[演劇] オノマリコ『The Game of Polyamory Life』 KAAT

[演劇] オノマリコ『The Game of Polyamory Life』 横浜・KAAT 6.1

(以下の写真↓はAチーム版Bチーム版の両方を含む)

10年ぶりの再演で、今回は稲葉賀恵演出。稲葉は、Aチーム(アリスとタイガーが女、ムーンが男)とBチーム(アリスとタイガーが男、ムーンが女)に分けて日替わり公演にした。これでポリアモリー内部の恋人関係と外部の新たな恋人との関係とのどちらにも、(A)レズビアンと(B)ゲイの両方の可能性を提示できる。<ポリアモリー>の開かれた可能性を示す卓越した演出だと思う。私の観たのはBチーム版。女のエンジェルは高校教師でパンセクシュアル、女のムーンは精神科医/大学講師でバイセクシュアル、男のタイガーはバイセクシュアル、エンジェルの昔の元カレの男アリスはバイセクシュアル、エンジェルの教え子だったガンダムだけがヘテロセクシュアル。エンジェル、ムーン、タイガー3人のポリアモリー共同生活は非常にうまくいっている(写真↓)。タイガーとエンジェルの子づくりも合意し、妊活も始まる。

しかし、元彼(今もエンジェルへ片思い)や元教え子などが外部から現れて、ポリアモリー内部の3人はそれぞれ、外部にも新しい恋人関係ができることになる。最初は「あくまで友だちね」と言っても、次第に恋人関係になっていくところが面白い。そして新しい恋人関係が出来ると、ポリアモリーの3人それぞれに深刻な葛藤が生じる(写真↓)

まずタイガーとムーンがそれぞれ、3人の「ポリアモリー同居場所」に不在のことが生じ、次には、一人残されたエンジェルも元教え子ガンダムと恋人関係になって出ていくので、「ポリアモリーの同居場所」には誰もいなくなってしまう。ガンダムはムーンとも恋人関係になっているので、エンジェル・ガンダム・ムーン3人の新たなポリアモリー家族も生じることになる。

 ところがである、エンジェル、ムーン、タイガーの3人は「これからも一定は一緒にいよう」と誓い合うので、最初のポリアモリー家族はなくなるわけではない。ポリアモリーそのものが細胞分裂のように新たに増殖してゆくのだ。新たな恋人を含む5人全員が、この新たな関係性に満足しているようにみえる。一夫一妻制とは違いポリアモリーは<緩やかな>関係性だから、これは可能なことだと思う。本作は、エリザベス・ブレイク『最小の結婚』に描かれたポリアモリー・モデルによく似ており、どちらかというと「友だち婚」に近いポリアモリーだろう。恋人関係それ自体には、遠い/近いの多様性がありうるから、もし非常に「近い」場合は、こううまくいくとは限らないかも。本作では、パンセクシュアルのエンジェルが「一定の距離のある恋人関係」を上手く維持できるゆえの成功かもしれない。あらためて思うのだが、そもそもポリアモリーというのは、ヘテロセクシュアル以外の人も加わる場合にこそ、より必要で、より現実的なのかもしれない。日本ではまだポリアモリー自体がよく知られていないから、本作の上演は非常に意義深い。

 

[演劇] T.ウィリアムズ『欲望という名の電車』 ヤング・ヴィック座

[演劇] T.ウィリアムズ『欲望という名の電車』 ロンドン、ヤング・ヴィック座 NTLive さいたま芸術劇場映像ホール 5.29

(上演は2014年? とても斬新な舞台、ステラの家が剥き出しで全方向から眺められる↓ 以下の写真には別劇場の舞台も含みます)

うい、

正確な上演日時は分らないが、演出ベネディクト・アンドリュース、[ブランチ]ジリアン・アンダーソン、[ステラ]ヴァネッサ・カービー、[スタンリー]ベン・フォスター、(写真↓左から、ステラ、ブランチ、スタンリー)

