[哲学] 植村恒一郎:「人生よ、自由な遊びであれ ― 『ラモーの甥』から『推し、燃ゆ』まで」

[哲学] 植村恒一郎:「人生よ、自由な遊びであれ ― 『ラモーの甥』から『推し、燃ゆ』まで」 (『ひとおもい』第5号、2023年7月)

 ディドロ『ラモーの甥』は、彼の死後、たまたま原稿を読んだゲーテが感動し、自分でドイツ語に訳して出版したことによって日の目を見た。それは、一読しただけでは何を言いたいのかよく分からない「奇書」であるが、ゲーテの心を大きく動かした。何がそれほどゲーテを感動させたのだろうか。それは、今までに描かれたことのない、新しい人間の在り方が、まだ仄かな輪郭ではあるが、たしかにそこに示されていたからである。それは、チャールズ・テイラーのいう「美的ナルシシズム」と言ってよいだろう。マッキンタイアはそれを「審美家」とも呼んでいる。つまり、自分の人生を「自由な遊び」として生きたいと願う人のことである。これは伝統社会では貴族と一部の支配階級とにしか許されない生き方であったが、近代初頭のブルジョアジーの台頭とともに、小市民にもその生き方の可能性が開かれた。その開会宣言ともいうべきものが、『ラモーの甥』なのである。その生き方は、マッキンタイアやテイラーはいうまでもなく、これまで多くの倫理学者に批判されてきた。ある個人の正しい生き方は、共同体がその人の役割としてその人に「振る」ものであり、自分の幸福を第一義的に考えてはいけない、というわけである。

にもかかわらず、『ラモーの甥』などの「審美家」「美的ナルシシズム」は、近代人の心を大きく捉えてきた。その本質をズバリ言えば、「芸術家が作品を作るように、自分で自分の人生を作る」(テイラー)ことなのだから、ニーチェの「超人」、デリダやソローの「境界線を行き来する自由」、フーコーの「生存の美学」などにも受け継がれている。それだけでなく、日本においても、九鬼周造の『「いき」の構造』、浅田彰の『逃走論』、劇団雌猫『誰になんと言われようと、これが私の恋愛です』、宇佐美りん『推し、燃ゆ』などにも、「好きなことだけをして生きたい。毎日、遊んで、ときめいていたい!」という「美的生き方」は、脈々と受け継がれている。その人間観、人生観を一言で言えば、自己の本来的で実体的なアイデンティティというものはなく、他者に対する意識的な演技として自己を表現することによって、自己のアイデンティティは作られる、ということになるだろう。「自らの生を一個の芸術作品として表現すること」は、われわれ近代人の理想の一つなのだ。小論では、『ラモーの甥』から『推し、燃ゆ』までの流れを一瞥することによって、そのことを確認してみよう。

 

1.「ラモーの甥」の語ったこと

 「ラモーの甥」とは、実在の人物であり、あの大作曲家ジャン・フィリップ・ラモー(一六八三~一七六四)の甥で、うだつのあがらない音楽家、ジャン=フランソワ・ラモー(一七一六生まれ)のことである。彼自身もヴァイオリンやクラヴサンを弾いた。音楽教師として生活しながら、社交界の有力者のサロンに寄食しながら渡り歩く道化的な存在となり、やがて零落し、施療院で死んだといわれる。なかなか個性的な人物で、パントマイムもやっていたらしい。ディドロとは二十年以上の交流があり、ディドロの執筆した『ラモーの甥』は、「ラモーの甥」と「哲学者」(=おそらくはディドロ)との対話形式になっている。ただし、実際の二人の対話も一部は含まれるだろうが、全体としてはディドロの仮想した対話であり、そこでディドロが作り上げたキャラクターが「ラモーの甥」である。それゆえ、二人が語るそれぞれの意見には、ディドロの考えも含まれているだろう。小論では「ラモーの甥」といちいち断るのは煩わしいので、「 」をはずして彼のことを端的にラモーと呼ぶことにする。まずラモーの主張したことを要約して、箇条書きにしてみよう。

(a) 社会が押し付ける道徳・倫理には反抗する

(b) 自分のしたいことだけをして生きる

(c) 悪徳という実体はなく、悪徳らしく振舞うことがあるだけ

(d) 道徳はお説教ではなく、批評は笑いに載せて行うべきだ

(e) 互いに演技し合う関係が、社交としての、望ましい人と人との関係である

(f) 社会は協和音ばかりでなく不協和音も必要としている

(g) 舞台上の役者のように、人は演技によって自己のアイデンティティを作る。人間の行為は演技だからこそ、自分がしていることを意識でき、そこに人間の自由の起源がある。誰もが自由に生きられる社会が、よい社会であり、誰もが、つねに自己を表現しながら、他者との関係性を作ってゆくのが、よい社会である。

要するに、(1)アイデンティティは演技という自己表現によって作られる、(2)演技は自分のしていることを意識するから、そこに自由の起源がある、という二つの柱がラモーの主張の基本になっている。以下、順に見てゆこう。

