[今日の絵]  1月前半

[今日の絵]  1月前半

1 Paul Limbourg : February 15世紀初頭

今日から「冬の絵」。中世では12か月のカレンダーのそれぞれに季節の絵が描かれることが多かった、この絵のタイトルは「2月」。オランダのリンブール兄弟は15世紀初頭にオランダ、フランスで活動した画家。羊や鳥、家内外で働く人々が生き生きと描かれている

 

2 歌川国吉 : 日蓮上人 佐渡の塚原にて

見事な構図、降る雪が小さな丸い玉に見えて、凍っているかのよう、日蓮上人は薄着でいかにも寒そう。作者1798-1861は幕末の絵師

 

3 Hendrick Avercamp: Winter Landscape with Ice Skaters 1608

ヘンドリック・アヴェルキャンプ1585-1634はオランダの画家、大勢の人々が集まっている絵が多い、この絵も、実に多様な人々がスケートだけでなくそれぞれ別のことをしている姿が生き生きと描かれている

 

Pierre-Auguste Renoir: Skaters in the Bois de Boulogne 1868

昨日の絵から260年後、パリ、「ブーローニュの森」でスケートをする人々、昨日と同様、人々は色々なことをしている、皆さん楽しそう

 

5 Ludwig Hermann : View of a City in Winter 1869

ルードヴィッヒ・ヘルマン1812-81はドイツの画家、河のある都市の光景をたくさん描いた、この絵も寒そうな古い街、凍った運河で魚か何か採れるのだろうか、手前の氷面に穴があり、籠をもった大人や子どもが集まっている

 

6 Giuseppe De Nittis : How Cold! 1874

タイトルは「何て寒いの!」、馬車を降りたばかりの上流階級の女性たち、雪がかすかに散らついている、手袋からして冬だろう、歩く姿勢がとても寒そう、ジュセッペ・デ・ニッティス1846-1884はイタリアの画家、動性のある女性などを描いた

 

7ピサロ : モンフクーの雪と牛の風景1874

雪が降ると、光景は、ほとんど白と、あとは灰色、黒だけに見えるのか、ピサロの描写は、かなり実景に忠実なのだろう

 

8 Claude Monet : Train in the Snow or The Locomotive 1875

降っている雪のせいで、遠くほどぼやけて灰色っぽく、全体の色調の勾配がすばらしい、二個の明かりが眼のようで、まるで機関車は生きているかのようだ

 

9 Frans Wilhelm Odelmark : 煙突掃除人 1880

煙突掃除人の顔は煤で真っ黒、そしてとても疲れている様子、つらい仕事だ、遠くが夕日のように明るいが、北欧なので昼間でも太陽が低いのか、オーデルマルク1849–1937はスウェーデンの画家、都市をたくさん描いた

 

10 Daniel Ridgway Knight : En invierno 1880

街に売りに行く途中で友達と談笑する農家の娘たち、何か共通の話題があるのか、女子会の雰囲気だ、ナイト1839 – 1924は米国生まれてフランスに移住、この絵はフランスだろう

 

11 Gogh : Miners in the Snow Winter 1882

雪道で談笑する「鉱夫たち」、ゴッホは人間を見る眼差しが優しい、ゴッホにしてはあっさりした絵だが、点々とした小さな赤い花が美しく、雪もあまり冷たい感じがしない

 

12 Munch : Snow Falling in the Lane 1906

いかにもムンクらしい絵、彼特有の空間の閉じ方、空間の歪みが、白い雪道と並木からよく分る、この空間の不安定さゆえに不安な気分が広がっている

 

13 Erik Henningsen : After the Night Shift 1907

 夜勤を終えた警官に、早朝のカフェの娘が、熱いお茶を出している、中に入っていないから、たぶんサービスなのだろう。ヘニングゼン1855 -1930はデンマークの画家、貧困層や社会的弱者をたくさん描いた

 

