[今日の絵] 11月前半

[今日の絵] 11月前半

 

11.1 Pissaro : Young Peasant Girl Wearing a Hat 1881

少女を描くのは大人の女性を描くより難しいだろう、少女の顔は大人に比べるとまだ<個>の要素に乏しいからだろう、ピサロは風景画で名高いが、この「帽子をかぶった農民の少女」は、少女一般ではなく<この少女>が描かれている

 

2 ルノワール:鷹を持つ少女1882

少女は大人と子どもの中間に存在する、この少女はどちらかというと子ども寄りの少女だろう、ルノワールルーベンスなどと並んで子どもを描くのが上手い、この絵は、手に持つ小さな<鷹>が、少女の表情に緊張感を与えている

 

3 Ilya Repin : Portrait of Vera Shevtsova1869

描かれているヴェラ・シェフツォワは、3年後にレーピン(24歳)と結婚、たぶん二十歳前後でまだ少女の面影、彼女のどこにレーピンが魅力を感じたかよく分る、丸顔だが凛としたプライドのようなものが美しい

 

4Guillaume-Charles Brun : La joven vendedora de trapos 1870

廃品回収かと思ったが、タイトルは「ぼろきれ売りの少女」らしい、美しい少女だがほほ笑んでいない、むしろ怒りの表情か。ブラン1825–1908はフランスの画家で、少女をたくさん描いた

 

5 Sofie Werenskiold : Deutsches Bauernmädchen 1882

タイトルは「ドイツの農民の少女」、表情がすばらしい。少女の名画の一つだと思う。ソフィー・ヴァレンショルト1849-1926はノルウェーの女性画家

 

6 Luigi Bechi : The threads

一般に少女には大人の女性に比べてある種の<硬さ>がある、この絵は小さな少女が「糸を撚っている」が、ふくよかなこの少女の<硬さ>もよく描けている。ベチ1830-1919はイタリアの画家、少年少女をたくさん描いた

 

7 Charles Baxter: 石の棚にもたれかかっている少女

バクスター1809-79は英国の肖像画家、若い女性をたくさん描いた、彼はこの少女の<少女らしさ>に魅力を感じたのだろう

 

8 Albert Edelfelt : Portrait of Berta Edelfelt 1884

アルバート・エーデルフェルト1854-1905はフィンランドの画家、15歳の妹のベルタ1869-1934を描いた、年の離れた妹だが、彼女は一人の大人としての人格が認められている顔だ

 

9 Alexei Alexeievich Harlamov:Portrait of a Young Girl Wearing a white Veil

ハラモフ1840-1925はロシアの画家、少女の絵をたくさん描いた、彼の描く少女には独特の美しさがあり、おそらく世界的にみても少女画の第一人者の一人

 

10 William Merritt Chase : Portrait of Artist's Daughter1895

チェイス1849-1916は米国の肖像画家、風景画家。人物画は表情のある顔が印象的だ、これは自分の娘、この帽子と腰に手を当てている体勢がバランスしている

 

11 Joseph DeCamp : Sally 1907

タイトルは「サリー」だけなので、ことによると画家の娘かもしれない、ゆるく着たセーラー服がよく似合い、表情に個性が描かれている。デキャンプ1858-1923はアメリカの画家、深みのある人物画を描いた

 

12 Jules-Cyrille Cavé : Portrait of a young girl 1902

この少女はほほ笑んでいない、この年齢の子どもは画家の指示したポーズをとり続けるのが難しく、本人が不愉快になっているのかもしれない。カヴェ1859-1940はフランスの画家、ブグローに師事、ほとんど少女ばかりを描いたようだ

 

13 Clara Klinghoffer : Child with Blonde Plaits

タイトルは「ブロンドのお下げの子」、まるで人形のような類型的な少女だが、おそらく画家は意図的にこのように描いたのだろう。クララ・クリングホッファー1900-70は英国の女性画家、女性の絵をたくさん描いた

 

14 藤田嗣治 : フォークを持つ少女 1951

藤田1886-1968にはたくさんの少女の絵があるが、どれも同じ顔をしている。彼自身が「小児はみな私の創作で、モデルを写生したものではない」と言っている。いわば、彼の心の内なる<理想の少女>を描き続けたのだ

 

15 小磯良平 : D嬢の像 1962

小磯1903-88は東京芸大教授をつとめた画家、女性の絵をたくさん描き、群像画が多いが、これは単独の「D嬢」、少女というのは何という美しい存在だろう!