 

(a) 社会が押し付ける道徳・倫理には反抗する

 まずラモーは、当時のパリでもっとも高く評価されている職業はブルジョワジー、つまり「商人」であり、「たくさん物を売ることができる」「たくさんお客を集めることができる」人ほど評価されるという。

 

人間の値打はつまり職業の値打です。・・・ほとんどあらゆる職業につきものの一つのイディオチスム[=道徳的な特有語法(岩波文庫訳者による)]、あらゆる国、あらゆる時代に共通の愚劣さがあるように、共通のイディオチスムがある。[現代の]その共通のイディオチスムというやつは、できるだけたくさんの顧客を取ることです。(五二)

 

伝統的社会では、共同体が当人に割り当てる役割を忠実に果たすことが「よき人」であった。ところが資本主義が発達したブルジョア社会では、経済関係によって人と人が繋がるから、「できるだけ多くの顧客を集められる」人が、よき職業人であり、「よき人」ということになる。伝統社会の階級制度のもとでは、ほとんどすべての男子は親の職業をそのまま継いだ。だから教育といっても、農民は農作業のやり方を、職人はもの作りの技術を、父親から直接教わった。教育はこれだけで十分であり、支配階級や上流階級だけが、読み書きや、その職業に必要な人文的知識を学ぶ必要があった。たとえば聖職者は聖書が読めて、宮廷の官僚は公文書の読み書きができなければならない。教育の内容として「教養」と呼ばれるものが漠然と意識されるようになったのは、中世の「自由学芸=リベラルアーツ」であるが、これはもともと支配階級や上流階級の子弟が必要とするものであった。「ラモーの甥」の時代をこうした歴史的文脈に置いてみると、職業人としての在り方が伝統的社会とは変ったことが大きい。青年たちは必ずしも親の職業を継ぐわけではなく、都市へ出て親とは異なる職業を選択する機会が増え、それが、それぞれの職業のアイデンティティがそのつど表現される必要性を高めたので、「役割を果たす」ことは、結局、自己をどう表現するかを含むことになった。教師が学校で教え、神父が洗礼を施し、政治家が演説し、大工が家を建て、商人が商売し、軍人が作業を遂行し、弁護士が法廷で弁論するなど、それぞれに個性のある行為は、すべてそれぞれが自己を表現しているのである。このような文脈に置いてみると、ラモーが「表現する自己」にこだわることはよく理解できる。そして時代はちょうど、ブルジョアジーの時代となり、「できるだけ多くの顧客を集める」というイディオチスムがパリを支配していた。ラモーは首尾よく、その流れにのって職業人として成功したのであろうか。外面的にはそうではない。彼自身は職業人としては失敗で、作曲家としては叔父の大ラモーに遠く及ばない二流に終始し、音楽家としても成功しなかった。貴族やブルジョア家庭の女子の、音楽の家庭教師をして食いつないだが、それも次第に寄生的食客となり、施療院で死んだ。彼は、食客として寄生する身分を特に恥じることもなく、外面的に見る限り、成人男子の経済的自立という市民社会のもっとも基本的な倫理に反する生き方をしたといえる。しかし注意深く考察するならば、彼は、当時のどの職業倫理にも内心は賛成していなかった。さまざまな職業の「イディオチスム」について、彼はこう言っている。

 

主権者、大臣、財政家、司法官、軍人、文学者、弁護士、代言人、商人、銀行家、職人、声楽家、舞踏教師などのやることは二三の点で一般的良心からかけ離れていて、道徳的な特有語法(イディオチスム)でいっぱいだが、それでも彼らは立派な紳士です。事柄の成り立ちが古ければ古いほど、それだけたくさんのイディオチスムがある。悪い時世であればあるほど、いっそうイディオチスムがふえるわけです。(五二)

 

「とにかく客を多く獲得せよ」というブルジョア社会のイディオチスムは「一般的良心からかけ離れている」ところがあり、「それでも彼らは立派な紳士です」というのは痛烈な皮肉である。その前に見た引用でも、「あらゆる国、あらゆる時代に共通の愚劣さがあるように、共通のイディオチスムがある」とあるように、「共通の愚劣さ」として「共通のイディオチスム」を捉えていた。「悪い時世であればあるほど、いっそうイディオチスムがふえる」、つまり彼は、当時のブルジョア社会の支配的な道徳だけでなく、いかなる社会の道徳にも賛成できないのだ。

 

(b) 自分のしたいことだけをして生きる

 ラモーは、共同体や社会が押し付けてくる道徳を棚に上げて、何よりも「自分のしたいことだけをして生きる」という生を選ぶ。現代の哲学者マッキンタイアは「ラモーの甥」のことを、「[ディドロの]哲学的想像力が生みだした無頼漢」と呼んだが、まことに適切な呼称である。たしかにラモーは「無頼漢」である。だが、彼にも言い分はある。