14 Paul Gustave Fischer : Snow Sled Ride in Søndermarken, Copenhagen

フィッシャー1860-1934はデンマークの画家、上流中産階級の出で、描く人も中産階級以上だ、ソンダーマルケンコペンハーゲンの公園、スキーやそり遊びを楽しむのはやはり上流階級の人々だろう

 

15 Paul-Gustave Fischer:売り物のクリスマスツリー(コペンハーゲン市庁舎広場で)

雪がやめば街は楽しい、人々の歩き方、立ち方、話し方にそれがあらわれている、「売り物のクリスマスツリー」を眺めている人は裕福そう、「あら、買おうかな」とか言っているのか

 

16 Elin Gambogi : 冬の漁師 1887

タイトルは「冬の漁師」だが、アマチュアだろう、作者の夫と息子かもしれない、父が息子に教えているのだ、 ガンボージ1861-1919はフィンランドの女性画家

[折々のモーツァルト] 11,12月

[折々のモーツァルト]  11,12月

11.2《フィガロ》第2幕、「恋とはどんなものかしら」、スロバキアの歌手パトリツィア・ヤネツィコヴァ1998~2023が歌う、なんて可愛いケルビーノ、あぁ、でも彼女は今はもういない

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9《フィガロ》映画「高慢と偏見」における「恋とはどんなものかしら」:リジーとダーシーの恋が「復活」し、二人が視線で愛を確認するシーン、リジーモーツアルト「恋とはどんなものかしら」をピアノで弾き歌う、「高慢と偏見」のクライマックス! 2分の動画二つ

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16 《アポロとヒュアキントス》1767年、 11才のモーツァルトが書いた最初のオペラ。ラテン語詩劇で、主題は「少年愛」。もうすでに、聴けばモーツァルトと分る美しい音楽。動画2分

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23《魔笛》終幕の「パ・パ・パ」。もう中年のパパゲーノとパパゲーナ、二人とも初恋にして初セックス、何という初々しさ、瑞々しさ、崇高さ! 神様は君たちを祝福しているんだよ! 愛は恩寵、 私は観るたびに涙が溢れます。動画7分間↓ 史上最高の《魔笛》です

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30《魔笛》「パ・パ・パ」 London Festival Operaより 先週とはまるで違う、折り目正しいパパゲーノ氏とパパゲーナ嬢、もうちょっといちゃついてもいいのに、愛だもの

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12.7 《魔笛》の最後「パ・パ・パ」、こちらはブラスバンドの演奏、ゆったりとした金管の響きの、暖かさ、美しさ!

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14《フィガロ》「恋とはどんなものかしら」Vl演奏版、どんな楽器で演奏してもモーツァルトは美しい、金子 恵(ピアノ)、田辺 秀樹(ヴァイオリン)

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21 2006年ザルツブルグ音楽祭《フィガロ》第2幕、シェーファーのケルビーノ、ネトレプコのスザンナが共演。大人の女性二人が一人の少年を愛撫するのは、やや悩ましいシーンではあります。

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28《フィガロ》第4幕、暗いので(スザンナに変装した)伯爵夫人の手を触っても妻だと分からない伯爵、スザンナだと勘違いして「若い娘の体は、いいなぁ」と悦に入ってるから伯爵夫人は怒っちゃった(ダメじゃん伯爵!)。この伯爵夫人、なんて素敵!北欧の歌手。

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[今日の絵] 12月後半

[今日の絵] 12月後半

14 Jean-Marc Nattier : Portrait of a lady 1750 

フランス革命以前のロココ時代の絵、ナティエ1685-1766はルイ15世時代の肖像画第一人者、この顔はほとんど真正面で、描くのが難しいのだが、ナティエは真正面の画が多く、どの表情も凛とした上品さが美しい

 

