濱口桂一郎『新しい労働社会』(3)

charis2009-08-06

[読書] 濱口桂一郎『新しい労働社会』(岩波新書 ’09.7.22刊) (その3)


(写真は、2009年正月、日比谷公園の炊き出しに並ぶ、「年越し派遣村」の失業者たち。)


日本では年功賃金制度が支配的であるが、年齢とともに給与が上昇するのは、育児や教育などに金のかかる世代には手厚く支払う「生活給」の考えに基づいているからである。濱口氏は第3章の一節で、生活給制度のメリットとデメリットを論じている(p121〜6)。


まずメリットは、(1)労働者にとって、生活の必要に応じた賃金が得られることは、長期的な職業生活の安心を与える。(2)使用者側にとってメリットはなさそうに見えるが、そうでもない。企業は、急激な技術革新に対応して労働者の大規模な配置転換をせざるをえないが、その際、職務給だと、配置先によって職務が異なり不公平感が生じる。年齢給ならそのようなことはないし、長期に勤めるほど給与が上がるので、労働者に会社への忠誠心を芽生えさせられる。(3)政府にとっては、育児、教育、住宅といった社会政策的な費用を企業に負担させることによって、公的支出を節約できる。


デメリットは、(1)労働者にとっては、若い頃の低給与を中高年の高給与で取り戻さなければならないから、同一企業へ勤務し続けなければならず、移動のインセンティブが失われる。会社が倒産したら困るので、そうならないよう一生懸命働かざるをえない。転勤も断れないし、長時間労働も厭わず働かざるをえない。(2)使用者にとっては、中高年の高給与が負担であり、団塊世代のようにそこだけ人が多いと特に負担増。(3)政府にとっては、生活給をもらえる正社員になれなかった低給与の非正社員が大量に生じて、ワーキングプア化したために、かえって将来の社会保障的コストが増大し、少子化の原因にもなっている。


このように見ると、メリットとデメリットは表裏一体の関係にあることが分るが(p124)、しかし私のような素人から見ると、日本の長期雇用、年功賃金制度というのは、労働者にとってはメリットの方が大きく、使用者や政府にとっても悪くない制度のように思われる。多くの正社員やその家族は、残業があっても収入が多い方がよいと考えるだろうから、長時間労働も簡単にはなくならないのではないか。一番重要な問題は、生活給を保証する正社員システムから排除された低収入の非正規労働者をどのように救済するかだが、「派遣の製造業への禁止」などの場当たり策では解決にならないと、専門家の濱口氏は第2章で詳細に問題点を論じている。しかし一方では、大きなメリットをもつ長期雇用・年功賃金制度を一気になくし、制度をゼロからリセットするというのは非現実的だろう。一時喧伝された「成果主義」も、そもそも給与が「職務」に対応していないのだから、あまりうまくいっていない。長期雇用・年功賃金制という屋台骨を破壊しなければならないほどの積極的な理由を、私は濱口氏の叙述の中には読み取れなかった。


さて、私にとっての疑問は、労働や雇用をめぐる以上のような状況から、なぜ教育システムにおける「職業的レリバンス」の強化という主張が論理的に導出されるのか、よく理解できなかったことである。若者がフリーターや無業者にならないために、とにかく何とか食べていけるだけの技術や技能を身に付けさせるべきだという主張はよく分る。しかし逆に、若者に学校時代に特定の技術習得だけを習得させることは、その技術によって一生生きていくように、若者の人生を固定化することでもある。また、4年制大学への進学率が大きく上昇した女性についても、大学における実業教育が、女性の人生に伴う出産・子育てなどと両立する上でどうプラスになるのか、よく読み取れなかった。人間の職業を職人のモデルによって捉え、若い時点で人生を決めさせるのが良いことなのかどうか? 日本で職業高校がうまく機能しなかったこと、また、世界的に見ても先進国では大学進学率が上昇していることを考慮すると、若者は汎用性のある基礎知識をまず学び、どのような職業を選択するかはなるべく遅く決めて、それぞれの「職務」に必要な知識や技能は、それ自身がどんどん変わるのだから、働きながら学ぶというのが、人間の欲望にも適った生き方だと私は思うのだが、さていかがなものだろうか。(終り)