本作は何度も見てきたが、この舞台は強烈だ。「誰であれ、結局、人間に完全な愛の成就は不可能」というテネシー・ウィリアムズの命題が、極限まで痛々しく表現されている。いい家のお嬢様のブランチが「自分の居場所がなくなり、すべての逃げ場もなくなり」、娼婦となり、そして妹の家に転がり込んでメンタル異常をきたして精神病院に収容されるという物語は、極端な例外ではなく、日本の「東電OL殺人事件」などに見られるように、実は普遍性のある主題なのだ。いかなる女性の「自己実現」にも何らかの<女性性>の現実態は含まれざるをえない、という問題ともいえる。スタンリーとその友人たちなど、ずいぶん粗野で暴力的な男たちだが、1947年のアメリカ南部では、これは普通だったのかもしれない。夫婦の在り方に「正解」というものはないのだ。現在の我々の視点からしても、ステラ・スタンリー夫婦は、愛のあるよき夫婦であり、明らかに姉ブランチの捉え方の方がおかしいと感じる。(写真↓は、スタンリーとステラ、友人たち)

それにしても、精神病院から「迎え」が来て、最初は抵抗するブランチがやがておとなしくなり、連れて行かれるシーンは衝撃的だ。その時、医師に向かって彼女はこう言う、「(医師の腕にしっかりすがって)どなたかは存じませんが、私はいつも見ず知らずのかたのご親切にすがって生きてきました」。そして、送り出すステラは「ブランチ!、ブランチ!、ブランチ!」とただ号泣する。およそ演劇史上、このブランチの科白ほど悲しい科白はないのではないだろうか。『ガラスの動物園』のトムとローラのダンス・シーンは、演劇史上最高に「美しくて悲しい」シーンだが、『欲望という名の電車』の最後は、「ただただ悲しい」。(写真↓は、精神病院から「迎え」が来る直前、恋人が迎えに来ると想い込んで、身を整えようと風呂に浸かるブランチ)

 

[今日の絵] 5月後半

[今日の絵] 5月後半

23 Nicolas Jean Baptiste Raguenet : le Pont Neuf et la Samaritaine 1757

橋とは、川=自然における人間の分断=否定に対抗する、人と人の結びつき=肯定だから、橋はそれ自体が美しい。今日からは、繰り返し描かれてきたパリのポンヌフ橋を、右に見えるのは百貨店サマリテーヌ。ラグネ1715-93はフランスの画家、パリを描いた

 

24 Giuseppe Canella : La Cité et le Pont-Neuf, vus du quai du Louvre 1832

タイトルは「ルーヴル河岸から望む、シテ島とポンヌフ橋」、手前の河岸を行き交う人々に活気がある。カネッラ1788-1847はイタリアの画家、都市や風景を描いた

 

25 Renoir : Pont-Neuf 1872

ルノワールは、初夏の明るい日差しのポンヌフ橋を描きたかったのだろう、光が溢れて、行き交う人々もどこか楽しげ

 

26 Pisarro : The Pont-Neuf, Rainy Afternoon 1901

前日のルノワールと違って、こちらはポンヌフ橋の「雨の降る午後」、雨なのに、橋の上をゆく人々も、橋の下をくぐる船も、どこか楽しそう

 

27 Angelo Dall'Oca Bianca : Passeggiata sul Ponte Nuovo 1893

ポンヌフ橋を渡る母と娘2人、母のピンと張った姿勢がいい。ビアンカ1858-1942はイタリアの画家、都市の橋もたくさん描いている

 

28 Albert Lebourg : Le Pont Neuf et la Seine 1905

手前の船着き場、セーヌ河、ポンヌフ橋、樹木、建物、そして空から構成される構図と、色彩のバランスとが絶妙。ルブール1849-1928はフランス印象派の画家

 

29 Emma Chadwick : The Pont Neuf

ちょうどポンヌフ橋の下をちょうど船が通り抜けることを描きたかったのだろう、季節は秋か、水の色がいい。エマ・チャドウィック1855-1932はスウェーデン生れでフランスの女性画家、人物画を多く描いた人

 

30 Édouard Cortes : Pont Neuf

夕刻の雨上がりの路面と、重い灰色の空が、後方の灯火を挟むようにして美しい。コルテス1882-1969はフランスの画家、パリの美しい姿をたくさん描いた

 