15 Élisabeth Vigée-Lebrun : Porträt der Luise von Preußen (1770-1836), Ehefrau von Anton Radziwiłł (1775-1833)1802、ルブランはマリー・アントワネット付きの女性画家、フランス革命後も貴族の肖像を描いた、この女性はプロイセンの貴族だろう、32歳だが若々しく瑞々しい

 

16 Natale Schiavoni : La Bellezza 1842

タイトルは「美」あるいは「美女」、斜めからぴたりと「目が合い」、鑑賞者はしっかり彼女に見つめられている、この視線が魅力の源泉か、ナターレ・スキアヴォーニ1777-1858はイタリアの肖像画

 

17 Lars Hansen : The Dean’s daughter

タイトルは「長老(村長)の娘」か、ずっしりと木の枝を背負っているから田舎だろう、彼女はある種の<強さ>を感じさせて美しい。ラース・ハンセン1813-72はデンマークの画家

 

18 Anton Einsle : Female Portrait 1847

名前はないが、<気位>を感じさせるこの女性はおそらく貴族、シラーの<優美と品位>という観点からは、やや<品位>寄りか。アインスル1801-71はオーストリアの画家で宮廷や貴族を描いた

 

19 Jozef Van Lerius : Girl from Dalarne 19Ce

「ダラルナ」はスウェーデンの地方名、レリウス1823-1876はベルギーの画家で、この女性は北欧系のクールビューティ、大きくはないが澄んだ眼には端正な美しさがある

 

20 Henry Guillaume Schlesinger : the Girl by the Window

アンリ・ギヨーム・シュレジンジャー1814–93はドイツ生まれのフランスの画家、表情豊かな女性画をたくさん描いた

 

21 William-Adolphe Bouguereau : 1879

真正面の顔を描くのは難しいのだが、ブグローの女性画は真正面が多い、眼差しの中心点が光り、視線が鑑賞者を貫く感じがある

 

22 Lord Frederic Leighton : Biondina 1879

イタリア語のBiondina は「金髪の少女」という意味、サー・フレデリック・レイトン1830-1896は貴族でもあったイギリスの画家、官能的な女性画が多いが、これは少女らしい端正さがある

 

23 Jean-François Portaels:The women in oriental dress

タイトルからすると複数の女性が描かれているのか、この女性は、鑑賞者を見る鋭い視線、逞しい腕、ヘッドラップ、耳・首・腕の飾り、服の色彩など、上半身の動性的均衡が美しい。ポルタエルス1818-95はベルギーの風俗画家、異国風の女性を描いた

 

24 Sophie Anderson : Woman with necklace

素朴な「ネックレス」だから庶民の女性だろう、たぶん十代か、やや遠くを見ている眼が美しい。ソフィー・アンダーソン1823-1903はフランス生まれの英国の女性画家、眼の美しい少女の絵をたくさん描いた

 

25 Gabriel von Max : Portrait of a Nun 1915

修道女の、斜め上をぐっと見詰め、神に向かう視線の強さが美しい、強い信仰を感じさせる。マックス1840–1915はプラハ生まれのオーストリアの画家、人や猿を描き、斜め上をキッと見詰めている女性も多く描かれている

 

26 Ivan Olinsky :

顔はやや横向きだが視線はストレートに鑑賞者を見ている、顔、肩、左手と斜め下に真っすぐ伸びた直線性など、身体全体の凛とした三角形の体勢が美しい、オリンスキー1878-1962はウクライナ生まれでアメリカの画家、描く女性はすべて凛としている

 

27 Albert Lynch : Portrait of a woman

誰の近所にも普通にいるような女の子を描いたのかもしれない、それがこんなに瑞々しく美しい。アルベール・リンチ1861-1950はフランスとベルギーで活動した画家、女性をたくさん描いた

 

28 Cesar Santos : 親密な衣服 2010

やや斜めからの視線でじっと見つめる表情が美しい、衣服の紐や左肩が傾いているが、上半身の中央にまっすぐな軸があって、直線が貫く体勢が快い。セザール・サントス1982~はキューバ系のアメリカ人画家、女性画が多い

