[折々の言葉] 9,10月
僕は再び僕自身です。他の人なら道端にころがっていても拾い上げそうもないこの「自己」を、再び僕は手に入れました。(キルケゴール『反復』) 9.2
沈黙が言葉に優ることもあれば、言葉が沈黙に優ることもある。(エウリピデス『オレステス』) 6
思い出の中では、あらゆる出来事に音楽が寄り添っているような気がします。だから舞台の袖からヴァイオリンが聞こえてくるのです。(テネシー・ウィリアムズ『ガラスの動物園』) 9
死とは・・・、モーツァルトを聴けなくなることです。(アルバート・アインシュタイン) 13
その人は36歳にして、あぁ、あまりにも早く! このすばらしい、しかし感謝を知らぬ世界を去ってゆきました。あぁ、神さま、8年のあいだ私たちは、この世では断ち切れることのない、このうえなくやさしい絆で結ばれていました。あぁ、永遠にあなたと結ばれるときが早くきますように! (モーツァルトが死んだ日、妻のコンスタンツェ) 16
モーツァルトが旋律の霊感を得るのは音楽を耳にするときではなく、生を目にする時、かぎりなく生き生きとした南国の生を目にするときなのだ。イタリアにいない時、彼はいつもイタリアを夢みていた。(ニーチェ『人間的、あまりに人間的』) 20
テレザを鏡に引きつけたのはうぬぼれではなく、自分自身を見ることの驚きであった。そこでしばしば鏡の前に立った。母親がそんなことをしているテレザを見つけることをテレザは恐れたので、鏡を覗くことは秘められたささやかな興奮という性格をもっていた。(ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』) 23
テーブルの上に広げた本が置いてあったことが、ウェイトレスのテレザにとって、トマーシュをより高いものにした。そういう客はこれまで誰もいなかった。本はテレザにとって友愛関係のしるしで、彼女を取り巻く粗野な世界に対する唯一の武器だった。(ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』) 27
必然性ではなく、偶然性にこそ不思議な力が満ちている。[テレザとトマシュの]恋が忘れがたいものであるならば、その最初の瞬間から、偶然というものが、アッシジのフランチェスコの肩に鳥が飛んでくるように、つぎつぎと舞い降りてこなければならない。 (ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』) 30
テレザの夢は多弁であるのみならず、美しくもあった。これはフロイトの夢の理論で欠落している状況である。夢は、単なる伝達(場合によっては暗号化された伝達)ではなく、美的活動であり、それ自身が価値のある想像力の遊びなのである。(ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』) 10.4
貴女の力によって、私の作品は、私の心の中で、神聖なものになりました。自分の大きな夢想が、その善悪とともに、実現されたような気持です。というのも、貴女のエッセイと私の詩の関係は、ちょうど夢と現実、願望と実現という関係になるのですから。(21歳のリルケが36歳のザロメに書いた最初の手紙) 7
愛する事はよい事です。愛は困難だからです。人間と人間の間の愛着、それはおそらく私たちに課せられた最も困難な事であり、最後の試練であり試験であって、他の仕事はただその為の準備にすぎません。だから若い人々にはまだ愛は不可能で、彼らは愛を学ばねばなりません。(リルケ『若き詩人への手紙』) 11
あなたに近い人々が、遠い、とあなたはおっしゃるが、それこそ、あなたの周囲が広くなりはじめた兆(きざ)しだからです。そしてもしもあなたの近くが遠いならば、あなたの遠さはもはや星々の下にあり、非常に大きくなっています。(リルケ『若き詩人への手紙』) 14
よい教育とは、人が危険な目にも遭わず、また不都合もなくて、あらゆる種類の享楽に到達できるようにする教育、それ以外の何ものでもありません。(ディドロ『ラモーの甥』) 18
どうして世の中には、あんなに冷酷で、うるさい、付き合いにくい信心屋が多いのでしょう。それは、彼らが自分の性に合わない仕事を無理にやっているからです。そのことで彼らは苦しんでいます。そして人は自分が苦しむ時には、他人も苦しませようとするのです。(ディドロ『ラモーの甥』) 21
社会という和声の中には、不協和音も必要で、人は、協和音と不協和音とをうまく合わせることができなくてはなりません。完全協和音の連続くらい退屈なものはありません。何かぴりっとしたもの、光の束をを解き、光線を飛び散らせるものがなくちゃなりません。(ディドロ『ラモーの甥』) 25
規則正しく生活し、規則正しく仕事をしていると、たいていのものごとはやり過ごすことができます。誉められてもけなされても、好かれても嫌われても、敬われても馬鹿にされても、規則正しさが全てを平準化していってくれます。(村上春樹) 28