[今日のうた] 6月

[今日のうた] 6月

 

うち竝び鏡にむかふ衣替 (高濱虚子1897、衣替えの日、昨日までとは違うので、出かける前に鏡に向かう時間がどうしても長くなってしまう、二人一緒になってしまった) 1

 

扇風器大き翼をやすめたり (山口誓子1929、扇風機と扇風器は違うのかどうか分からないが、私の子供の頃はまだ、天井から大きな羽が回るように吊るす扇風器がたくさんあった、止まっているときは、本当に、部屋の中に「大き翼をやすめたり」だった) 2

 

麦刈が立ちて遠山(とほやま)恋ひにけり (橋本多佳子『紅絲』、麦秋が熟して刈り取られるのが「麦刈」、麦秋の頃は前景の麦のうねりに気を取られるが、麦が刈り取られると、ぽっかりと空間が広がり「遠山」がよく見える、蕪村に「麦刈て遠山見せよ窓の前」がある) 3

 

夜の雲に噴煙うつる新樹かな (水原秋櫻子『葛飾』1930、すがすがしい軽井沢の夜、浅間山の白い噴煙が上空の雲に合体してゆくのが見える、手前に溢れる新樹の緑) 4

 

田を植ゑるしづかな音へ出でにけり (中村草田男『長子』1936、田植えは今は機械だが、以前は水田の中に人が中腰になって一本一本手で植えていた、「しづかな音」だが特徴のある音なのだろう、そういう音が聞こえたので思わず外へ出てしまった) 5

 

咲きいでし花の単色夏に入る (飯田龍太1949『百戸の谿』、「花の単色」とだけ言ったのがすごい、何の花か、何色かは分からない、でもその花の色がくっきりと鮮やかで、いよいよ夏になったのだという感慨はよく分る、俳句は<省略的>言語表現が肝心) 6

 

己が影跳びもはなれずみちをしへ (阿波野青畝『萬兩』1931、「みちをしへ」は夏の季語で、虫の名、近づくと飛ぶので「道を教える」かのようだ、それを「己が影」に適用したのが凄い、こちらは「跳びもはなれず」だが、自分の立ち位置と方向を教えてくれる) 7

 

夏の夜の地よりあがりし蝶々かな (永田耕衣『加古・傲霜』1934、春の野原をひらひらと飛ぶ蝶々ではない、「夏の夜の暗い地面から湧き上がるように」現れた蝶々、独特の存在感が) 8

 

一生の楽しきころのソーダ水 (富安風生『朴落葉』1950、作者は逓信省次官まで務めた官僚、当時65歳、「一生の楽しきころ」とは、たぶん若い時だろう、友人たちと楽しく遊んだときか、いま眼前にある「ソーダ水」からその時の情景を想起する) 9

 

 

晩年や何を今更更衣(ころもがえ) (齊藤まさし「朝日俳壇」6月9日、長谷川櫂/小林貴子共選、「何をいまさら」がいい、高齢者だから更衣なんてどうでもいい、ではなく、高齢者だからこそ、実は心中では、更衣のおしゃれを若者以上に楽しんでいるのか) 10

 

雨蛙起死回生の大ジャンプ (石田寛「東京新聞俳壇」6月9日、石田郷子選、「生きるか死ぬかの瀬戸際に見せた雨蛙の大ジャンプ。ユーモアを交えつつ小さな生き物の営みをたたえた」と選者評) 11

 

遠浅の海でわたしが「同意する」夜の静寂にクジラの鳴く声 (佐藤建「東京新聞歌壇」6月9日、東直子選、彼女と私が遠浅の海に出て、私が同意したのか(結婚?)、「「同意する」と、かっこで括られているのは、本心ではなくそうせざるを得なかった状況が込められているのだろう。クジラの鳴き声が痛切に響く」と選者評) 12

 

えらそうに言っちゃうときもあるけれどごめんね全部思春期のせい

(山添葵「朝日歌壇」6月9日、高野公彦/永田和宏共選、女子高校生などは、たとえばグループでいるときなど、えらそうに振る舞うこともある、そういう感じの光景だろうか) 13

 

先んじて戀のあまさと/かなしさを知りし我なり/先んじて老ゆ (石川啄木『一握の砂』1910、「先んじて」というのは、同世代の友人たちに「先んじて」ということか、「先んじて老ゆ」が率直で、悲しい) 14

 

みなし児の心のごとし立ちのぼる白雲の中に行かむとおもふ (斎藤茂吉1912『赤光』、30歳の茂吉は前年、東大医学部を卒業し、巣鴨精神病院に勤めた、母の死は13年、結婚は14年だが、この時期茂吉は、「みなし児の心のごとく」孤独だった) 15

