今日のうた(141) 1月ぶん

[今日のうた] 1月ぶん

 

元日の事皆非なるはじめかな (虚子、「元日にはいつもの日とは違う何か新しさがある」、これは真理、しかし虚子の「去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの」もまた真理、どちらも味わい深い名句) 1.1

 

オリオンの盾(たて)新しき年に入る (橋本多佳子1952『海彦』、ちょうど正月の頃には、夜空にオリオン座が大きく輝いている、「オリオンの盾」がずーんと動いて新年に入った) 1.2

 

一月の川一月の谷の中 (飯田龍太1969『春の道』、作者の代表作の一つ、実景としては、作者の家の裏近くのそう大きくはない川や谷らしいが、句柄の雄大さゆえに、大きな川、大きな谷に感じられる) 1.3

 

人去りて賀状それぞれ言葉発す (角川源義、正月の訪問客が去ったあと、今度は年賀状をゆっくり読む、昔は、というか本来は、一番大切な人には正月に直接挨拶に行き、行けない人や遠方の人に、挨拶を代行するのが年賀状だったのか) 1.4

 

新妻の友の賀状もちらほらと (五十嵐播水1899~2000、作者は昨年結婚したのだろう、昨年までと違って今年の正月は、妻の友人からの年賀状も一緒に郵便受けにある、「新妻の友」はどんな人なのだろうと、少し気になる) 1.5

 

初電話果して彼の声なりし (高濱年尾、「初電話」という季語がある、新年になって初めてする電話のこと一般か、それとも、年賀状のように、何らかの挨拶の意味で新年に電話する習慣の人がいたのか、たしかに今のSNSでも、新年最初の遣り取りはちょっと挨拶っぽい) 1.6

 

梓弓末は寄り寝むまさかこそ人目を多み汝(な)をはしに置け (よみ人しらず『万葉集』巻14 、「まさか」=現在、「梓弓の端が必ず合体するように、いずれ君と僕は共寝しようね、今はただ、人目が多いから、わざとそっけなくしているだけさ」) 1.7

 

命にもまさりて惜しくあるものは見果てぬ夢の覚むるなりけり (壬生忠岑古今集』巻12、「命が消えるのも辛いけれど、もっと辛いものが今朝ありました、貴女と逢っている夢を見ていたのに、終わりまでいかないうちに、目覚めてしまったからです」) 1.8

 

あらはにも見ゆるものかな玉簾(たまだれ)のみすかし顔は誰もかくるな (和泉式部『家集』、「見渡しなる処に、見ゆる人々に言ひやる」と前書、「あらまあ、御簾があっても顔は透けてはっきり見えちゃうのね、私の顔のこと、見えちゃっても、誰にも言わないでね」) 1.9

 

思ひきや夢をこの世の契りにて覚むる別れを嘆くべしとは (俊恵法師『千載集』巻12 、「ああ、思ってもみませんでした、貴女と愛の契りをしたのに、それが夢の中だったと気づいたときは、もう夢から覚めていて、貴女との別れを嘆くことしかできないとは」) 1.10

 

はし鷹の野守の鏡得てしがな思ひ思はずよそながら見む(よみ人しらず『新古今』巻15、「鷹狩のときに見失った鷹が、野中の池の水に映っているのを発見されたように、僕にも「野守の鏡」がほしいなぁ、貴女が僕を思っているのか思っていないのか、鏡を覗いて知りたいから」) 1.11

 

入りしより身をこそくだけ浅からずしのぶの山の岩のかけ路(みち) (式子内親王『家集』、「ああ、どうしてこんなに険しい恋の道に入り込んでしまったのかしら、私の体が砕けてしまいそう、人に言えない忍ぶの山の、あの懸(か)け道、恋の道に入り込んだからなのね」) 1.12

 

生きているどのことよりも明々(あかあか)といま胸にある海までの距離 (永井陽子『葦牙』1973、作者1951~2000の若い時の歌、永井陽子は、一貫して<ひとを恋ふるかなしみ>を詠んできた人、この歌でも、海までの距離はたぶん遠い) 1.13

 

いとしさもざんぶと捨てる冬の川数珠つながりの怒りも捨てる (辰巳泰子『紅い花』1989、別れるのは恋人なのか夫なのか、でも別れは辛い、なかなか捨てられない「いとしさ」を思い切って「冬の川にざんぶと捨てる」、それによってやっと「数珠つながりの怒り」も一緒に川に流せる) 1.14

 

明け方に雪そっくりな虫が降り誰にも区別がつかないのです (穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』2001、発想がいい、雪と区別がつかない白い小さな虫が降るなんて面白い、「虫」が微生物だとすれば、実際に雪に混じっているかもしれないし) 1.15

 

さやうなら煙のやうに日のやうに眠りにおちるやうに消えるよ (小池純代『雅族』1991、韻律がいい、冒頭の「さやうなら」の「やうな」の後に、「やうに」「やうに」「やうに」が三回続き、歌そのものが「眠りにおちる」経過の「やうに」響いている) 1.16

 

1月後半は休みます。