[今日の絵] 7月

[今日の絵] 7月

11 Velázquez : 侍女たち 1656

フーコー『言葉と物』によれば、これはルネサンス期から古典主義時代への移行を示す画期的な絵。本来くっきりと描かなければならないモデルの国王夫妻は、中央の鏡の中にぼんやりと描かれ、存在感がなく、まったく目立たないのに対して、右側の、部屋の奥のドアから入ってくる訪問者と、左側の画家は鮮明に描かれる。絵と、絵の鑑賞者である我々との関係で言えば、(国王夫妻の描かれた)鏡に映っているのは、本来は鑑賞者の我々のはずで、つまりそこは絵の外部にある「視点」なのだ。絵の中に本来は描き込むことはできない絵の外部の「視点」の位置に、国王夫妻がいるという離れ業をベラスケスはやった。つまり、モデル/それを視ている画家/その画家が描いたその画を視ている鑑賞者という、本来の絵画空間が崩れ、視点が勝手に絵の内部に滑り込んだので、絵というものが「表象の戯れ」に変わってしまった。

 

12 Manet : フォリー・ベルジェールのバー 1882

昨日のベラスケス『侍女たち』と同様、マネの最後の絵も、伝統的絵画における視点と対象との空間関係を壊した「表象の戯れ」になっている。この女性の後にあるのは巨大な鏡で、鏡の端は女性の腰の後の金色の太い帯で示されており、それは前にある大理石のカウンターと平行である、つまり鏡は斜めではなく、その前に立つ女性とともに真正面から描かれている。とすれば、女性の背面は女性の真後ろにあるから本来見えないはずだが、どういうわけか右側に描かれており、しかも女性のすぐ横に男が見える、この男は女性のすぐ正面にいるから、鏡像でない実物は、正面の女性を隠しつつその手前に後ろ姿が描かれるべきだが、男の背中はない。つまり、これはありえない絵で、「表象の遊び」なのだ。(フーコー『マネの絵画』)

 

13 Magritte : 水平線の神秘 1955

フーコー『これはパイプではない』によれば、マグリットの絵は、似たようなものが続く面白さにあり、「類似」ではなく「相似」から成り立つ、「類似」は母型=オリジナルがあって、それに似るという関係だが、「相似」にはオリジナルがなく、「始まりも終りもなくどちら向きにも踏破しうる[互いに似る]系列」だ

 

14 Eastman Johnson : Interior of a Farm House in Maine, 1865

イーストマン・ジョンソン1824~1906はアメリカの画家、肖像画や、南部の人々の生活などを描いた。この絵は「メイン州の農家の室内」だから東北部で、寒冷地だからだろう、窓は小さい。窓辺で編み物をする老婆、戸外では子供たちが遊んでいる、今日からは「窓」がテーマ

 

15 Sir Walter Russell : The Morning Room 1907

ウォルター・ラッセル卿1867~1949はイギリスの画家、これはいかにも上流階級の夫婦、大きな窓の室内は朝から光が溢れている、プライベートなのにきちんとした服装をしている、夫人の足は少しお行儀悪いけれど

 

16 Makovsky : By the open window, 1910

コンスタンティン・マコフスキ1839~1915はロシアの画家、結婚式の花嫁などを描いた、この絵は昨日のイギリス貴族の家とは雰囲気が違う、窓から体を外に乗り出しているのは、庶民の若い娘だろう、ロシアの夏は短く、一杯に開け放した窓から明るい庭を見るのは快い

 

17 Nikolai Astrup : Weekend 1912

ニコライ・アストラップ1880~1928はノルウェーモダニズムの画家、この絵は、お嬢さんが「さあ今日はデートの日」と張り切っているのだろう、室内の明るい花が彼女の気分を表している、外には赤ん坊を抱いた女性がいる、姉だろうか、「私も早く結婚したいな」

 

18 Hopper : Moonlight Interior, 1923

タイトルは「月明かりの室内」、これだけ窓が大きいと月光が溢れ、昼のように明るい、風でカーテンがめくれ、裸の彼女はちょっとあせっている、でも室内に灯りはないから、外からはよく見えない。エドワード・ホッパー1882~1967はアメリカ人の生活をたくさん描いた画家