31 Albert Marquet : The Pont Neuf, Paris 1935

アルベール・マルケ1875-1947はフランスの「野獣派」と言われる画家、色鮮やかな絵が多いが、この「ポンヌフ橋」は穏やかな色彩、セーヌ河の色もいい

[演劇] ベケット『エンドゲーム』

[演劇] ベケット『エンドゲーム』 新国・小ホール 5.25

(写真↓は舞台、中央は、盲目のハム、左側のバケツに入っているのが、ハムの父のナッグと、その妻のネル、この二人は戦争で地雷?によって傷つき、両足がない障碍者)

岡室美奈子の新訳を、小川絵梨子が演出。『エンドゲーム』1957は、『ゴドー』1953よりは、『ハッピーデイズ』1962に近い作品だが、この三作はいずれ劣らぬ傑作だと思う。『ハッピーデイズ』は障碍者になった妻が、首までゴミに埋まって動けない状態で、いやいや介護する夫と冷たい会話が延々と繰り広げられ、家出した夫は体も弱るが、最後に帰ってきて妻にキスして死ぬ。『エンドゲーム』も全体の構造はよく似ており、盲目で動けない障碍者のハムが、介護する若者クロヴ(写真の左端↓彼は足が悪く体の動きがぎこちない)と、ナッグやネル(写真右)と冷たい会話を交わすだけで、最後にネルは死に、クロヴはハムのもと去ってゆく。介護される側のハム、ナッグ、ネルの三人が『ハッピーデイズ』の妻に相当し、介護するクロヴが同じく夫に相当する。シェルターのような場所の外は、たぶん世界戦争後の廃墟で、人間の姿はない。このような終末論的情況でぎりぎりの生活をしている四人にも、ついに「終り」が到来するところで終幕。

ほとんど救いのないようにみえる状況と結末だが、しかしそこにはかすかな救いがないわけではない、というのがベケットの主旨だと思う。ハムと父ナッグは険悪な会話をする。(ハ)「悪党めが!どうして私をこの世に送り出したんだ?」、(ナ)「知らなかったんだよ」、(ハ)「なにを? なにを知らなかった?」、(ナ)「生まれてくるのがおまえだってことをさ」。つまり、究極の反出生主義の遣り取りがなされる。しかし終幕、出て行ってしまうクロヴをハムは罵るのではなく、やがて死ぬハムとナッグに向けたクロヴの最後の会話は、こうなっている。(去りながら振り返らないクロヴ)「「登場人物、退場」ってやつだ」、(ハ)「おまえには感謝しているよ。クロヴ。よくやってくれたな」、(ク)「(振り返って、きっぱりと)いや、感謝するのは僕のほうだよ」、(ハ)「お互いに感謝し合っているというわけだ・・・(クロヴはドアに向かって去りかける)」。最後のこの会話は、かすかな救いを示しているのだろう。

 訳者の岡室が指摘するように、本作は、登場人物の語りがさまざまなモードになっている。ハムの語りは、クロヴに向かって話すモード、独り言のモード、そして物語るモード、さらにその物語の中でいろいろな人物になりきるモードもある。クロヴには、登場人物に話すモードの他に、観客に向かって語るモードもある(岡室はその部分を、です・ます調に訳している)。こうした発話モードの多様性は、『ハッピーデイズ』を分析してみてもたぶん言えるだろう。なるほどベケットは奥行きが深い。

 動画は見つかりませんでしたが、2000年の映画版の終幕↓(コメント欄に訳詞)、ただし、この相互の感謝の科白のすぐ後、ハムが死ぬときの独白なので、辛い。

サミュエル・ベケットの『エンドゲーム』(2000年) - 最後のモノローグ : r/Pessimism

 

[今日のうた] 5月

[今日のうた] 5

知るやきみ末の松山越す波になほも越えたる袖のけしきを (藤原良経『家集』、「大津波も越えられなかった、あの末の松山を、私の涙は一度ならず二度も越えて、袖はびしょびしょです、こうしてひたすら貴女を想っているのを御存知でしょうか」) 5.1

 

大き海の水底(みなそこ)深く思ひつつ裳引きならしし菅原の里 (石川郎女『万葉集』巻20、「大海の水底のように、貴方を深く思いながら、裳裾を引いて暮らした、あの菅原の里が懐かしい、それなのに貴方は私を捨てた」) 2

