[今日のうた] 9月
素見物(すけんぶつ)見て居る顔をあげられる (『誹風柳多留』、「素見物」とは、吉原など遊郭で、並ぶ遊女を見るだけの客。「あの娘、いい女だなあ」とうっとり眺めていたら、さっそく別の客に指名されてしまった。あるべくしてあることだろう) 9.1
さがされてくすぐつていと子をかへし (『誹風柳多留』、これも吉原の川柳、ある遊女は、まだ幼い自分の子(=「いと子」)が控え室から母を探しに出てきてしまった、乳をせがむので、急いで乳をやって控室に返した、ということだろう) 2
百人で一人はひどく落(おち)ぶれる (『誹風柳多留』、百人一首を茶化しているのだろう、岩波文庫註には「小野小町とも蝉丸とも」とあるが、「蝉丸」がなぜそうなのかは分からない) 3
関東で下女上方(かみがた)では傾城(けいせい) (『誹風柳多留』、岩波文庫註によれば、「仏が化身して現れたのは、江戸ではお竹、上方では江口の遊女の普賢菩薩」と、「お竹」とは「江戸・大伝馬町の豪家佐久間勘解由の下女で、大日如来の化身といわれた」そうだ) 4
造花きらめく掌(てのひら)の終電車 (大島洋、1977年作、「終電車の車内には、一見華やかな女性たちもいる。夜のネオンの世界から家路を急ぐ女たち。吊り輪の指には模造のダイヤが光っている。彼女たち自身が造花めいて見える」と川柳作家・山村祐の注釈) 5
完敗のああにわとりは丸裸 (時実新子1929-2007、「妻の側から、夫との交わりをこのようのあらわに表現した短文芸はかつてない。・・女を知らずして妻にされた怨念なのである」と、川柳作家・坂本幸四郎の注釈) 6
ササキサンを軽くあやしてから眠る (榊陽子1968~、「ササキサン」という固有名詞が怪しげ、夫か、恋人か、それとも自分の分身か、そして「軽くあやす」というのが面白い) 7
輝いてどこにも使えない部品 (竹井紫乙1970~、「部品」とはモノか、人か、それとも人体の一部か。いかなる存在者も他の存在者との調和的関係が求められるから「輝きすぎて」もいけない) 8
氷旗これぞ平和の御旗なり (あらゐひとし「朝日俳壇」長谷川櫂選 9.7 「戦争の句あまた。波に千鳥飛ぶ氷屋の旗、俳句の旗でもある」と選評) 9
夏帽を拾ひてやれば「あざす」とふ (相坂康「東京新聞俳壇」石田郷子選 9.7 「ありがとうを「あざす」というのはたいてい若い男性。落とした帽子を拾ってあげた作者と青年とのやりとりが生き生きと想像される」と選評) 10
愛されて育ったことがこんなにも蔦のみっしり這っている壁 (牧角うら「東京新聞歌壇」 東直子選 9.7、作者はおそらく裕福な家に育ったお嬢様なのだろう、そのことを自分でどう受け止めているのか、なかなか微妙な心情なのか) 11
終演後テントを囲む小屋に点(つ)くサーカス団員の部屋の灯り (百々奈美「朝日歌壇」佐佐木幸綱選 9.7、「サーカス団員たちの小屋をうたって独特の一首にしあげた」と選評) 12
わが愛妻(めづま)人は離(さ)くれど朝顔の年さえこごと吾(わ)は離かるがへ (よみ人しらず『万葉集』巻14、「ああ愛する貴女よ、人は僕たちの間を裂こうとするけれど、朝顔が毎年毎年からまるように、僕は絶対に貴女から離れない」) 13
浮きながら消(け)ぬる泡ともなりななむ流れてとだに頼まれぬ身は (紀友則『古今集』巻15、「泡は水に浮いたまま消えてしまいますが、私もそうなりたいです、今は無理でもせめていつかは貴女が受け容れてくれればそれでよいのですが、それも無理そうなので」) 14
音せぬは苦しきものを身に近くなるとて厭ふ人もありけり (和泉式部『家集』、「[恋人が来たが、脱いだ肌着が糊でごわごわで音を立てたので、そのまま帰ってしまった、その翌朝の手紙] 私は貴方が来ない(=音せぬ)のは苦しいけど、貴方は、衣服の音がうるさいのを口実に私をうるさがっているのね」)15
