[演劇] ヤスミナ・レザ『Carnage(カルナージュ)』 成城・アトリエ第Q藝術 3.26

『Carnage(カルナージュ)』を成城の小劇場、アトリエ第Q藝術で鑑賞。観客50人の小劇場だが、素晴らしい舞台だった。同作品を観たのは、2011年シス・カンパニー公演で大竹しのぶ、段田安則、秋山菜津子、高橋克実の四人上演だが、それに勝るとも劣らない名舞台。フランスの女性作家ヤスミナ・レザ1959~の代表作で、原題は「Le dieu du carnage(殺戮の神)」。この「殺戮」は本作では「怒りの爆発」を意味しているが、言葉によるコミュニケーションの限界を示すという点で、ツイッター(X)の「炎上」に通じるように感じた。
11歳の息子が同じクラスの別の男の子をケガさせてしまい、親同士4人が謝罪と和解のために集まるが、最初は上品に会話していたのが、次第に険悪になり、めちゃくちゃな大喧嘩の醜態になってしまう。彼らはいずれも現代フランスの知的なエリートで、なぜ自分がこのように行動するか、自分の行為を言葉で説明するのだが、まさにそれが裏目に出てしまうのが、ツイッターの「炎上」に似ている。これは、現在我々自身に起きていることで、四人のコミュニケーション破綻は、我々自身の鏡像なのだ。この作品は、アネット(伊東沙保)とその夫アラン(小野健太郎)、ヴェロニク(水野小論)と夫ミシェル(小林タカ鹿)の、 四人の人物造形が素晴らしい。アランは国際的にも活躍する若い敏腕弁護士だが、強者の弁護しかせず、ちょうど今、製薬会社が訴えられた薬害訴訟の会社側に立ち、弁護活動についての度々の携帯電話の会話から、彼は怪我をさせた自分の息子のことをぜんぜん悪く思っていないことがバレて、相手の夫婦を怒らせる。アネットは若いフィナンシャルプランナーだが、夫が過度の仕事人間で自分の話をまったく聞いてくれず、自分を対等な女性としてではなくペットのように扱うことで、夫を深く恨んでいる。ヴェロニクは独立ライターで、リベラルな人権派として、アフリカの子供や女性の弾圧を批判する記事を書いている。夫のミシェルは、おしゃれな食器や器具の販売商で、大卒のインテリかどうかは不明だが、明確な美意識で生きている。この四人が知的で洗練された会話をすればするほど話はこじれ、大喧嘩の醜態になってしまう。
どこで彼らが互いに喰い違うのかが、実に鋭利に描かれている。最初は、息子の加害/被害のそれぞれの理解を語り出すが、夫二人は、「男の子というのはグループ組んで、互いに争うのが大好きで、俺たちもそうだったよなぁ、イジメなんてよくあることさ、アハハ」という感じになってしまい、二人の妻を怒らせる。つまりジェンダーの対立になってしまい、さらに進むと、それまで四人とも「良い夫/良い妻」を演じていただけで、本当は互いに愛がないという深刻なジェンダー対立が露呈してしまう。さらに、発達障害のような性格的欠陥を激しく非難することが加わり、あらゆる角度から人と人とが対立する関係性になってしまう。私は、新自由主義が生んだパーソナリティだろうか、超優秀な悪徳弁護士アランという人物が深いニヒリズムを生きていることが、もっとも興味深かった。ヴェロニクのようなリベラルな人権派が、どこか「きれいごと」に聞こえて、人を苛立たせるのも、現在、まさに我々の間で生じていることだ。ミシェルも、娘が可愛がっているハムスターを残酷に捨ててしまうのだが、自分は小動物に怖くて触れないという弱虫だったり、複雑な性格だ。俳優は4人とも名演だが、特に素晴らしかったのは、ニヒリズムを卓越して表現できた小野健太郎(中央)↓と、人間はこういう時こういう感情をもつという千変万化を身体全体で表現できる伊東沙保(左)↓。彼女は日本演劇界で指折りの名優だ。