 

29 Ken Hamilton :

ケン・ハミルトン1956~はアイルランドの画家、女性の顔のアップをたくさん描く人、顔や視線の傾きがこの絵と同様の絵が多く、おそらく彼にとって、それが女性の一番美しい表情なのだろう

 

30 Piotr Topolski :

ピョートル・トポルスキー1960~はポーランドの画家、古典的な手法で描く人で、女性の顔のアップをたくさん描いている、端正で瑞々しく美しい

 

31 Damian Lechoszest :

ダミアン・レチョセスト1976~はポーランドの画家、「ヨハネ・パウロ2世の肖像」の他に、少女もたくさん描いている、斜め下から照らすランプや蝋燭の光が、シャープな表情をつくり出す

 

[今日のうた] 12月

[今日のうた] 12月

 

何となく汽車に乗りたく思ひしのみ/汽車を下(お)りしに/ゆくところなし (啄木『一握の砂』1910、この寂しさ。啄木は人一倍寂しがり屋だったにせよ、誰にでもこういう気持ちになるときは多少ともあるのではないか、だから共感できる) 12.1

 

あなたは誰かと生きてほしいの、と言われたことが今も火口湖 (砂崎柊「東京新聞歌壇」12.1東直子選、「交際を断る、あるいは別れを切り出すときの口実として言われた言葉だろう。思い出すたびに胸が締めつけられるような感覚を「火口湖」で示した」と選評) 2

 

姉と外で飲むのもいいな特別で大事な話もあるらしいから (松田わこ「朝日歌壇」12.1馬場あき子/永田和宏共選、作者は若い女性か。オースティン『高慢と偏見』では、深夜にリジーは姉のジェインの寝室で結婚候補者について長い間話し合う、親に聞かれたくない会話も) 3

 

んびんびとんぐんぐんぐんと今年酒 (瀧本敦子「東京新聞俳壇」12.1 小澤實選、「今年酒、今年醸した新酒のこと、それ以外は、すべてオノマトペ。ふたりいてともに新酒を楽しんでいるか」と選評) 4

 

帰郷して最後と思ふ月仰ぐ (柴田香織「朝日俳壇」12.1長谷川櫂大串章共選、実家がやがて取り壊されるのか、実家ではよく月を見た、でもここで月を見るのはこれが最後だろうか) 5

 

何おもふ冬枯川のはなれ牛 (久村暁台、冬枯れた淋しい川の横に、群れから「離れた牛」がぽつんと一匹いるのだろう、「何おもふ」がいい、まるで人間のような風格があるのか、作者1732-92は江戸中期の尾張俳人) 6

 

満開にして淋しさや寒桜 (高濱虚子、「寒桜」とは「冬桜」のこと、群馬県鬼石町のフユザクラは何度か見たことがあるが、白くて小さい花で、「満開」であっても何だか「淋しい」感じだ) 7

 

女の子枯木に顔を当てゝ泣く (高野素十、「女の子」と「枯れ木」というかけ離れたものの取り合わせの妙) 8

 

冬木(こ)だち月骨髄(こつずい)に入る夜かな (高井几董、冬木立の向こうに月が冷たく輝いている、「月の冷気が骨髄の中まで入ってくる」くらい、しんしんと冷える、作者1741-89は蕪村の弟子) 9

 

「動く」「いや動かない」「いや」真夜中に二人そろってまりもを見張る (伴風花『イチゴフェア』2004、彼氏と一緒に「真夜中に」マリモを「見張っている」というのがいい、マリモは藻だから動物のように動いたりはしないはずだが、わずかに浮き沈みがあるのか) 10

 

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ (俵万智『サラダ記念日』、さっぱりと詠んでいるが、恋って本当にいいものだね、と感じさせる) 11

 