 

風はかく清くも吹くかものなべて虚しき跡にわれは立てれば (佐藤佐太郎1945『立房』、45年5月の空襲で家財を焼かれた佐太郎は、岩波書店を辞め、宮城県の故郷に疎開、9月に単身上京、「風はかく清くも吹くか」の詠嘆が印象的) 16

 

宵の間にほのかに人を三日月の飽かで入りにし影ぞ戀しき (藤原為忠『金葉和歌集』、「ようやく始まった恋なのに、貴女は、宵のうちにちらっとお逢いできただけで、たちまちいなくなりましたね、まるで新月がわずかの間しか見られないみたいで、辛いです」) 17

 

ただ頼めたとへば人のいつはりを重ねてこそはまたも恨みめ (慈円『新古今』巻13、「いいわ、たとえ貴方の約束が嘘であっても、ただひたすら信じることにしましょう、恨むのは、貴方が二度目の嘘をついたときにするわ」、女の立場で詠んだ) 18

 

いま来むと契りしことは夢ながら見し夜に似たる有明の月 (源通具『新古今』巻14、「今すぐ行くよと貴方は約束した、でも来なかった、そうか、あれは夢の中だったのね、気が付くともう明け方で月が見えるわ、貴方と逢った時とそっくりの月が」、女の立場で詠んだ) 19

 

夏衣うすくや人のなりぬらむ空蝉(うつせみ)の音(ね)に濡るる袖かな (俊成卿女『續後拾遺集』、「貴方が私を思う気持ちは、うすい夏衣のようにうすくなったのかしら、いま鳴いているあの蝉の羽のようにうすくなったのね、ああ悲しい」) 20

 

短夜のパリーが好きで何時發つや (池内友次郎、今日は夏至、パリでは夜10時頃まで日が暮れない「短夜」だという、作者1906-91は虚子の次男、作曲家でパリ音楽院に初めて入学した日本人) 21

 

我に似るなふたつに割れし真桑瓜(まくはうり) (芭蕉1690、「このおいしそうな真桑瓜を二つに割ったら、二つともそっくりだね、でもね、君はこの僕を真似ちゃだめだよ、処世術が下手な僕を」、作者を慕う弟子に与えた句、やや風刺か) 22

 

蚊を焼くや褒姒(ほうじ)が閨(ねや)の私語(ささめごと) (榎本其角、「今、蚊遣火を焚きながら、遊女の○○ちゃんと睦み合ってるんだ、周の王様の妾だったあの美女の褒姒に似た娘、笑顔が可愛いな」、褒姒は笑わない女だったが、王がうっかり火を焚いて人が駆け付けたので笑ったという) 23

 

恋しらぬ女の粽(ちまき)不形(ふなり)なり (上島鬼貫、「ちまき」は中国伝来だが、日本では端午の節句の祝いなど、縁起ものとして食されていた、「形がよい」ことが重要なのだろう、「不形=形が整わない」ちまきを、器量のやや劣った女の顔に重ねているのか) 24

 

明けやすき夜(よ)をかくしてや東山(ひがしやま) (蕪村、「いやぁ、今夜の飲み会、楽しかったな、料亭を出るともう明け方よ、東の空が白んでる、でも手前の東山が大きく黒々と立ちはだかっている、夜をそこに隠してるみたいじゃん」、画家らしい面白い見立て) 25

 

夜に入ればせい出してわく清水かな (一茶、昼間は「わき出し」が乏しかった清水なのに、夜になると「精出して」じゃんじゃん「わく」ように感じられる、たぶん一茶の思い過ごしかもしれないが、そう感じるところが面白い) 26

 

夜道ゆく君と手と手が触れ合ふたび我は清くも醜くもなる (栗木京子「二十歳の譜」、作者は19才の京大生、彼氏ができたばかりで、手をつなぐのはまだちょっと恥ずかしい) 27

 

雨に会うそのためにだけに作られた傘を広げて君を待ってる (木下侑介、このロマンチックな感じ、リルケの詩のよう) 28

 

朝の陽にまみれてみえなくなりそうなおまえを足で起こす日曜 (穂村弘『シンジケート』、恋人の彼女は作者を信じ切ってぐっすり眠っている、平安時代の「後朝の朝」より、ずっとロマンチック) 29

 

海溝の深みからわきおこるごと愛は水面のみを目指せり (小林久美子、「海溝の深みから湧きおこる」愛は、ひたすら「水面のみを目指して」上昇してゆく) 30