 

19 Dali : 窓辺の少女 1925

ダリ1904~1989の20歳過ぎ頃の作品、モデルは妹のアナマリア、彼女はこの頃喜んで兄の絵のモデルをつとめていた、この絵はまだ写実的ではあるが、丸みのある身体とその周囲に、直線による抽象的リズムが脈打っている

 

20 Matisse : Blue Interior with Two Girls, 1947

この絵では、色をもつ面が、よく見ると多くの線の集合になっている、マティスの絵はその「色彩」を強調されることが多いが、人や物の形を含めた「線」の描き方が独創的なのだと思う

 

21 Giulia Pintus : Full moon melancholy

ジュリア・ピントゥスは現代イタリアの女性イラストレイター、ちょっと太めの女性がユーモラスに描かれる、この絵も曲線の組み合わせと呼応がとてもいい

 

22 釣りのシーン : 古代エジプト 1427-1400 BC.

漁師がとても生き生きと描かれている、西テーベにあるケムナンの墓の壁画、アメンホテプ二世の治世、若い漁師たちだろう、モリのようなもので突き刺して仕留めた魚を意気揚々と運んでいる

 

23 デルフォイ神殿の巫女 : 古代ギリシアの壺絵より BC480

巫女は神託を得ようとしており、巫女の右に見える青い帯のようなものは、地面の割れ目から出るガス状のものを吸い込んでいるとみられる、巫女は力強い表情をしている

 

24 Caravaggio : 女占い師 1594年頃

右側の美少年が、ジプシーらしい美人の「女占い師」に手相を見てもらっているが、よく見ると、女占い師は指環をこっそり抜き取ろうとしており、少年はそれに気付いていないらしい、何やら物語がありそうな絵

 

25 Vermeer : 天文学者 1668

フェルメールは「天文学者」の他に「地理学者」も描いており、どちらも同一人物で、モデルはレーウェンフック(商人で、顕微鏡で初めて微生物を観察した)らしい、だからどちらも天文学者でも地理学者でもないが、しかしこの絵はそう言われてみれば天文学者に見えるのが不思議

 

26 Manet : タバコを吸うジプシー 1862

「ジプシー」は多くの画家が描いた主題だが、これはマネが30歳でまだ有名になる以前の絵、「ジプシー」は単一民族ではなく、その中では北インド系の「ロマ」が多数派といわれる、この絵もたぶん「ロマ」の娘、ある種の逞しい感じが見事に描かれているのではないか

 

27 Albert Anker : Der Gemeindeschreiber 1874

アンカーはスイスの画家、タイトルは「村の書記」という意味だろう、スイスでは地方の村や町、教区などの事務をする人だが、ランクは事務局長クラスまであるようだ、この「書記」も役人の表情をしている

 

28 Boldini : Newspaperman in Paris 1878

パリの新聞売りのおじさん、あまり売れないのだろうか、売ろうと必死な様子が描かれている、声をからしており、目付きはやや虚ろだ、ボルディーニの人物にはつねに生き生きとした動性がある

 

29 ベルト・モリゾ『素敵な農婦』1889

タイトルのように、農村の女性だが、そんなに田舎っぽくもない、アドルノが『ドン・ジョバンニ』のツェルリーナについて述べているように、18世紀末のヨーロッパではすでに、都市近郊の農村はかなり都市文明の影響を受けて、洗練されてきているのだろう、ましてこれは19世紀末だから

 

30 Lesser Ury : Mädchen im Romanischen Café (Berlin) 1911

「ベルリンにあるロマのカフェの少女」、「ロマ」は「ジプシー」の一部の「ロマ」だろう、カフェはヨーロッパ各地にあったのだろうか、この少女はそこでメイドとして働いているのだろう、レッサー・ユリ1861~1931はドイツのユダヤ系の画家

 

31 William de Leftwich Dodge : The clothesline 1928

タイトルは「もの干しロープ」だが、あきらかに人間を描いている、この女性は逞しく、いわゆる「洗濯女」かもしれない、19世紀の終り頃、フランスではアイロンなど含めた洗濯業が女性の労働力の大きな部分を占めた、ウィリアム・ド・レフトウィッチ・ドッジ1867~1935はアメリカの画家