[演劇] 山崎豊子原作『大地の子』

[演劇] 山崎豊子原作『大地の子』 明治座 3.6

(写真↓は舞台、国共内戦、文化大革命、労働改造所などをきちんと描いたことが、本作を優れた歴史劇にしている)

(↑労働改造所[写真下も]の松本勝男)

(↑中央は、勝男の妹あつ子=奈緒。奈緒も名演)

  日中戦争という大きな叙事詩的な広がりの中で家族愛を描いた傑作。山崎豊子の小説、NHKドラマの長編を、3時間の舞台で表現したのは凄い。脚本・マキノノゾミ、演出・栗山民也だからこそ舞台化が成功したのだろう。戦争という文脈の中で家族愛を描くのは、多くのギリシア悲劇・喜劇がそうだから、ある意味では演劇の原点かもしれない。台湾映画『牯嶺街少年殺人事件』とも共通点を感じた。本作は、「安寿と厨子王」を思わせる戦争孤児の物語を↓、日中戦争の正確な文脈に置いて表現している。戦争孤児が前景化する時期は、終戦、国共内戦、文化大革命、日中国交回復(1972)と正確に重なっており、本作では、長春包囲戦、人民解放軍や共産主義青年団、労働改造所、文革、林彪事件、周恩来と田中角栄など、歴史がきちんと描かれている。とりわけ、文革と労働改造所が詳細に描かれていることが重要だ。日中戦争は、侵略戦争の敗退という日本人の巨大な苦しみであると同時に、中国人にとっては内戦と革命と建国の巨大な苦しみでもある。「戦争孤児」はまさにその両者が重なる地点にある。写真↓は、1945年に7歳と4歳で生き別れになった松本勝男とあつ子兄妹が、1982年に37年ぶりに再会するシーン。あつ子はまったく日本語は話せず、この少し後に病気で死亡する(勝男=井上芳雄、あつ子=奈緒)。

 本作でもっとも感動的なのは、「敵国」日本の孤児を、周囲から白眼視されつつも守り育ててくれた、中国の名もない庶民の人たちの人間として立派な生き方である。本作の真の主人公は、日本人孤児の松本勝男を「自分の子として」守り、育てた小学校教員の陸徳志かもしれない。演じた山西惇は一世一代の名演、本舞台は彼の代表作となるだろう!(写真上右は↓、共産主義青年団の追及から「息子」を守ろうとする陸徳志=山西惇)。陸徳志は物語上のキャラクターだが、実際に彼のような中国人はたくさんいただろう。病気の松本勝男を助ける中国人看護婦の江月梅も、日本人を助けること自体を同僚から白眼視される(写真下左↓、彼女はやがて勝男と結婚する。役は上白石萌歌)。

 「敵を赦す」という立派な生き方をする中国の名もない民衆に対して、日本人のエリートである松本勝男の父耕次にはがっかりさせられた。彼は八幡製鉄の高級技術者で幹部社員、そして日中両製鉄会社の協力という仕事を通じて、上海で息子の勝男と再会する。稲山嘉寛の名も出る。しかし彼は、日本人が日中戦争の加害者の立場にあることが分っていない。満州開拓地に「動員」され、ソ連兵?に妻を殺され、息子と娘を37年間失った自分を、戦争の被害者としてだけ意識しているのだろう。終幕、父は息子に「お前たち夫婦一家は日本に帰国して、自分と一緒に住んでほしい、俺は寂しいんだ」と当然のように頼む。彼は自分のことしか考えていないのだ。彼の想像力は被害者である中国人の視点にはついに及ぶことがない。それに対して勝男は言う「お父さん、僕は日本人ですが、しかしそれ以上に、中国大陸で育った<大地の子>です」、と。「だから、日本には帰国しません」とはハッキリ言わないが(というより、そこを観客の想像力に委ねたところが本作の美徳)、要するにタイトルはそういう意味だろう。一方、中国人の「父」である陸徳志は、内心は勝男に中国に留まってほしいのだが、それを決して口にすることはなく、「日本に帰るかどうかは勝男が自由に決めればよい」としか言わない。陸徳志の松本耕次に対する人間としての道徳的優越性は、本作の核心の一つだと私は感じた。本作は、日本の戦争責任について、大きな問いかけをしている。

 

1分間の動画

山崎豊子原作『大地の子』舞台化 井上芳雄×奈緒×上白石萌歌が熱演 明治座『大地の子』公開ゲネプロ