[私の百人一首] その2

[私の百人一首] その2

 

34 楽しみは妻子(めこ)睦まじくうちつどひ頭(かしら)並べてものを食ふ時 (橘曙覧(あけみ)「独楽吟」、作者1812-68は幕末の歌人国学者、平易な歌を詠んだ、この歌も家族愛がほほえましい)

 

35 君とわがたゞ身二つのかくれ里かくれはつべき里もなきかな (樋口一葉、「ああ、貴方と二人だけで駆け落ちして、誰も知らない里に、二人だけで隠れ住んで人生を終えられたら何て素敵でしょう、でも・・」、「君」は一葉の師の半井桃水か、24歳の短い生涯に唯一の恋)

 

36 燃えて燃えてかすれて消えて闇に入るその夕栄(ゆふばえ)に似たらずや君 (山川登美子1900、登美子21歳、「君」は与謝野鉄幹、師である鉄幹を密かに恋していたが、晶子に取られた、三人で温泉旅館に泊まった直後の詠、鉄幹を消える「夕日」に譬えて悲しい)

 

37 君なきか若狭の登美子しら玉のあたら君さへ砕けはつるか (与謝野鉄幹『相聞』1910、鉄幹を与謝野晶子に取られた山川登美子は帰郷して結婚したが、29歳で死去、それを悲しんだ鉄幹の歌)

 

38 罪多き男懲(こ)らせと肌きよく黒髪ながくつくられし我れ (与謝野晶子『みだれ髪』1901、自分のエロス的魅力への自信、このナルシシズムがすごい!)

 

39 君が手とわが手とふれしたまゆらの心のゆらぎは知らずやありけん (太田水穂『つゆ草』1902、二十歳くらいの時の歌だろうか、恥ずかしくて告白とかできず、たぶん片想いのまま終わった恋だろうか、でもひょっとして彼女もそのとき「たまゆらの心のゆらぎ」を感じたかも)

 

40 君かりにかのわだつみに思はれて言ひよられなばいかにしたまふ (若山牧水海の声』1908、二人で海辺を歩いている、「わだつみ」とは海の神、「君」とは、早大生の牧水が恋をした園田小枝子、彼女は2歳年上の美人だったが、この恋は結局実らなかった)

 

41 木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな (前田夕暮『収穫』1910、いかにも真面目な青年の歌らしく、ほほえましい、作者1883-1951は牧水、白秋などと交流のあった歌人)

 

42 君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ (北原白秋『桐の花』1913、おそらく近代短歌で最も美しい恋の歌、雪降る後朝の別れ、白秋25歳、「君」は隣家の人妻・松下俊子、不倫を俊子の夫から姦通罪で訴えられ、二週間入獄、1913年に二人は結婚)

 

43 頬につたふ なみだのごわず 一握(いちあく)の砂を示しし人を忘れず  (啄木、歌集『一握の砂』1910の第二首目の歌、初出は雑誌『明星』1908、歌集タイトルなのだから、よほど大切な歌なのだろう、海辺で啄木に「一握の砂を示しし人」はたぶん彼の初恋の女性)

 

44目を閉づれすなはち見ゆる淡々し光に戀ふるもさみしかるかな (斎藤茂吉『赤光』、歌は「をさな妻」と題する1910年作だが、少し前の情景か、茂吉が愛したたぶん最初の女性、田舎出の少女だろう、「すぐ目を閉じるが、またうっすらと瞼を開けるのが、とても寂しそう」)

 

45 君がため瀟湘湖南(せうしやうこなん)の少女(をとめ)らはわれと遊ばずなりにけるかな (吉井勇『酒ほがひ』1910、「湘南海岸の別荘で、素敵な女の子たちと楽しく遊んだ僕だけど、君を好きになったばかりに、他の子が遊んでくれなくなっちゃった」、作者は伯爵家のお坊ちゃま)

 

46 力など望まで弱く美しく生まれしままの男にてあれ (岡本かの子『かろきねたみ』1912、誰に向って言っているのか、夫となった岡本一平か、生まれたばかりの息子の太郎か、それはともかく、かの子は、マッチョではなく、「美しい、弱い男」が大好き)

 

47 やるせなき胸の愁をなんとせんタンゴに込めて君と踊らん (九鬼周造『巴里心景』1925、哲学者九鬼周造は、パリ留学中に多くの女性と恋をして、恋愛論『いきの構造』を執筆、どんなに熱い恋も「別れ」を可能的に胚胎している、それが「いき」な究極の男女関係)

 

48 乙女子の唇に似るほけの花春の岡へに二つ三つさく (西田幾多郎 1935、西田の近所に可愛い「乙女子」がいて、その子の「唇」がとても印象に残っていたのだろう、「ぼけ」の花を見て、その子の「唇」を想い出す)

 

49 たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき (近藤芳美1940、「君」はやがて結婚して妻となる中村年子、だが7月に結婚するとすぐ、近藤はすぐ出征することになった)

 

50 やがて吾は二十となるか二十とはいたく娘らしきアクセントかな (河野愛子1942、「ハ・タ・チ」という響きがとても気に入った作者1922-89、この頃、短歌に興味を持ち始め、戦後1947に「アララギ」に入会)