いにしへも越え見てしかば逢坂(あふさか)は踏み違ふべき中の道かは (藤原経衡『千載集』巻15 「[付き合っていた女が「宛先を間違っています」と手紙を返してきたので]逢坂は何度も貴女と一緒に越えました、僕が道を間違えるはずないでしょ」、断られても言い寄る男の執念)16
思ひやる心も空(そら)に白雲の出でたつ方を知らせやはせぬ (致平親王『新古今』巻15、「貴女を思う私の心はからっぽの空のようにうつろです、なのに、その空に立ちのぼる白雲がどこへ行くのか貴女は教えてくれない、きっと私以外の男性のところに行くのでしょうね」)17
知らせばや姿の池の花かつみかつ見るままに何しほるらん (式子内親王『家集』、「貴女に知らせたいものです、かなり離れた貴女の姿をわずかに見るだけで、どうして僕はこんなに涙が出るのでしょう」、女を垣間見る男の立場になって詠んでいる)18
いにしへの秋の空まで隅田川月に言問ふ袖の露かな (俊成卿女『家集』「[34歳の十五夜に詠んだ歌] 十五夜の月を眺めながら亡くなった貴方(夫)のことを思うと涙に濡れます、昔、はるばる隅田川までやってきた業平が「思ふ人」を偲んだように) 19
うらやましみと見る人のいかばかりなべて逢ふ日を心かくらむ (建礼門院右京太夫『家集』「[背の低い私は後ろでよく見えないけれど]イケメンの平維盛さまが通るのを前に並んで見ている人は羨ましいわ、みんな彼のお嫁さんになる日を心から夢見ているのね」、作者はミーハー少女) 20
憂く辛き心の奥の忍ぶ山知られぬ下の道だにもなし (藤原為家『中院詠草』「心の奥に秘めて貴女を恋焦がれるのは、切なく辛いです、忍ぶ山には、人に知られずに通える下の道などないのですから」、為家は定家の息子) 21
何となく今宵さへこそ待たれけれあかぬきのふの心ならひに (永福門院『百番御自歌合せ』 「なんだか今宵もまた貴方に逢えるような気がするので、待っているわよ、昨晩は待ち暮らした末にようやく逢えたけど、また同じ気持ちよ」) 22
鳥はみな逃げているのか夕焼けを畏れるように陣を成しつつ (石村まい「毎日歌壇」9.22 水原紫苑選、「鳥さえもおそれるのか。ならば人類は夕焼けを見つめながらどうしたらいいだろう」と選評」) 23
ガス灯や帰る場所などなかったら迷子にならずに済んだでしょうか (境千尋「読売歌壇」9.22俵万智選、「なまじ目的地があるから迷子になるのではという問いかけにハッとさせられる。物語めく舞台装置としてのガス灯が効いている」と選評)) 24
手花火の背後に人のゐる気配 (中島やさか「毎日俳壇」9.22西村和子選、「実在の人ではなく、いつも見守ってくれた亡き人かもしれない。花火は送り火の一つであり、「気配」は時空を超える」と選評) 25
霧の中声のごとくに鳥の過ぐ (萩原行博「読売俳壇」9.22正木ゆう子選、「鳥という視覚と、声という聴覚。五感は俳句の重要なツールだが、それにしても、声のように鳥が過ぎるという比喩は、不思議な気分にさせられる。まるで霧に巻かれたよう」と選評) 26
待宵(まつよひ)や女主(をんなあるじ)に女客 (蕪村「遺構」、「名月の前夜、普通なら男と女が逢って恋が始まるのだが、今夜はどういうわけか、女主人のところへ女の客が来て、女子会になってしまったみたいだな」) 27
中山や越路(こしぢ)も月はまた命 (芭蕉1689 「ここは東海道の佐夜の中山と同じ名前の中山だ、あぁ月が美しい、前に佐夜の中山で月を見たけれど、今日またこの中山でも見られるのは、今日も「また命」あってのことだ」、芭蕉は5年後に亡くなるが、はやくも死を意識しているか) 28
野の花や月夜うらめし闇(やみ)ならよかろ (上島鬼貫、「踏みては花を破り、踏まずしては行く道なし」と前書、「明るい月夜に野の道を歩いているので、美しい野の花を踏み潰してしまうのがいちいち分る、「闇夜」なら踏み潰しても分からないのになぁ」) 29
さびしさの何処(どこ)まで広く秋のくれ (服部土芳、秋の夕暮れ、「さびしい」という感情そのもののが、空間的に「どこまでも広がっている」、土芳は芭蕉の弟子) 30