのつどの「表情」がある) 1

 

踏みはづすならばおのれを くろがねの篩(ふるい)に揺らされて歩む世に (小原奈実『女性とジェンダーと短歌』2022、我々は電車やバスに揺らされて移動するように、つねに何らかの枠に囲われて揺らされながら生きている、でも、時にはその枠を「踏みはづし」て自由になりたい) 2

 

手拍子が火から炎へ煽っても自分の影を踏んでいくしか (帷子つらね『女性とジェンダーと短歌』2022、作者2000~は早大生、踊っているのだろう、「手拍子」が激しくなり、煽られた「火」が「炎」になって浮足立つ感じになるけれど、いや、しっかりと「自分の影を踏んで」いこう) 3

 

ロング缶1本 本日の墓標 (芳賀博子、作者1961~は川柳作家、健康のために、寝酒のビールを節制して、ショート缶にしているのか、しかし今夜はどうしてもたまらずにロング缶を空けてしまった、いかんなぁ、からになった缶が「墓標」に見える) 4

 

くちびると闇の間がいいんだよ (八上桐子、作者1961~は川柳作家、キスの直前、相手のわずかに開いた「くちびる」の奥に「闇」が見えているのか、それとも真っ暗な「闇」の中で相手の「くちびる」に触れるのか、「間(あいだ)」という語の不思議さ) 5

 

ハードルをいくつ倒すかまず決める (湊圭史、作者1973~は川柳作家、普通「ハードル」は越えてゆくものだから、「倒れる」のがあっても、それは結果だ、だが作者は事前に「いくつ倒すかまず決めて」から走る、人生の比喩だろうか) 6

 

やめたひとだけが集まるどうぶつえん (柳本々々、作者1981~は川柳作家、美術館に来る人は高齢者が多い、しかし「どうぶつえん」もそうだったのか、だが、考えてみればありそうなことでもある、「どうぶつえん」を好むのは、子ども以外は、退職者なのかもしれない) 7

 

音も無く転ぶ祭の真ん中で (竹井紫乙『白百合亭日常』2015、作者1970~は川柳作家、祭りで、何か景気のいい音楽に合わせて皆が踊っているのか、でもその「真ん中で」誰かが「転んで」しまった、しかも「音もなく」) 8

 

心には千遍(ちへ)敷く敷くに思へども使(つかひ)を遣らむすべの知らなく (よみ人しらず『万葉集』巻11、「僕は心の中で、繰返し繰返し千回も君のことを思っている、でも君のお母さんがずっと見張っていて、僕の言葉を君だけにうまく届ける方法が分らない、ああ」) 9

 

夕ぐれは雲のはたてにものぞ思ふ天つ空なる人を恋ふとて (よみ人しらず『古今集』巻11、「夕暮れになると、僕は雲の遠い果てを眺めては、深く歎きます、貴女は空のなんて遠くにいるのでしょう、そんな貴女をひたすら恋して」) 10

 

うたた寝の夢に逢ひ見てのちよりは人も頼めぬ暮れぞ待たるる (源慶法師『千載集』巻12「昼の仮寝の夢に貴女が現れたのです、その後は、もうどうしようもなく貴女に逢いたくて、貴女が言ったわけでもないのに僕が勝手に空想した(貴女の)来訪を待っています」) 11

 

春の夜の夢にあひつと見えつれば思ひ絶へにし人ぞまたるる (伊勢『新古今』巻15、「春の夜の夢で、まさかのあの人に逢っちゃった、そう、元カレよ、もうあきらめていたんだけど、ひょっとして来てくれないかしら、期待しちゃうわ」) 12

 

眺めつる遠(をち)の雲井もやよ如何に行方も知らぬ五月雨の空 (式子内親王『家集』、「空のあの一番遠くのあたりは、ほとんど雲だけれど、今はほんのちょっと青空が見えているような気もする、でもいったいどうなるのかしら、空を覆う五月雨の雲の動きはとても速いから」) 13

 

言はばやと思ふことのみ多かるをさて空しくやつひに果てなむ (『建礼門院右京大夫集』、「貴方に告げたいと思うことがこんなにあるのですが、告げられないまま、ついに終わってしまうのでしょうか」、1184年、一の谷合戦の二日前に作者27歳の恋人平資盛23歳は義経に討たれ戦死) 14

 

日を仰ぎ牡丹の園に這入りけり (虚子1925、五月の今頃は、急に日差しの強さを感じることがある、そういう日だったのだろう、まず「日を仰いで」から、牡丹園に「這うように入っていく」) 15

 

遠蛙見る灯は友の住むごとく (飯田龍太1952『百戸の谿』、山梨県境川村に住む作者、「夜道を歩きながら遠くの蛙の声を聞いていると、ある家の窓があいて、やはり蛙の声を聞こうとしている、誰かは知らないが親しみを感じる」) 16

 