 

だって、どういうわけで、あんなに冷酷な、あんなにうるさい、あんなにつきあいにくい信心屋が、ああうようよしているんですかい。それは奴らが自分の性にあわない仕事を無理にやっているからなんです。奴らは苦しんでるんです。そして、人は自分が苦しむ時には他人も苦しませるものです。そんなことはわしの望むところじゃない・・。(六四)

 

 ここでは非常に重要な指摘がなされている。世の中には「自分の性にあわない仕事をむりにやっている」人々があまりにも多い。彼らは「自分の性に合った、自分のしたいことを」しているのではなく、自分のしたくないことをしているので、そのことによって「自分が苦しんでいる」だけでなく、自分の不満や不機嫌さによって「他人をも苦しませ」ている。彼らのほとんどは、「あんなに冷酷な、あんなにうるさい、あんなにつきあいにくい信心屋」になってしまった。彼らは、もっともらしい道徳を口にする「信心屋」だが、実は冷酷で、社交性がなく「つきあいにくい」。だから今の社会は、本来はもっとよい社会でありうるはずなのに、こんなつまらない、悪い社会になってしまった。それゆえ、これ以上社会を悪くしないためには、自分は自分の性に合った「自分のしたいことだけをして生きる」のがよいだろう。そうすれば、自分に肯定感がもてるから、不機嫌にはならず、他人にはやさしくなって、人と楽しく付き合うことができる。これがラモーの言い分である。ただし、彼ら「信心屋たち」の道徳に自分が批判的であっても、自分がすねてしまっては、他人も面白くないだろうし、自分が嫌われてしまう。だから、そうならないように、他人に対しては、陽気に明るくふるまって、「楽しい奴だ」「いい奴だ」と思ってもらう必要がある。つまり、意識的に「道化」を演じてみせるのが一番いいのだ。事実、ラモーは周りの人々から「面白いオジサン」と思われていたらしい。

 

わしは、とにかく陽気で、融通がきいて、愉快で、おどけていて、滑稽でなくちゃならんのです。(六四)

 

(c) 悪徳という実体はなく、悪徳らしく振舞うことがあるだけ

 ラモーはここで、自分は「道化」を演じるのだ、「とにかく陽気で、融通がきいて、愉快で、おどけていて、滑稽でなくちゃならん」と言っている。「道化」の素晴らしさは、演じるという点でつねに自分を意識しているから、つねに醒めていて、とても知的なところにある。道化は、シェイクスピア劇などでは、きわめて知的な職業とされており(権力者である王にすら批判をすることが許されている)、「ラモーの甥」においては、表現者としての「道化」の役割が、一段と深く捉えられている。

 

お偉ら方のそばでは道化役に勝る役はありませんよ。長い間、道化という肩書で王様に仕えた道化はありました。が、どんな時代にも、賢者という肩書で王様に仕えた賢者はありませんでしたからね。(八九)

 

つまり、道化はいわゆる「賢者」よりも賢いのだ。その理由はどこにあるのだろうか。それは、人間のアイデンティティは実体的なものではなく、ただ演じることにおいてのみアイデンティティが存在することを知っているからである。つまり「本当の自分」というものはないことを知っている。だから、人格そのものが本当に「悪い人間」というものは存在せず、「悪く見える」人間が存在するだけだということを知っている。

 

わしが[モリエールの]『守銭奴』を読めば、わしは自分に言ってきかせます。「なりたければ、けちん坊にもなれ、だがけちん坊みたいな口の利き方をしないように用心しろよ」とね。『タルチュフ』を読めば、「なりたければ偽善者にもなれ。だが偽善者みたいな口の利き方をするなよ」と言いきかせる。お前の役に立つ悪徳は大事にしまっておけ。だが、[悪徳を外部に表現する]そんな調子や様子は身に付けるなよ。そうした調子や様子が身につかないようにするには、そういう悪徳をよく識っていなくちゃなりません。こう言う著者たちは、そういう悪徳をものの見事に描き出しています。(八七)

 

悪徳が人に嫌われるのは、悪徳そのものというより、いかにも悪徳らしい口の利き方や表情によってなのである。つまり、その人間が悪徳をもつ人間であることは、他者に対して自分をどのように表現するかに存している。

 

悪徳というものは、時折ひとの気に障るだけですが、[しかし]悪徳の性格が表に表れると、そいつは朝から晩までひとの気に障るもんです。たぶん、横着な顔つきをしているよりは、実際に横着者であるほうがいいでしょう。横着な性格の奴はたまにしかひとを侮辱しないものですが、横着な顔つきの奴はしょっちゅう侮辱してるんです。(八八)

 

ひとに嫌悪感をもたせたり怒らせたりするのは、性格としての悪徳であるよりは、その人の振る舞い、表情、語りなど、要するに、悪徳を他者に対して表現することにある。個人の性格というものは、実体的なものではなく、対他関係における表現であるにすぎない。

 