ただ一挺の天与の楽器短歌といふ人体に似てやはらかな楽器 (永井陽子『ふしぎな楽器』、作者にとって「短歌」は「楽器」なのだ、「一挺」というからには弦楽器のイメージか、「人体のようにやはらかく」て歌が溢れてくるヴァイオリンのような「楽器」) 12

 

地図にない離島のような形して足の裏誰からも忘れられている (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』、「足の裏」を「離島」と捉えたのがいい、たしかに自分の「足の裏」はめったに見ることはないし、ふだんは「誰からも忘れられている」) 13

 

をり鶴のうなじこきりと折り曲げて風すきとほる窓辺にとばす (栗木京子『中庭』、「こきり」というのは作者が作った擬態語らしい、「をり鶴のうなじ」をキュッと固く「折り曲げて」最後の形を整え、窓辺に飛ばした) 14

 

恋にうとき身は冬枯るる許(ばか)りなり (子規1894、子規27歳の句だが、そういえば彼は恋はしなかったのか) 15

 

ただ寒し封を開けば影法師 (漱石1905、東大英文科の教え子で弟子の鈴木三重吉が自分の影法師を写して送った手紙の返信として作られた句、三重吉は白い紙に鉛筆で影を写したのだろうか、ユーモアの絵に返したユーモア句だろう) 16

 

茶店とも酒保とも雪の一件家 (河東碧梧桐1906『新傾向句集』、「酒保」は酒を売る店。碧梧桐は虚子の親友で、ともに子規門下だが、子規没後の頃から「新傾向」の俳句を作り始めた、これはその「新傾向俳句」を作る大旅行の途中の句) 17

 

ふるさとに身もと洗はる寒さかな (室生犀星1929、作者は40歳で東京在住、冬、故郷の金沢にちょっと寄ったが、うまく知人に会えず、「あなた誰?」みたいに言われたのだろう、たしかに「寒い」) 18

 

争ひに負けたる蟹は崖を落つ (山口誓子『和服』1955、浜辺の砂の上ではなく、「崖」で「蟹の争ひ」があった) 19

 

雪はげし夫(つま)の手のほか知らず死す (橋本多佳子『紅絲』1951、有名な「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」もそうだが、「はげしく降る雪」の中で作者は、1937年に亡くなった夫・豊次郎を想起する) 20

 

古麗錦(こまにしき)紐解き放(さ)けて寝るが上(へ)に何(あ)ど為(せ)ろとかもあやに愛(かな)しき (よみ人知らず『万葉集』巻14 、「高価な古麗錦の下着の紐を解き放って、こうして君と共寝している! もはやこのうえ何しろって言うのさ、この僕に、可愛い人よ」) 21

 

寄るべなみ身をこそ遠くへだてつれ心は君が影となりにき (よみ人『古今集』巻13、「ああ、貴女は僕を近付けてくれません、僕の体はいつも遠く隔たったまま、でも僕の心は、いつも貴女の影となって、貴女にぴったりとくっついています) 22

 

色にいでて人にかたるな紫の根ずりの衣きて寝たりきと (『和泉式部』続集、「[ねぇ源頼信さん、紫の直垂を私の所に置き忘れて帰った貴方に、これお届けしますけど] この紫の衣を着て、私の所に泊まったなんて、はっきり人に言わないでね、貴方ってすぐ言っちゃうんだから、もう」) 23

 

思ふをも忘るる人はさもあればあれ憂きをしのばぬ心ともがな (源有房『千載集』巻15、「僕がこんなにも貴女を想っているのに、貴女は僕を忘れてしまった、そんな人はもうどうにでもなれ、つれない人を慕うことなんかない心がほしいよ、ああ」) 24

 

頼めぬに君来(く)やと待つ宵のまの更けゆかでただ明けなましかば (西行『新古今』巻13、「必ず行くよと貴方が言ったわけではないけれど、ひょっとして、もしかしたらと、ひたすら待つ私、あぁ、このまま夜が更けるのではなく、いっそ明けてしまえばどんなに楽かしら」) 25