 

51  これやこの一期(いちご)のいのち炎立(ほむらだ)ちせよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹 (吉野秀雄、1944年、作者の妻は胃がんで死ぬ直前、病院のベッドで作者に「お願い、私を抱いて!」と懇願、作者はガチガチ震えながらベッドに入り、ひたすら妻を抱きしめた、愛の絶唱歌)

 

52 火消壺(ひけしつぼ)に燠(おき)を収めてけふの夜の相互批判の時刻迫りぬ (山田あき1900-96、作者は戦前・戦後とも、夫の坪野哲久とともにプロレタリア歌人として活動、この歌の「相互批判」とは共産党細胞のそれのことか、あるいは終生愛を貫いた夫との「相互批判」なのか)

 

53 一本の蠟燃やしつつ妻も吾(あ)も暗き泉を聴くごとくゐる (宮柊二『小紺珠』1948、戦後すぐだから停電だろう、一本の蝋燭に火をつけると、かすかな音を立てて燃え始める、それを挟んで、二人は「暗き泉を聴く」ように顔を向け合っている)

 

54 この向きに初(うひ)におかれしみどり児の日もかくのごと子はもの言はざりし (五島美代子、作者1898-1978は長年「朝日歌壇」の選者を務めた人、溺愛していた長女ひとみ1926-50は、戦後初の女子東大生だったが、在学中に自殺、そのとき詠んだ慟哭の歌)

 

55 をさなさを武器のごとくに黙しゐついまだ春なる夕映のいろ (石川不二子1954、作者は東京農工大の学生で20歳、ほぼ男子学生ばかりの大学、女の子らしく振る舞えばきっとモテた、しかしそれができなかった真面目な青春、でも恋をしたかったのか、最後の句)

 

56 ましろなる封筒に向ひ君が名を書かむとしスタンドの位置かへて書く (馬場あき子『早笛』1955、恋が始まったばかりの頃だろう、「君」は将来の夫の岩田正)

 

57 ほのぼのと愛もつ時に驚きて別れきつ何も絆(きづな)となるな (富小路禎子『未明のしらべ』1956、作者1926~2002は旧華族の出身だが、男子が多く出征した世代なので独身を通した、でも一度だけ淡い恋愛の経験があるのだろう、その時の嫌な思いの回想、「何も絆となるな」が悲しい)

 

58 抱(いだ)くとき髪に湿りののこりいて美しかりし野の雨を言う (岡井隆『斉唱』1956、デートの後で彼女を抱いたのだろう、彼女は「私たちが一緒に歩いて雨に濡れた、あの野原、美しかったわね」と静かに言った)

 

59 海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり (寺山修司『空には本』1958、作者はたぶん高校生、その少女は中学生くらいか、ちょっと恥ずかしくてもちろん口説いたりはできない、ちょっと気を引くために、「両手をひろげて彼女の前に立ってみる」、瑞々しい少年のうた)

 

60 相触れて帰りきたりし日のまひる天の怒りの春雷ふるふ (川田順 1948、作者1882~1966は、東大法学部卒、住友本社常務理事を務めた財界人で、歌人でもあった、人妻の中川俊子と恋愛関係になり、この歌は66歳の時、俊子はすぐ後に夫と離婚、川田は家出して自殺未遂)

 

61 一つのものになりたき愛を理解して雪山のバスゆくところまでゆく (北沢郁子『感傷旅行』1959、歌集の作者は36歳、好きな人ができたのだろう、最初は逡巡したが、「一つのものになりたいと、愛を理解した」、だからもう迷わず「雪山のバスの終点」まで追ってゆく)

 

62 夢のなかといへども髪をふりみだし人を追ひゐきながく忘れず (大西民子『不文の掟』1960、愛が深ければ深いほど、裏切られた憎しみも深い、この歌の「追ひゐき」は、作者を離れていった夫)

 

63 サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず (佐佐木幸綱『緑晶』1960、作者1937~の20歳頃の歌か、塚本邦雄はこの歌を、ジュニア短歌ふうの下手な歌と評したが、私はそうは思わない、この瑞々しさこそ相聞歌の王道)

 

64 美しき誤算の一つわれのみが昂りて逢い重ねしことも (岸上大作「意思表示」1961、作者1939~60は60年安保闘争を戦ったが、失恋もあり21歳で自殺、ここで詠まれているのは彼の恋人だった沢口芙美1941~、彼女は岸上の自殺で作歌を十数年間中断

 

65 眉根よせて眠れる妻を見おろせり夢にてはせめて楽しくあれよ (上田三四二1964『雉』、妻が「眉を寄せて」眠っている、辛い夢を見ているのだろうか、「せめて夢くらいは楽しくあってほしい」と妻をいたわる)

 

66 あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ (小野茂樹『羊雲離散』1968、作者1936~70のごく初期の歌と思われる、詠まれている相手は、東京教育大学付属中学~高校と一貫して作者の恋人で、後の妻の青山雅子、海辺でデートをしたのだろう、ただただ美しい歌)