 

つらかりし多くの年は忘られひと夜の夢をあはれとぞ見し (藤原範永『新古今』巻13、「僕は長い間、貴女と逢えずに苦しんできたけれど、昨晩、ついに逢えて一夜を過ごしたよね、まるで夢を見ているような素晴らしい一夜だったよ」、後朝に彼女に贈った歌) 3

 

人言(ひとごと)を繁(しげ)み言痛(こちた)み己(おの)が世にいまだ渡らぬ浅川渡る (但馬皇女『万葉集』巻2、「穂積皇子さまに恋しちゃった私、人の噂を避けるために人目を忍んで、ついに私の人生で初めての冒険、あぁ、裾を水に濡らしながら川を渡っちゃった」) 4

 

水の上に数書くごとき我が命妹(いも)に逢はむと祈宣(うけ)ひつるかも (よみ人知らず『万葉集』巻11、「水面に指で描いた数のように、僕の命はとてもはかない、あぁ、貴女に逢いたいと、ひたすら神に祈っています」) 5

 

あやなくてまだき無き名の龍田川(たつたがは)渡らでやまむものならなくに (御春有助『古今集』巻13、「まだ貴女には実際に逢えてもないのに、なぜか早くも浮き名が立ったようです、こうなった以上、強引にでも川を渡って、どうして貴女と一夜を遂げずにいられましょう」) 6

 

声はして雲路にむせぶほととぎす涙やそそぐ宵の村雨 (式子内親王『新古今』巻3、「日が暮れて間もないのに、ぽつぽつ雨が降って来たわ、さっき雲の中で、見えないけれどむせび鳴いていた、あのほととぎすの涙なのかしら」) 7

 

葉櫻のひと木淋しや堂の前 (炭太祇1709-71、桜も花が散って葉桜の頃になると、人もあまり見にこなくなる、「寺の堂の前は、人も木も淋しくなった」) 8

 

鯉幟(こひのぼり)の胴腹裂けてあふあふと (今の鯉のぼりは丈夫なので「胴や腹が裂ける」ことはあまりないが、昔はそうでもなかったのだろう。桜井土音1887-1964は長野県生れの俳人で、「ホトトギス」派) 9

 

夏嵐机上の白紙飛び尽くす (正岡子規、「夏嵐」とは、初夏の頃、青葉を揺らしてさっと強い風が吹くこと、植村の住む江東区のマンションでも、最近「夏嵐」を経験した) 10

 

初夏(はつなつ)や蝶に眼やれば近き山 (原石鼎、「蝶がひらひら舞うのを眼で追っていたら、後景だった新緑の美しい山がぐいと迫ってきた」) 11

 

浅間山煙の中の若葉かな (蕪村、輝いている新緑を通して遠くに浅間山の煙が見える、「煙の中の」と詠んだのが卓越) 12

 

鯖船の夜ごと夜ごとの灯(ともり)かな (国松松葉女、サバは以前は近海でたくさん獲れていたが、現在は半分以上がノルウェー産らしい、私はサバが好きでよく魚屋に行くが、最近は高くなった) 13

 

エスカレーターの壁の鏡を移動するこれがお前だ、ようく見ておけ (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010、誰もが経験する光景だが、私はいつも映っている自分が気に入らない) 14

 

いる写真がいない写真に混ざってる ときどきは見つけてもいいかな (篠原仮眠「秋の王座と短歌賞」選考通過作品2016、写真に写って「いる/いない」のは、元カレか元カノだろうか、あなたは「〇〇が一緒に写っている写真」は見られたくないかもしれないけど、こちらはちょっとは見たいな、ということか) 15

 

雨の夜の湿れる卓に牌(ぱい)ひとつ愛恋は遠く過ぎしとおもふ (大野誠夫『胡桃の枝の下』1956、失恋した直後か、雨の夜に友人と麻雀をするが、あまり集中できない、「湿った卓」にポツンと置かれた「牌ひとつ」、まるで自分のようで、彼女は遠くに行ってしまった) 16

 

おどろきて愛うけをりし稚(わか)き日の吾を危うしと今は思はず (富小路禎子『未明のしらべ』1956、作者は華族の出だが戦後実家は没落、一度プロポーズされたが、結局その人とは結婚しなかった、人生にたった一度のチャンスだったかもと、複雑な気持で回顧する) 17

