[演劇] 大池容子『かがやく都市』 うさぎストライプ

[演劇] 大池容子『かがやく都市』 うさぎストライプ公演 アトリエ春風舎 

(写真↓は、女子高校生・佐々木華が手にしている小さな人形、美術の授業で彼女はそれで遊んでいる、しかしもう一人の男子高校生・松崎は、都市の建物の模型を作った、この違いは大きい、でも、二人は終幕で初めて「友だち」になれそうになる、写真下の左は高校の美術教師、右は華の兄、兄妹は宇宙人)

上演は50分だが、ベケットを見ているようで、小さな舞台が大きな主題を表現している。東京という都市に「人がいなくなる」というのは、我々が「他者の心を理解できなくなる」ことの暗喩なのだ。高校の美術の時間、「理想の都市」の模型を作るのが課題。男子高校生・松崎は、建物が並ぶ模型を作る(女優が演じる↓、外見は可愛い少年にしか見えない、このトランスジェンダーは意味がある)。一方、一緒に授業を受けている女子高生・佐々木華は、都市の模型を作らず小さな人形を手にしている。彼女は本当は宇宙人なのだ。人間の姿をしているが他者が何を思っているのか理解できないので、どう行動してよいか分からず、友だちは一人もいない。彼女の兄も宇宙人で、工場で、すごろくのような「人生ゲーム」に使う極小のプラスチック人形だけを作っている。彼も孤独なのだ。宇宙人の兄妹はテレパシーのように相手の脳内に電波を送ってコミュニケーションするが、それでも互いに相手の思っていることをよく理解できない。「帰りに牛乳を買ってくる」という連絡が意味不明で、互いにイラつく。(↓トランスジェンダーの男子高校生松崎[宝保里実]と、宇宙人の女子高校生華[安藤歩]との遣り取りが初々しく、切ない、そしてあとの三人も、その自虐的な饒舌さの中に現代の孤独な若者をうまく表現できている)

誰の心もよく理解できない彼女は、寂しい思いで生きているから、「理想の都市」という授業の課題に対して、建物ではなく、まず最初に、そこにいるべき人間を考えてしまう。でも、最後には<救い>がありそうだ。終幕、華が松崎に「もし突然宇宙人が君の部屋に侵入してきたら、宇宙人は最初に何と言うかな?」と問うと、松崎は「友だちにならない? かな」、と答える。それが彼の「ファイナルアンサー」と知って、華は喜び、そして終幕。たぶん、松崎と華は今までも互いに好きだったのだろう。でもその思いを伝えることはできなかった。そう、今初めて「友だち」になれるかもしれない可能性が生まれたのだ! 私は、ベケット『しあわせな日々』の終幕を思い出した。そして、しおたにまみこの絵本『やねうらべやのおばけ』とも似ていると思った。そういえば、大池もしおたにも私の娘も36歳だ(関係ないか^^;)。そしてもう一つ、ひょっとして『十二夜』や『お気に召すまま』のトランスジェンダーは、「他者の心が理解できない」ことの暗喩を含意していたのかもしれないとも思った。大池容子はこれまで、不条理劇の形式で切ない愛を描いてきたが、この『かがやく都市』も、小品ながらキラリと光る名作だ。