[映画] 濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』

[映画] 濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』 DVD

(写真は左から高槻[岡田将生]、家福[西島英俊]、みさき[三浦透子])

村上春樹の原作「ドライブ・マイ・カー」は、文学としては二流の作品だが、それを、やはり村上春樹の「シェエラザード」と重ね、さらにチェーホフ『ワーニャ叔父さん』と呼応させることによって、映像だけで人間の感情を深く描き出す傑出した映画作品となった。愛の喪失によって、自分の人生を深く沈めてしまった一人の男と一人の女が、偶然に仕事で知り合うことによって、さらにまた、愛を成就している素晴らしい他者と出合うことによって、互いに励まされ、生き直すきっかけをつかむ物語である。最初この映画を見た時には、雇われたドライバーである渡利みさきがソーニャで、主人公の家福がワーニャであり、家福がみさきによって一方的に励まされ・救済されるように感じたが、そうではなく、二人はともに相手から励まされる。みさきは、母に虐待されて育ち、友だちも一人もいない孤独な23歳、車の運転は上手いが、不愛想で、器量も悪い、可愛げのない女。家福は46歳、俳優で演出家だが、美人の女優だった妻を失って失意のどん底にいる。しかも最愛の妻が4人もの若い男優とセックスをしていたことに、深い衝撃を受け、自分と妻の間には本当の愛はなかったのではないかという懐疑に悩まされている。しかし、広島での演劇祭で、仕事として二人は出合う。これはワーニャとソーニャが、「さあ働きましょう、仕事をしましょう」と言い合って立ち直ることに対応している。(写真↓は、劇中劇『ワーニャ叔父さん』終幕、手話で話すソーニャと、ソーニャに励まされるワーニャ)

そして、終幕近く、家福の苦悩を知ったみさきは、彼にこう言う、「(男優と寝た)奥さんは、その人に心なんて惹かれていなかったんじゃないですか、だから寝たんです。・・・女の人にはそういうところがあるんです。そういうのって、病のようなものなんです。・・頭で考えても仕方がありあません。こちらでやりくりして、吞み込んで、ただやっていくしかないんです」。この言葉が決定的な契機となって、家福は救済される。彼は、妻と男優とのセックスが、二人の愛の証拠であると考えて疑わず、自分が妻との愛を失うことを恐れて、妻に浮気を問い糾すことができなかった。だが、それは間違った恐れ、間違った態度だったことに、今、初めて気が付いた。セックスは愛の本質ではない、ということに。(写真は、家福の妻の音(おと)[霧島れいか]、彼女の一番重要なシーンは冒頭「シェエラザード」から採った「やつめうなぎ」の話)

一方、みさきは、この演劇祭の実質上のプロデューサーである韓国人のユンスと、その妻で聴覚障害者であるユナ(彼女は演劇祭で、手話でソーニャを演じる)の、愛で結ばれた夫婦に接して、愛が可能であることを知る。終幕、家福から愛車「サーボ900ターボ」を贈られたみさきは、韓国に渡り、ユンス・ユナ夫婦の家政婦として働く?ことになった。この夫婦は、何という素晴らしい人たちなのだろう!映像だけから、彼らは我々に深い印象を残す。家福もみさきも、ユンス・ユナ夫妻から愛を贈与されて、ともに人生を生きる喜びを発見したのだ。何という素晴らしい物語! 夫妻は決して脇役ではない。チェーホフ劇が皆そうであるように、本作は、主人公はいない群像劇なのだ。原作を掘り下げ、大きく発展させたので、この映画は名作となった。(写真↓は、ユンス・ユナ夫妻[ジン・デヨン/パク・ユリム])

動画がありました。

映画『ドライブ・マイ・カー』公式サイト (bitters.co.jp)