[オペラ] プーランク≪カルメル会修道女の対話≫ 新国 研修所公演

[オペラ] プーランクカルメル会修道女の対話≫ 新国 研修所公演 3.1

(写真は舞台、下は開幕、左からラ・フォルス侯爵、娘ブランシュ、その兄)

これまで3回ほど観た舞台と、今回は大きく印象が違った。その理由は、ブランシュを前景に出して、コンスタンスがやや後景化されているからだろう。私の理解では、本来はコンスタンスが本作の実質的主人公であり、『リア王』のコーディリア、『トゥーランドット』の女奴隷リュウなどと同様の位置にある。カーテン・コールはコンスタンスが最後から4番目?なのでちょっと驚いた。おそらく演出のシュテファン・グレーグラーの明確なコンセプトでこうなったのだろう。腑に落ちなかったので、帰宅して、本作の一番最初の元テクストである、ルフォール『断頭台の最後の女』1931を読んだら(マリー修道女が残した「報告」は未入手)、やはりベルナノス『カルメル会修道女の対話』とは大きく違った。カトリック作家ルフォールは、フランス革命におけるカルメル会修道女たちの受難と戦いを讃えるために(1906年ローマ教皇ピオ10世によって彼女たちは「福者」に列せられた)、原理主義者のマリー修道女、柔軟なリドワーヌ新修道院長、そして修道院から逃亡した「困ったちゃん」ブランシュ修道女の三人を軸に描いており、コンスタンスはほとんど出てこない。基本的には、フランス革命の教会弾圧への批判が、ルフォールの主導動機なのか(そして、おそらくブランシュ修道女はルフォールの創作キャラで実在ではない)。つまり、物語においてコンスタンスが中心的役割を果たすのは、あくまでベルナノス版からだ。とはいえ、ブランシュを除く修道女は全員実在で、マリー修道女が詳細な事件の記録を残しているから、それを検討しないとコンスタンス修道女の位置づけは本当は分らない。(写真↓は、革命政府によって修道院から追放される修道士、すぐ左がコンスタンス)

しかし、今回のグレーグラー演出で、通常はあまり見えてこなかった側面に気付かされた。それは、ブランシュの家族愛と修道院生活との葛藤というフロイト的問題であり、ラ・フォルス侯爵という(ディドロヴォルテールなどに傾倒した)自由思想傾向のある上級貴族の父と、過剰に宗教的傾向をもつ性的に潔癖すぎる娘との間にある葛藤という問題も、たしかに『カルメル会修道女の対話』の一つの要素なのだ。ルフォールディドロの小説『修道女』を厳しく非難しているが、革命政府の教会敵視と弾圧が野蛮なものであったにせよ、革命政府の教会批判には、家族と切り離されて修道院生活を送ることの本質的な意味への問いが含まれてもいる。『カルメル会修道女の対話』は、作者の意図を越えてそうした問題を浮かび上がらさせたというのが、グレーグラー演出の視点なのだ。コンスタンスとブランシュの友情よりも、修道院弾圧の政治性が含意するものが重要なのだ。写真↓のように、修道服禁止になり平服に着替えさせられたカルメル会修道女たちの周囲に散乱する衣服は、一瞬、アウシュビッツで処刑前に脱がされた服の山を想起させた。たまたま先週観たMetライブのヴェルディナブッコ≫が、主にウクライナ人歌手とロシア人歌手に歌わせているのに驚いたが、オペラの演出は、同時代の政治に敏感に反応するものなのだ。

しかしそうはいっても、『カルメル会修道女の対話』の真の主題は、「愛を受け容れることのできなかった」ブランシュが(『リア王』のリアがまさにそれ)、愛のアレゴリーであるコンスタンス(『リア王』のコーディリアがまさにそれ)から愛を贈与され、最後の最後にようやく「愛を受け容れる」ことができて、そして二人一緒に断頭台に向かう、という崇高な<究極の愛>であるはずだ。(ちなみにルフォール版にはこの要素はまったくなく、最後に革命広場のカルメル会修道女処刑の現場まで来たブランシュは、貴族の娘を憎悪する平民暴徒の女たちによって殴り殺される。) その意味では、この作品の核心からややずれた演出ではないだろうか。