(d) 道徳はお説教ではなく、批評は笑いに載せて行うべきだ

ラモーが、自分は道化役に徹すると言うことには、深い意味がある。それは倫理において「笑い」のもつ重要性である。シェイクスピア劇では、道化だけは王に対する自由な発言、批評、批判が許されていた。それは、「笑い」のもつ批評性に載せてこそ、真の批判が可能であることを意味している。王は最高権力者でありプライドが高いから、賢者が自分に指図をすることは許さないが、道化の批判には耳を傾ける。我々の日常生活でも、他者に忠告したり批判したりする場合、おだやかな笑いをもたらすような批判の仕方であれば、相手もなるほどと受け入れることが多い。上から目線で「道徳を教える」という仕方では、相手は反発してしまう。そもそも道徳や倫理は、「掟」や「作法」などの堅苦しい形式で人を強制的に従わせるよりは、各人が道徳や倫理を自分の身体に内面化し、おのずから結果として道徳や倫理が実現する方が望ましい。つまり、自発的であるべきものなのだ。各人は、自分のしたいように行動するが、その結果として人を傷つけることがないというのが望ましい。『論語』にも、「心の欲するところにしたがえども矩(のり)を越えず」とあるように。

 

おきてとか作法というものを、わしはほとんど問題にしていません。公式を必要とする者はけっして成功しません。天才はわずかしか読まないで、大いに実行し、自分で自分を作りあげます。(七七)

 

ラモーは、未開社会の子供を文明社会に連れてきても、社交を通じて、自然に道徳的・倫理的にふるまうようになるという。

 

[道徳の能力はどこから生れてくるのかと問われて] それは人間の自然[人間性]の中です。どいつもこいつも生きている限りのものは、人間だって例外じゃありません。みんな仲間の者は犠牲にしても自分だけの幸福を追っかけます[まず最初は、その幸福衝動にいったん任せてよいのだ]。だから、もしわしが野蛮人の少年を何にも言わずに連れてきたら、奴はきっと、立派な服装(なり)をし、すばらしいごちそうを食べ、男には好かれ、女には可愛がられ、人生のあらゆる幸福をわが身にかき集めたがるだろうと思います。(一三八)

 

未開社会の少年を文明国に連れてくれば、誰にも教わらなくても、人間の本性からして、衣食住を充実し、より豊かな生活をして幸福になろうとする。だから、フーコー的な意味で、子どもを「調教する」よりは、子どもを社交を通じて自発的に道徳を身に付けさせるのが、もっともよいやり方なのだ。

 

よい教育とは、[人が]危険な目にも遇わず、また不都合もなくて、あらゆる種類の享楽に到達させる教育でなくてなんでしょう!(一八三)

 

(e) 互いに演技し合う関係が、社交としての、望ましい人と人との関係である

 ラモーは、道化の「笑い」がもつ批評性によって人々は倫理を学ぶという、とても重要な問題提起を行っている。だが、誰もが不機嫌ではなく、よく笑い、お互いに笑いやユーモアを楽しむという関係は、たんに教育的であるだけでなく、それ自体に価値がある人間関係なのではないだろうか。「道化」こそ、他者を楽しませ、陽気にし、幸福にするという意味では、最高の徳を所有している。たとえば、作家のチェホフの家にはいつも友人が集まり、居間や食堂には笑いが絶えなかったという。チェホフは冗談や軽口が得意で、談話の名人だった。これは素晴らしいことではないだろうか。たとえば、TVで、「お笑い芸人」には人気があるし、中学や高校のクラスで人気のある男子生徒というのは、道化を演じることのできる男子であると言われる。これは男子だけでなく、女子にも当てはまるだろう。「道化」とは、さまざまなキャラクターを演じることができる人間であり、たった一つの「本当の自分」ではなく、「たくさんある自分」を他者にたいして表現できる人間、つまり「役者」「俳優」ということである。「役者」こそが最高の人間であるというのが、『ラモーの甥』全体の重要な主旨である。

 

「役者」や「道化」は、会話が巧みであるだけでなく、歌も歌えて、踊りも踊れなければならない。『ラモーの甥』の冒頭に、あまり気づかれないが、とても興味深い対話がある。ラモーは貴族やブルジョア家庭の令嬢に、主として音楽を教えているのだが、ラモーとディドロは、「教育」とは何を教えるべきかと意見交換する。

 

[お嬢さんの教育に関して] 私[ディドロ]:私なら文法に寓話、歴史に地理、絵を少しばかりと、それに修身を少しやらせるね。

彼[ラモー]:お互いが住んでいるような世の中では、そんな知識なんかどれもこれも何の役にも立たない。役に立たないどころか、ひょっとしたら危険ですな。(四五)

 