おだまきやどの子も誰も子を負ひて (橋本多佳子1942『信濃』、木曽の寺で句会に出席した時の句、おだまきの花が美しく咲く中、何人もの小学生がみな小さな弟や妹をおぶっているのに強い印象を受けた、多佳子は自分が四女の母であり、子供を詠んだ句も多い) 17

 

青草の朝まだきなる日向(ひなた)かな (中村草田男『長子』1936、「初夏のごく早朝、太陽の光がまだ地平線の少し上あたりまでしか広がっていないのに、手前の草はもう青々として草の匂いを発散させている」、五月になると、こういう早朝もある) 18

 

屋上に見し朝焼のながからず (加藤楸邨1937『寒雷』、「朝焼け」は美しいが、長い時間は続かないように感じる、夕焼けの場合は、明るい昼間の空から太陽が徐々に去っていくから長く感じるだけかもしれない、それとも夕焼けと違って朝焼けはゆっくり眺める時間が少ないのか) 19

 

苺赤し一粒ほどの平安か (森澄雄1951、おそらく今なら詠まれない句だろう、苺が貴重だった頃、31歳の作者は三人の幼児を抱えて貧しい暮らしだった、一粒だけ自分が取り、残りは妻や子に譲ったのか) 20

 

麦青み鯉とる舟のゆき交へり (水原秋櫻子『葛飾』1930、利根川に接する手賀沼で詠んだ句、当時は現在より広かった、「鯉をとる舟」がゆっくり「ゆき交へる」のどかな光景) 21

 

寧(むし)ろすがし汗の少年のガラス工 (石田波郷『酒中花』1968、ガラス工の少年が汗だくになって棒を吹いているのだろうか、彼の汗も小さなガラス玉のようにキラキラと光っている) 22

 

ゴッホよりマチス菜の花蝶と化す (矢次洋平「東京新聞俳壇」5月22日、石田郷子選、「<菜の花蝶と化す>で晩春の季語。春の景色にゴッホよりはマチスの弾けるような色彩を思う作者」と選者評、菜の花の黄色が揺れて蝶が舞うようだというのは、まさにマチス的) 23

 

つまんねえつまんねえと猫のどけしや (加藤西葱「朝日俳壇」5月22日、高山れおな選、「猫のある“感じ”をよく捉えているのではないか。猫好き各位のご意見をうかがいたし」と選者評、まさにその通り) 24

 

どこまでも愛らしき瞳出でてくるマトリョーシカ春、寂しきロシア (尾崎淳子「朝日歌壇」5月22日、馬場あき子選、私も先日5歳と3歳の孫娘が我が家に来た時、とっておきのマトリョーシカを2セット出して並べてみせた、でもその時、やはり「ロシア」をふと思い出してしまう) 25

 

だいすきはかなしいおかねはむずかしいでも銭湯では髪をくくって (展翅零「東京新聞歌壇」5月22日、東直子選、この4月から地方から東京に就職して独り暮らしを始めた若い女性か、好きな人ができたけれど・・、お金のやりくりは苦労するけれど・・、銭湯ではしゃきっとする) 26

 

浅草の夜のにぎはひに/まぎれ入り/まぎれ出で来しさびしき心 (石川啄木『一握の砂』1910、啄木1886~1912は当時、朝日新聞の校正係から「朝日歌壇」の選歌も担当するようになっていた、しかしこの歌はいかにも啄木らしい「寂しさ」が詠まれている) 27

 

旅人の営みとして花摘めり悲しきわれも楽しき友も (与謝野晶子1937『白桜集』、夫の鉄幹を亡くした59歳の晶子は、悲しみの日々が続く、友人たちと旅に出るが、あまり楽しめない、「旅人の営みとして」一応「花を摘んだ」けれど、かえって悲しみが増してしまった) 28

 

わが手もて摘みてかざせるひと花も君に問われて面(おも)染めにけり (山川登美子1900、与謝野晶子と同時に師の鉄幹に恋してしまった登美子1879~1909は、晶子とはまったく違って、内気で恥ずかしがり屋の少女だった、摘んだ花を鉄幹に問われただけで赤面してしまう) 29

 

仏蘭西(ふらんす)のみやび少女(をとめ)がさしかざす勿忘草(わすれなぐさ)の空色の花 (北原白秋『桐の花』1913、「君には似つれ、/見もしらぬ少女なりけり」と詞書、白秋は、(写真でか実際にか)フランス人の美しい少女を見て、彼が思いを寄せている「君」と似ているのにすぐ気付いた) 30

 

人妻をうばはむほどの強さをば持てる男のあらば奪(と)られむ (岡本かの子『かろきねたみ』1912、岡本かの子1889~1939は画家岡本一平の妻、若い男性との恋愛を繰返し、堀切茂雄との恋愛は、夫の一平を含めた「三人同居」に発展した、この歌もユニークだ) 31