 

「愛してる」歯の浮くせりふ律たかく言ひたし言へず言はず年経る (岩田正『レクエルド(想ひ出)』1995、「愛してる」という語を短歌の中で詠みたかったのか、本人に向かって直接言ってみたかったのか、たぶん後者だろう、作者は馬場あき子の夫) 18

 

恋愛にためらいというルビふりて二人夕陽の中にさまよう (小塩卓哉『風カノン』1992、熱い恋愛ばかりが恋愛ではない、まだ確信がもてないままに、「これが恋愛なんだろうな、きっとそうなのだろうな」と自分に言い聞かせ、「二人夕陽の中にさまよう」) 19

 

愛することが追いつめることになってゆくバスルームから星がみえるよ (俵万智『チョコレート革命』1997、作者が妻子ある男性に恋しているときの歌だろうか、「バスルームから星がみえるよ」が、少し悲しくて美しい) 20

 

宝石屋に褒められし首日脚伸ぶ (広谷朝子「毎日俳壇」5.18 小川軽舟選、「ネックレスの似合うきれいな首だと褒められたのだ。日が伸びて街はまだ明るい。首をすっと伸ばして歩き出す」と選評) 21

 

死者のみな笑まふ写真や昭和の日 (清水呑舟「朝日歌壇」5.17 長谷川櫂/大串章共選、「写真の中でほほえむ人々。みな死者であることの不可思議」と長谷川評」) 22

 

開かない蛤ひとつ歓迎会 (水蜜桃「東京新聞俳壇」5.17 石田郷子選、「恒例の歓迎会。バーべキューの網の上でとうとう開かなかった蛤は、なかなか打ち解けない新人のよう」と選評) 23

 

百年の校歌の川を鮎上る (枝沢聖文「読売俳壇」5.18 小澤實選、「百年の間、歌われつづけてきた校歌の中に登場する川を、今年も鮎がのぼっていく。その地の名門の高校の校歌であり、その土地を流れる有名な川なのであろう」と選評) 24

 

茶摘女の古参に話相手なく (大川内健一「朝日俳壇」1971年5月 中村草田男選、茶摘み女たちは、作業の合間におしゃべりするのが普通らしいが、この古参女性には「話し相手がいない」) 25

 

後ろより見らるるはいや更衣 (坂根とし「朝日俳壇」1971年5月 中村草田男選、「衣替え」は6月1日が普通だった、この句は、セーラー服が夏服に変った女子高校生の気持ちだろうか) 26

 

眠らないと決めてふたりで歩きだすいまがいちばん月はまぶしい (鈴木精良「東京新聞歌壇」5.17 東直子選、「一晩中一緒に外を歩くことをふたりで決めて夜空を見上げた。無上のわくわく感と終わりの予感が交じり合った「いまがいちばん月はまぶしい」なのだ」と選評) 27

 

青空だけ見て暮らせよと母言いき雲雀の歌う今日の青空 (三方元「読売歌壇」5.18 黒瀬珂瀾選、「いい言葉ですね。そして、その母の言葉を真っ直ぐ受け取り、長く記憶する作者の心も清々しい。雲雀の鳴き声が軽やかです」と選評) 28

 

「打ち込めるもの何かないの」と聞く娘 二十年間あなただったの (鈴木紀子「朝日歌壇」5.17 川野里子選、「下の句は声に出し得なかった言葉だろう」と選評。同じ思いの母親は多いだろう) 29

 

君の形をしたまま雲が流れてくなぞれなかった右手の後悔 (中山由賀子「毎日歌壇」5.18 米川千嘉子選、「忘れがたい人の横顔に似た雲だったか。雲にも、そして「君」にも、心を隠さずに手を伸ばせば良かったのに」と選評) 30

 

かの集いに少年のごと明るかりし米兵君らベトナムに死ぬな (大野静子「朝日歌壇」1972年5月 近藤芳美選、ベ平連の集会だろうか、数は僅かだが反戦米兵も参加したことがあった、当時20歳の植村もべ平連の集会によく行ったので、この気持ちよく分る) 31