この会話のすぐ直前に、ラモーはディドロに、「[お宅のお嬢さんは]歌はおやりになりませんか?」「音楽はおやりになりませんか?」と尋ねているのだが、要するに彼は、いわゆる知識としての「教養」や道徳のお説教ではなく、歌や音楽こそもっとも教えるべき科目だと主張しているのだ。その理由は、歌や音楽こそ、自分を表現するのに最高のものだからである。後にチャールズ・テイラーは「芸術家が作品を作るように自分の人生を作ることができる[という錯覚]」として、芸術家モデルによって「美的ナルシシズム」を批判したが、たしかにラモーは、人間のアイデンティティ形成における芸術の役割の重要さを主張している。『ラモーの甥』の後半は、フランス音楽とイタリア音楽ではどちらが優れているかという、有名な論争的議論がなされており、美学研究にとっては重要な対象であるが、小論ではその議論には触れない。だが、一つだけ文章を引用しておこう。

 

[歌とは何か、と問われて] 歌とは、芸術によって発明されたか、あるいは自然によって啓示されたかした、音階の音なり、人の声なり、楽器なりで、物理的な響きや、情念の抑揚を模倣したものです。だから、その中で変えるべきものを少し変えれば、この定義が絵画にも雄弁にも彫塑にも詩にもぴったりあてはまることが分るでしょう。さて、音楽家や歌曲のモデルが何かといえば、それはそのモデルが生きて考えるものだったら、朗誦(déclamation)です。もしそのモデルが生命のないものだったら、それは音響ですな。朗誦は一つの線、歌曲はその線上をのたくるもう一つの線と考えられます。歌曲の典型であるこの朗誦が力強くて真実であればあるほど、それに適合する歌曲はますます多くの点でこの朗誦に重なり合うでしょう。歌曲が真実であればあるほど、いよいよそれは美しいものになるでしょう。(一一三)

 

ここまでで小論が確認したかったのは、芸術が重要なのは、芸術は人間が自己を表現するさまざまな手段のなかで最高のものであり、最高のものという意味は、散文としての言語よりも優れているということだからである。それを確認して、次に進もう。

 

(f) 社会は協和音ばかりでなく不協和音も必要としている

 ラモーは、「道化の笑い」の深い意味を明らかにしたが、しかし、社会の一般的評価においては、「道化」はそれほど高く評価されていない。その理由は、人間はお互いに対して<真面目に>生きるべきであり、「笑い」は何か不真面目なところがあり、人間同士の中に不協和音を持ち込むように感じられるという、我々の根深い錯覚的心理があるからだろう。ラモーは、そこもよく考えている。

 

[子供の教育について] 善良な父親が特に気をつけなきゃならない難しい点は、子供が金持ちになるための悪徳や、お偉い方に重宝がられるための馬鹿げたまねを子供に教えてやることじゃなくて、― というのは、そんなことは誰でも、・・・少なくともお手本や教訓のおかげでやっていることなんだから、― ちょうどよい限度、つまり、侮蔑や不名誉や法律からまぬがれる術を奴に示してやることでさあ。社会の和声の中に不協和音を入れたり、予備したり、それに協和音を合せたりできなくちゃならないわけです。完全協和音の連続くらい退屈なものはありませんな。なにかぴりっとしたもの、光の束を解き、光線を飛び散らせるものがなくちゃなりませんよ。(一三五)

 

この文章もまた、『ラモーの甥』の最重要の言葉だろう。ここで「ちょうどよい限度」と言っているように、道徳的なルールを個別のケースに適用する場合、それは論理的な演繹という受動的なものではなく、そのつど一人一人が個別に即してルールを新たに作るという能動的なものである(クリプキデリダが言っているように)。「不協和音に協和音を合せる」とは、ルールに縛られることなく、普遍と個別の調和をそのつど作り出すことである。不協和音もまた、調和の中に欠くべからざる要素なのである。だからこそ、不協和音も交えて協和=調和を作り出すことが、人間における最高の「徳」であり、「調和」は美的なものだから、最高の徳はある意味で美的なもの、つまり美徳なのである。

 

(g) 舞台上の役者のように、人は演技によって自己のアイデンティティを作る。人間の行為は演技だからこそ、自分がしていることを意識でき、そこに人間の自由の起源がある。誰もが自由に生きられる社会が、よい社会であり、誰もが、つねに自己を表現しながら、他者との関係性を作ってゆくのが、よい社会である。

 最後に、『ラモーの甥』の核心を一言でまとめるならば、以上のようになるだろう。一言だけ「パントマイム」に触れておきたいが、それは、ラモーがパントマイムの達人でもあったからである(実在の彼がそうだった)。

 

彼[ラモー]:一番いけないのは、不如意から我々が窮屈な姿勢をとらされることです。貧乏な人間は普通の人のような歩き方はしません。彼は飛び、這い、のたくり、足を引きずって歩きます。彼はいろんな姿勢(ポーズ)をとったり、してみせることで一生をすごすんです。・・・上流社会もまた、彼の芸術でもまねられないほどのいろんな姿勢(ポーズ)を提供しています。

私[ディドロ]:だが、君もやっぱり、君の表現か、またはモンテーニュの表現を用いるなら、「水星の周転円の上にとまって」人間の色々なパントマイムを眺めているんじゃないかね?