 

あはれあはれ思へば悲し終ゐ(つひ)の果て偲(しの)ぶべき人誰となき身を (式子内親王『家集』、「あぁ、何て悲しいことかしら、私もついに死ぬのね、私を想ってくれる人が誰かいてほしいけれど、あぁ、誰もいない」) 26

 

年忘(としわすれ)老は淋しく笑まひをり (高濱虚子、「年忘」とは忘年会のこと、虚子は大勢の弟子たちに囲まれてご機嫌なのだろう、自分のことを「淋しく笑まひをり」と茶化している) 27

 

流れ木のあちこちとしてとし暮ぬ (一茶、一茶は江戸の下町住まいだから、近所の水路のようなところかもしれない、「流れ木があちこちに」浮かんでいるのが年の暮れを感じさせるのか) 28

 

歳晩(さいばん)の水を見てゐる橋の上 (加藤耕子、暮れも押しつまる頃になると、橋の下のいつも見慣れている河の水が、なにか少し違っている気がする) 29

 

降る雪に楽器沈黙楽器店 (大橋敦子、「雪がしんしんと降っている、いつもは楽器の音が聞こえている楽器店も、今日は沈黙している」) 30

 

年の夜(よ)やポストの口のあたたかし (宮坂静生、「年の夜」は大晦日の夜、作者は手紙(おそらく年賀状)を郵便ポストに入れたのだろう、その瞬間、手紙を快く受け入れてくれた「ポストの口があたたかく」感じられた、ただしこれは昔の丸い郵便ポストだろう) 31

[演劇] マキノノゾミ『北斎マンガ』わらび座

[演劇] マキノノゾミ北斎マンガ』わらび座  亀有リリオホール 12.20

(写真↑は、前列左から、北斎の娘・お栄、北斎、妻・おこと、滝沢馬琴、全員が個性的で、素晴らしい喜劇キャラ)

アリストテレスは演劇を「ある人間の生きざまを必然性のある可能態としてミメーシス(=再現)すること」と定義した(『詩学』)。つまり、実在した個人の評伝劇が演劇の本来の姿なのだ。わらび座の上演では、これまで観た「平賀源内」「井口阿くり(日本に女子体育を導入した教師)」の二つの評伝劇がよかったが、今回の「葛飾北斎」はそれを上まわる傑作だと思う。作・演出がマキノノゾミだからか。何よりも、北斎がこれほど魅力的な人だったことがよく分る。よくケンカをしたらしいが、自由を最優先した生き方が素晴らしい。他人のアドバイスをまったく聞かず、自分の描きたいものだけを、自分の描き方で描く。当時は「芸術家」という概念はなく、彼は職人の「絵師」だったが、実態はまさしく芸術家、しかも商売上手で、売れる作品を描く人。作風はリアリズムではなく、まさに現代アート。印刷して冊子で売られた『北斎漫画』は、人間が実に生き生きと描かれている↓。

とにかく、北斎の親密圏は個性的な人ばかりなのがいい。ケンカしながらの馬琴との深い友情も実にいいし、妻・おこと、娘・お栄も個性的で、おかしく面白い人。娘・お栄は出戻り後、北斎を補佐し絵師を継いだが、酒も煙草も大いにやる、オヤジに劣らぬ豪快な女。妻・おことは、北斎その人を非常に深く理解しているのが凄い。これだけ個性的な人物が集まって、これほどよい家族がありえたのだ。キルケゴールは、「恋愛は、その個人だけにある美質に互いに惹かれたときに本物になる」と考えたが、北斎夫婦・親娘はそういう関係にみえる。ミュージカルで軽快なロック調の音楽にしたのがいい。北斎現代アートなのだから、ロックはよく似合う↓。