[歌舞伎] 玉三郎主演『阿古屋』ほか

[歌舞伎] 玉三郎主演『阿古屋』、『江島生島』、『人情噺文七元結』 歌舞伎座 2.25

(『阿古屋』↑の左から、阿古屋(玉三郎)、重忠(菊之助)、岩永(種之助)、そして胡弓を弾く阿古屋)

今回、三作品それぞれの成立事情が面白かった。1732年初演『阿古屋』は半分くらい文楽の様式を残している。『江島生島』は1913年、長谷川時雨作の新作歌舞伎、『人情噺文七元結』は1902年、三遊亭円朝の落語の人情噺を歌舞伎化。歌舞伎作品は多様だ。後二者は演出も振付も分っているようだ。

 『阿古屋』は先日、文楽を観たばかりなので、人間と人形の身体の動きの差が面白かった。たとえば岩永の「人形振り」は人間が人形のように動いてみせるわけだが、フランスの「太陽劇団」や日本の「クナウカ」など現代の劇団も実行しており、歌舞伎『阿古屋』は文楽『阿古屋』と同年初演だから、当時からその発想があったのだ。人間身体が人形のように動くのは、通常の人間身体にはできないある種の自由さがあり、そこが面白いのだ。歌舞伎は、生身の人間身体の動きの美しさを見せるという点で卓越している。たとえば、正面の襖が左右にさっと開いて、重忠がすっくと歩み出るシーンは本当に美しい。この正面から現れる美しさというのは、たぶん人形には出せないだろう。

 三種の楽器の演奏も見事だった。作品全体100分のうち40分以上が楽器の演奏だ。琴、三味線、胡弓のそれぞれが三器の三味線と呼応する様が素晴らしく、高度な弦楽合奏になっている。琴はチェンバロ協奏曲、三味線はビオラ協奏曲、胡弓はヴァイオリン協奏曲のようだった。胡弓では、ヴァイオリン協奏曲にある速いパッセージのコーダのようなものもあり、思わず唸ってしまう。西洋と日本の違いはあっても、作曲家は似たようなことを考えるのかもしれない。

『江島生島』↑は短い作品だが、ほとんど<踊り>だけで複雑な感情が表現されているのが見事だった。

 

『人情噺文七元結』↑は、<切ない>感じが、ちょっとチェホフに似ている。大切な大金を通りすがりの困っている人に思わずやってしまうのは、江戸の人情ものによくある類型的な発想だが、歌舞伎の題材としてはよく出来た物語。