彼[ラモー]:いや、・・・私は自分の姿勢(ポーズ)を採用するか、さもなけりゃ、ほかの連中が姿勢(ポーズ)をとるのを見て楽しみます。わしは、今にあんたもおわかりのように、パントマイムがなかなか得意なんですよ。(一五〇)

 

 「不如意から、我々が窮屈な姿勢を取ってしまう」こと、これが一番いけないことである。我々は、「窮屈な姿勢」でない体の動きをつねにして生きることが望ましい。なぜなら、あらゆる姿勢・体勢を自由に自分でコントロールできるところに、人間の自由があり、人間が自由に生きるとは、あらゆる姿勢・体勢を意のままにすることができることである。そして、それがラモーにおいては「パントマイム」なのであり、また日本の能における終盤の「舞い」にもそれが示されている。「パントマイム」といえば、我々はたとえば映画『天井桟敷の人々』の、ジャン・ルイ・バロー演じるバティストを思い出す。バティストは、言葉を一切語らないけれど、言葉を語る人間以上に、自分を完全に表現している。つまり、ここで言われる「姿勢(ポーズ)」や「パントマイム」とは、言語以外の身体表現によって自己のアイデンティティが表現されることを意味している。貧乏人はその姿勢(ポーズ)で、もうすでに自分が貧乏人であることを表現してしまっている。このように人間は、歌、言葉、身体表現をすべて合わせて自己のアイデンティティを表現する、表現的存在者なのだ。このように、人間をまず何よりも表現的存在者として捉えたことが、「ラモーの甥」の最大の功績である。そして人間は、血縁とか利害関係によってではなく、お互いが表現的存在者として出合い、関係するとき、もっともよい人間関係がそこに現実化するのである。

 

2. 多様な「ラモーの甥」の末裔たち

フーコーはその晩年の思想において、「生存の美学」、すなわち「自らの生を一個の芸術作品にする」という生き方を提起したが、それはフーコーにとって、「権力による調教」によって自らの生が作られるのに抵抗するものであった。またニーチェの「超人」は、共同体の規範として押し付けられる諸価値や道徳に反抗し、自ら価値を創造し、自らの生を作り上げていく人間を想定していた。「ラモーの甥」はニーチェほど大胆な述べ方はしていないが、しかし、自分のしたいことだけをして、自由な遊びを楽しむ人生こそ、人間の最高の生き方だ、という線をはっきり打ち出している。これは、日本の九鬼周造『「いき」の構造』、浅田彰『逃走論』の「スキゾキッズ」、劇団雌猫の提起する「オタクを生きる若い女性たち」、芥川賞受賞の宇佐見りん『推し、燃ゆ』などに受け継がれているような、「美的生き方」の原点なのである。もう少し先鋭に言えば、九鬼や現代日本のオタクのように、「毎日、遊んで、ときめいていたい!それが理想の人生だ」、という思想に帰着するのが『ラモーの甥』なのである。そもそも「遊び」の原点は、アゴーン(広場)でゲームをすることにあるが、その本質は社交であるH・ジェイムズ『ある婦人の肖像』やプルースト失われた時を求めて』は、ときめきに満ちた社交を生き生きと描いている。また、イプセンの『ヘッダ・ガブラー』も、何よりも生き生きとした遊びと社交を求める女であった。「遊び」は、不真面目なものではない。「遊び」とは、他者との動的な関係性そのものの快、すなわち、快い対他関係が現実態となったものである。たとえば、ダンス、合奏、ゲーム、お茶や会食、饗宴などをイメージすればよいだろう。それは、ときめきに満ちた社交であり、そして最高の遊びは、もちろん恋であろう。

 

現代の哲学者A・マッキンタイアは、「ラモーの甥」を「哲学的想像力が生んだ無頼漢」と呼んだ(『美徳なき時代』九一頁、以下同書からの引用は頁数のみを示す)。おそらく実在のラモーの甥に加えて、ディドロの想像力が造形したものが「ラモーの甥」だから、「哲学的想像力」なのであろう。マッキンタイアによれば、「ラモーの甥」の人間類型は、「審美的態度aesthetic」を実践した「審美家」としてカテゴライズされている。そして他には、キルケゴール『あれか、これか』の「人物A」、「美的生き方」をするドン・ファン、そしてヘンリー・ジェイムズ『ある婦人の肖像』のラルフ・タチェットなどを挙げている。

 

ヘンリー・ジェイムズ『ある婦人の肖像』は、道徳の註釈書の一つの長い伝統の中で重要な位置を占めている。その長い伝統に属する初期の作品には、ディドロ『ラモーの甥』やキルケゴール『あれか、これか』がある。・・[そこで描かれているのは]社会に、それぞれ自分の一揃いの態度や好みを伴った個々の意志の会戦場所しか見出さず、社会をもっぱら自分たちの満足を見い出す闘技場(アリーナ)と考えているような人々である。・・・若いラモーとキルケゴールの「A」、そしてラルフ・タチェットは、まったく異なった環境でこの審美的態度(aesthetic)を実践した。(三一頁)

