[演劇] 木ノ下歌舞伎『桜姫東文章』

[演劇] 木ノ下歌舞伎『桜姫東文章』 池袋あうるすぽっと 2月8日

(写真は舞台↓、全体が劇中劇のような廃屋仕立てで、不良っぽい今風の若者が素早く動き回るポップな感じは、悪くないのだが・・)

木ノ下歌舞伎が現代劇化した『心中天の網島』は、ものすごく感動的で、文楽の原作以上に素晴らしかった。今回の『桜姫』の原作は歌舞伎で、一昨年、玉三郎/桜姫と仁左衛門権助の圧倒的な舞台を見たので、どうしても比べてしまう。おそらく原作は、メリハリある濃い色気が溢れまくる(玉三郎仁左衛門版はものすごくエロかった)、一種のドタバタ喜劇なのだと思う。桜姫の転生・変転に悲劇的な要素はあるが、全体がとても楽しく、とにかく面白い。それに比べると、今回の舞台は、全体が白けた感じで、印象が大きく違う。成河の権助はともかく、石橋静河の桜姫には色気がほとんどなく、今風のさっぱりした女の子だが、お姫様らしくない↓。男の子たちの不良グループの中で、それなりに人気のある、つっぱりねえちゃん、といった感じ。原作では、桜姫は最後までお姫様キャラを貫き通すぶっ飛んだ女だが、この上演ではだいぶ違う。「前世の美少年の生まれ変わり」と言われて、本人は「ピンとこないわ」と言ったが、観客から見てもまったくピンとこない。終幕では、秘伝家宝の「都鳥」を投げ捨てちゃうし、いったいどうなってんの?そして、何人かの、チェルフィッチュ特有の、体をゆらゆら動かす脱力系の仕草は、何を意図しているのか分からなかった。長浦と残月のキャラの面白さは原作通りだが、個性がよく分からない登場人物もかなりあった。(写真↓は、権助(成河)と桜姫(石橋静河)、その下は舞台、左端の長浦に抱かれている丸いものは桜姫が産んだ赤ん坊、電子音で泣くのがいい)

歌舞伎特有の「見得」もあり、随所に観客の笑いをとる場面はあるのだが、笑いは短く終わって、そのつど白けた感じになってしまう。劇全体を意図的にそう作ったのだろうが、メリハリがなく、面白味もあまりない舞台になったのではないか。桜姫の、あのセクシーで溢れる色気、あっつーい感じがないのだ。終幕、赤ん坊も権助も自分で殺して、ちゃっかりお姫様にカムバックする、あのぶっ飛んだ姫キャラがこの作品の肝なのだから。「パンがなければケーキたべればいいじゃん」と真顔で言っちゃうような、何も考えてない不思議ちゃん、それでいて超絶魅力的、だから周りが振り回される、これが本来の桜姫なのだ。木ノ下歌舞伎は幾つか見たが、現代劇化がすべて成功しているとも思えない。歌舞伎に詳しい人が見ると、「改作」部分が色々と面白いのかもしれないが、私のような一般客には、よく分からない舞台だった。