[演劇] チャペック『ロボット』 ノゾエ征爾演出

[演劇] チャペック『ロボット』 シアタートラム 11.20

(↓最初に登場する人間の一番美しい女ヘレネ[朝夏まなと]、後半、彼女はロボットに生れ変わる。そして終幕、やはりロボットのプリムス[内田健司]と二人で、最後に生き残ったロボットから、新たに生まれる人類のイヴとアダムに転生する。右端は、最後の人間となった、アルクビスト建築士[水田航生]。この三人の間で、木霊が樹々の間を行き交うように、互いに愛が贈与される。『ピノキオ』と同様、ロボットは人間にならなければならないのだ)

ノゾエ征爾演出。ヘッセ『デミアン』1919、プッチーニトゥーランドット≫1926初演等、第一次大戦直後の芸術作品は、終末論的情況のただ中で<愛>を讃えている。チャペック『ロボット』1920も、そうした系譜のド直球の作品で、おそらく西洋演劇の最高傑作の一つ。人間はロボットを発明し、苦しい労働をロボットに代替し、労働と生産の苦しみから自由になろうとした。そのためには、ロボットに感情や心を与えず、機械のままにしておいた。しかし、やがて機械のはずのロボットに感情が生まれ、人間を憎み、反抗し始めた(↓アルクビスト建築士に反抗する三人のロボット)。

やがてロボットの反抗が勝利し、人間はすべて滅びることになるが、しかし人間ヘレネがロボットの設計図である機密文書を誤まって燃やしてしまい、ロボットも20年後に再生が不可能になり滅びることになる。ところが、最後に生き残るロボットであるプリムスとヘレネの間に<愛>の感情が生まれ、二人は、新しい人間アダムとイブに進化する。やがて二人に子どもが生まれ、この地球という星に再び人間が存在するようになるだろう。要するに、『ロボット』は「ノアの箱舟」のような、終末論に立ち向かう生命の物語なのだ。ロボットにも生命がある! 終幕、二人のロボットに<愛>の感情が生まれる瞬間は、何と美しく感動的なのだろう! 観客席の私の隣の女性は泣いていた。モーツァルト魔笛』の終幕「パ・パ・パ」のシーンと同様、およそ芸術に表現可能な究極のもの、「永遠の今」が現出している。

1分半の動画

https://www.youtube.com/watch?v=p_MPoAOFfrY