 

また、現代の哲学者チャールズ・テイラーは、『ラモーの甥』には直接触れていないが、近代の人間類型の一つとして「美的ナルシシズム」というパーソナリティを重視し、彼らは自分だけが価値を作ることができると錯覚しているとして、批判的に検討している(『<ほんもの>という倫理』(一九九一)、以下同書から引用)。これは内容的には、マッキンタイアの「審美的態度、審美家」とぴったり重なる。

 

人間の生の一般的特徴として引き合いに出したいのは、人間の生が本来、対話的な性質のものだということです。私たちが人間の名に十分に値する行為者となり、自分自身を理解できるようになり、したがってアイデンティティを定義できるようになるのは、人間のもつ表現力豊かな言語を身につけることによってです。・・その「言語」とは、私たちが話す言葉だけでなく、私たちが自分自身を定義するときに用いる他のさまざまな表現様式にまでわたります。それゆえここでの「言語」には、芸術の「言語」や身振りの「言語」、愛の「言語」といったものも含まれます。(四五頁)

 

これはまさに「ラモーの甥」その人を言っているように聞こえる。言葉はつねに聞き手に向けて発話される、つまり誰かに対して表現される。言語表現とは、本質的に、表現の受け手との対話なのである。この「表現」は通常の言葉とは限らず、身振り=パントマイムも、歌も、絵も、踊りも、その表現を受け取る者との対話である。このような対話的表現によって、我々は自己をつねに対他的に表現しており、自己のアイデンティティとは、広義の「言語」の表現によって、自己を定義することである。「ラモーの甥」は繰返し、「私」=ディドロに向かって、歌を歌い、楽器を弾く真似=パントマイムをし、踊ることによって、自分のアイデンティティを表現している。ニーチェツァラツストラも、最初は不機嫌だったが、次第に、快活に歌い、踊るようになってゆく。歌うことと踊ることは、最高の自己表現であり、自己の定義=アイデンティティなのだ。このように自己のアイデンティティを表現し作ることは、芸術家が芸術作品を創るのと並行的だというのが、テイラーの見解である。

 

以上から分るように、自己発見と芸術的創造は実に似通っています。ヘルダーの登場によって、また人間の生の表現主義的な理解によって、自己発見と芸術的創造との関係はとても密接なものになりました。芸術的創造は、それに照らして自己を定義できるようになるお手本、つまり自己定義のための模範的な型になります。一八〇〇年頃から、芸術家を英雄視し、芸術家の生きざまに人間の条件の真髄を見出して、芸術家を賢者、つまり文化的価値の創造者として崇拝する風潮が現れてきました。(八四頁)

 

ニーチェは、美意識の領域にあるある種の自己創造を探し求めたわけですが、彼はこの動きが、キリスト教の精神を吹き込まれた伝統的な博愛の倫理とはけっして両立できないと考えました。・・つまり社会のルールへの抵抗や、道徳への抵抗になってくると、・・価値は[自分によって]創造されるものだという理解が、自由と権力の感覚を与えます。(九一、九二頁)

 

「自己の形成」をある種の美意識によって自己目的化すると、「私だけが価値を創造する」とみなすナルシシズムになる。ヘルダー、フンボルトは、「個性」を前景化したが、ニーチェはさらに進んで、自己創造のナルシシズムをもたらした(「超人」!)。ニーチェの線を二十世紀にさらに推し進めたのが、デリダフーコーであるとテイラーは言う。マッキンタイアやテイラーが「美的ナルシシズム」に批判的であるのは、「美的ナルシシズム」においては、美的な要素が倫理的な要素を凌駕しがちで、倫理的な価値もすべて自分で作ることができるかのような錯覚に陥りやすいからである。にもかかわらず、実際にはこの「美的ナルシシズム」は、後退することなく前進し、二一世紀にはいよいよ我々の視界の中に前景化してきたように思われる。たとえば恋愛は、典型的な「審美的態度」「美的ナルシシズム」である。恋愛は、勝ち負けのあるゲームである。そして、自分の気に入った人を見つけて絆を創れる人というのは、たくさんのモテ資質をもった魅力のある人物である。そうでない人は、自分の気に入った人と絆を作ることができない。この審美的態度や美的ナルシシズムは、かつてはドン・ファンのような貴族にしか許されない態度であったが、一八世紀以降は、大ブルジョア、小市民なども、次第に審美的態度を持つようになった。それが『ラモーの甥』であり、またイプセンストリンドベリには、そのような審美的態度を主題にした作品が幾つもある。そして、二一世紀の今日、先進国においては、この審美的態度は、拡大の一途をたどっている。最近出た石田光規『「人それぞれ」がさみしい』(ちくまプリマ―新書、二〇二二年)は、「人間関係の最適化」つまり、自分の好きな人々とのみ繋がろうとする態度を主題にしている。またストロームクヴィスト『21世紀の恋愛 -いちばん赤い薔薇が咲く』は(原書二〇一九年、邦訳二〇二一年)、現代に結婚が減った究極の理由は、我々がナルシスティックになったことにあると言う。これらは検討に値するそれぞれに興味深い主題なので、いずれ考えてみたいが、とりあえず小論では、「ラモーの甥」の日本の末裔たちを簡単に紹介して終わることにしよう。

