[演劇] T.ウィリアムズ『欲望という名の電車』 ヤング・ヴィック座

[演劇] T.ウィリアムズ『欲望という名の電車』 ロンドン、ヤング・ヴィック座 NTLive さいたま芸術劇場映像ホール 5.29

(上演は2014年? とても斬新な舞台、ステラの家が剥き出しで全方向から眺められる↓ 以下の写真には別劇場の舞台も含みます)

うい、

正確な上演日時は分らないが、演出ベネディクト・アンドリュース、[ブランチ]ジリアン・アンダーソン、[ステラ]ヴァネッサ・カービー、[スタンリー]ベン・フォスター、(写真↓左から、ステラ、ブランチ、スタンリー)

本作は何度も見てきたが、この舞台は強烈だ。「誰であれ、結局、人間に完全な愛の成就は不可能」というテネシー・ウィリアムズの命題が、極限まで痛々しく表現されている。いい家のお嬢様のブランチが「自分の居場所がなくなり、すべての逃げ場もなくなり」、娼婦となり、そして妹の家に転がり込んでメンタル異常をきたして精神病院に収容されるという物語は、極端な例外ではなく、日本の「東電OL殺人事件」などに見られるように、実は普遍性のある主題なのだ。いかなる女性の「自己実現」にも何らかの<女性性>の現実態は含まれざるをえない、という問題ともいえる。スタンリーとその友人たちなど、ずいぶん粗野で暴力的な男たちだが、1947年のアメリカ南部では、これは普通だったのかもしれない。夫婦の在り方に「正解」というものはないのだ。現在の我々の視点からしても、ステラ・スタンリー夫婦は、愛のあるよき夫婦であり、明らかに姉ブランチの捉え方の方がおかしいと感じる。(写真↓は、スタンリーとステラ、友人たち)

それにしても、精神病院から「迎え」が来て、最初は抵抗するブランチがやがておとなしくなり、連れて行かれるシーンは衝撃的だ。その時、医師に向かって彼女はこう言う、「(医師の腕にしっかりすがって)どなたかは存じませんが、私はいつも見ず知らずのかたのご親切にすがって生きてきました」。そして、送り出すステラは「ブランチ!、ブランチ!、ブランチ!」とただ号泣する。およそ演劇史上、このブランチの科白ほど悲しい科白はないのではないだろうか。『ガラスの動物園』のトムとローラのダンス・シーンは、演劇史上最高に「美しくて悲しい」シーンだが、『欲望という名の電車』の最後は、「ただただ悲しい」。(写真↓は、精神病院から「迎え」が来る直前、恋人が迎えに来ると想い込んで、身を整えようと風呂に浸かるブランチ)