[演劇] 平田オリザ 『S高原から』 駒場アゴラ

[演劇] 平田オリザ 『S高原から』 駒場アゴラ 4.15

軽井沢?あたりにある高級サナトリウムの面会室、裕福な若者たちだが、みな自分の死を予感しており、見舞いの友人たちと一緒に明るくふざけ合っているが、孤独は深い↓

アゴラ閉館で「さよなら公演」の一つ。1991年初演だが、平田演劇の主題である<人と人との距離の感情の動き>が見事に表現された名作だ。マン『魔の山』をベースに堀辰雄風立ちぬ』をちょっと加えたという全体の構想がいい。サナトリウムなら入所者が昔の小説『風立ちぬ』を話題にする可能性は大いにあり、「いざ、生きめやも」の「めやも」の部分は、舞台の各人の深層意識の核心にもかかわらず、誰もその意味が分からず、入所者も見舞いの友人たちも一緒になって延々と議論する。誰かが、「生きやもめでしょ?結婚したばかりで相手が死ねば、やもめになっちゃうもん」とふざける。これは平田の発案か、凄い会話だ。見舞いにくるのは婚約者、親しい友人など、入所者の親密圏にある人達だが、だからこそ、もうすぐ死ぬ可能性の高い相手との距離感の揺れに深く悩まざるをえない。平田は、その感情の繊細な動きを優しく見守り、そして美しく描く。

 入所者の村西には大島という恋人がいて(写真上左↓)、見舞いにくるが、彼女は大学時代の友達を連れてきて一緒にホテルに滞在するつもり。村西と大島は毎日電話で話す仲だが、村西はサナトリウムの人達に対しては大島を「友達です」としてしか紹介しない。実は大島は村西とではなく、半年後に勤務先銀行の同僚と結婚するつもりで、それを村西に告げることが、ここに来た本当の理由だが、辛くて自分からは言えないので、大学時代の友人を連れてくる。大島がホテルに戻った後に、その友人がやってきて、村西に大島の結婚のことを告げるが、彼女もとても辛い(写真下中央↓)

前から入所者の西岡は画家(写真中央↓)。彼には上野という恋人の女性がいて(写真左端↓)見舞いに来るが、第三者に対しては、西岡は上野のことを「僕が、前、婚約してた人」と言い、上野は自分のことを「[西岡の]婚約者です」と言う。そのズレがとても切ない。上野は夏休みに自分の両親と西岡と一緒にフロリダに旅行したいと思って案内パンフを持ってくる。が、西岡は「サナトリウムからはなかなか出られないんだ」と曖昧な言い方をする。サナトリウムには前島という女性の入所者がいて(写真右端↓)、彼女は明るい美人だが、あと半年以内にたぶん死ぬ。西岡は上野には「ここでは絵は描いていない」と言うが、実は、ときどき前島と山渓を散歩して彼女をスケッチしている(『風立ちぬ』をかすかに感じさせる)。それを知った上野が前島に激しく嫉妬するのがとても切ない。

『S高原から』は、『魔の山』と『風立ちぬ』をぐっと圧縮して100分間の演劇に再構成した作品で、それに成功している。<出逢いと別れは、人の人生そのもの>というのが平田作品の主題だが、最小限の人の動きだけで、これほど深く人の感情を表現できるところが凄い。その点では、平田演劇は小津安二郎の映画によく似ている。5月11日に『安房列車』『思い出せない夢のいくつか』を見れば、平田の主要作品はほぼ全部見られたことになるはずだ。駒場アゴラ劇場よ、さようなら。素晴らしい演劇をありがとう!