 現代の日本の「審美家」といえば、まずは九鬼周造だろう。彼の『「いき」の構造』は、「審美家」の生き方を、恋愛という局面において理論化した。彼は、男女の最高によい関係としての「いき」な恋愛を、「媚び」「粋/意気」「諦め」という三つの要素から捉える。「媚び」とは、男女がその性的魅力で互いに惹き合うこと、「粋/意気」とは、その性的魅力には、デレっとしたものではない凛とした強さが含まれていなければならないこと(ちなみにこの二つは、シラーの言う「優美」と「品位」に相当する)、そして「諦め」とは、ラブラブの恋愛感情は長続きせず、恋愛には必ず別れと終わりがあることの自覚を、それぞれ意味している。九鬼は恋愛を、「アキレスと亀の悪無限性」に例える。アキレスが亀に無限に接近しながらも、どこまでいっても接触は不可能であるように、男女の「いき」な関係は、互いに無限に接近はするが、一体化することはついにない。だから、結婚は男女の「いきな関係」ではありえず、恋愛だけをしながら生涯をまっとうするのが、美的な生き方なのである。九鬼は『「いき」の構造』を書いたパリ留学時代、たくさんの恋をして、和歌をたくさん詠み、雑誌『明星』に投稿した。その歌は、九鬼の審美的態度をよく表現している。

 一夜寝て女役者の肌に触れ巴里(ぱりい)の秋の薔薇の香を嗅ぐ

 ドン・ジュアンの血のいくしずく身のうちに流るることを恥かしとせず

 やるせなき胸の愁を何とせんタンゴにこめて君と踊らん

 

浅田彰『逃走論』(一九八六年)もまた、「ラモーの甥」の末裔である。浅田は言う、

 

パラノイア人間≫から≪スキゾ人間≫へ、≪住む文明≫から≪逃げる文明≫への大転換が進行しつつある。この大転換を全面的に肯定せよ! ・・何でまたこの大転換を肯定しなきゃならないのかと問われれば、答はカンタン、その方がずっと楽しいからに決まってる。・・この変化を軽く見てはいけない。それは一時的、局所的な現象じゃなく、時代を貫通する大きなトレンドの一つの現れなのだ。(『逃走論』九頁)

 

劇団雌猫の『誰になんと言われようと、これが私の恋愛です』(二〇一九年)、『浪費図鑑 悪友たちのないしょ話』(二〇一七年)もまた、審美的態度を生きる現代の「オタク女子」たちの姿を生き生きと描いている。

 

多様に広がり続けるオタク界隈において、日々発明されているのが、「ときめき」や「好き」をあらわす言葉。オタク女性たちはこうしたワードを駆使して、対象への想いや愛をSNSやブログで、あるいは仲間同士の飲み会で、語り続けています。・・・たしかに「推しに夢中でリアルなパートナーがいない」という人は少なくありませんし、「恋人いない歴=年齢なのを気に病んでいる」という人の話も聞きます。けれど一方で「夫も推しも等しく愛している!」とアッパーに宣言している人もいれば、「今はアイドルを推すのに忙しいけれど、暇になったら恋愛をする」「人間に恋愛感情を抱いたことはないけれど、創作上のキャラクターたちのことは本当に大切に思っている」という人もいます。(『誰になんと言われようと、これが私の恋愛です』三頁以下)

 

芥川賞で話題になった宇佐見りん『推し、燃ゆ』もまた、自分の趣味に生きることを第一義とする「オタク女子」を主題とするものであった。「審美家」として「美的ナルシシズム」を生きることは、誰にでもできることではない。しかしそれができる条件に恵まれた人がそのように生きることは、別に反道徳的でもないだろうと私は思う。二一世紀の今日、世界各地で「ラモーの甥」の末裔たちが増えていることは、大いに喜ばしいことではないだろうか。

 

 『ラモーの甥』については、三種類のテクストを参照した。引用は岩波文庫版によるが、一部修正したところがある。引用の最後の漢数字は岩波文庫版の頁数である。この小論の太字はすべて植村による。また[ ]による補足も植村のもの。

・Diderot : Le Neveu de Rameau, Libretti, 2001

・Diderot : Rameaus Neffe (übersetzt von Goethe), tredition, 2011

ディドロ『ラモーの甥』(本田喜代治、平岡昇訳、岩波文庫、一九八二)