[今日のうた] 10月

[今日のうた] 10

けふからは日本の雁ぞ楽に寝よ (一茶『七番日記』、津軽海峡で詠んだとされる、はるばる海を渡ってきた雁を迎え入れる、一茶らしい優しさ) 10.1

 

向きあふて何を二つの案山子(かがし)哉 (子規1894、案山子は「向き合って」いても、何か考えていそうではあっても、「二人」ではなくあくまで「二つ」なのか) 2

 

秋の風衣と膚(はだへ)吹き分つ (虚子1936、「秋の風には独特の寒さがある、あたかも服と皮膚の間に風が通るような」) 3

 

運動会庭の平(たひら)を天に向け (山口誓子1957、小学校の秋晴れの運動会だろうか、児童たちを見守るのは校庭の人々だけでなく、晴れ渡った青空=「天」もまた観覧している) 4

 

いなづまの触れざりしかば覚めまじを (橋本多佳子1948、「いなづま」が光ったのを感じて眼が覚めたが、作者は「いなづまに触れられた」と感じた) 5

 

戦なき戦後を生きて敬老日 (佐々木光博「朝日俳壇」10.5 大串章選、「平和な時代を生き続けて敬老日を迎えた。感謝あるのみ」と選評」) 6

 

蟷螂(とうろう)の吹かれてきたりシャツ干せば (杉山滿「東京新聞俳壇」10.5 小澤實選、「シャツを洗濯して干したら、かまきりが吹かれて来て、とまった。かまきりの大きなかたちと緑色が鮮やかだ」と選評) 7

 

屋上でお化け屋敷の効果音みんなで悲鳴の練習をする (山添葵「朝日歌壇」10.5 永田和宏/高野公彦共選、「文化祭の出し物か。楽しすぎて悲鳴にならないんじゃないだろうか」と永田評」) 8

 

鉛筆の芯執拗に尖らせてあなたの描くあなたの生家 (牧角うら「東京新聞歌壇」10.5 東直子選、「「あなた」が出自に執着していることを、言葉の響きとイメージを駆使して浮かび上がる絵で示した。念のこもった細密な風景画が浮かぶ」と選評) 9

 

コスモスの花によせたる愛憐が君と我との距離を近くす (藤岡武雄『うろこ雲』1957、二人とも「コスモスの花が大好き」という共通点が彼女との距離を近くする、カント『判断力批判』の言うように、美は人と人とを結び付ける) 10

 

竹群にひびく月かげ心ふかく愛ふかくこそあらしめたまえ (山田あき『流花泉』1959、作者は、夫の坪野哲久とともにプロレタリア歌人、戦前は、治安維持法で検挙された病身の夫とともに焼き鳥屋の屋台を引いて生計を支えた。「愛」の一語は彼女の人生のキーワード) 11

 

みしみしと骨摑みあらそふいづこにかせつぱつまりし愛情に似て (葛原妙子『原牛』1960、作者1907-85の年齢からして、夫婦げんかをしているのか、でも愛のある夫婦) 12

 

世の隅に「愛」をば持つと信じつつ苦しむ日なり音もなき朝 (佐佐木治綱『續秋を聴く』1960、おそらく若い時、恋愛に苦しんだ歌だろうか、作者は佐佐木信綱の三男で、佐佐木幸綱の父) 13

 

憎まねば別れられぬを愛といひ少しも進まざる人生のごと (北沢郁子『微笑』1962、「愛」が、「憎まなければ別れられないもの」と定義されるならば、「愛」には必ず「憎しみ」が潜在的に含まれていて、「少しも進まない人生のような」局面が顕在化する可能性があるのか) 14

 

溢れゆく泉のごとく愛し合い何処より来しと二人と思う (近藤とし子『小鳥たちの来日』1974、作者の夫の近藤芳美にも同じような瑞々しい恋の歌がたくさんある、美しい純愛で結ばれた羨ましい夫婦) 15

 

陽にすかし葉脈くらきを見つめをり二人の人を愛してしまへり (河野裕子『森のやうに獣のやうに』1972、作者1946-2010は1967年に京大生の永田和宏と出会い、それまで愛していたN青年と永田の「二人を愛してしまった」と、苦悩を永田に告白し、N青年と別れた) 16

 

われを継ぐ子と寝る星の降るなかに (石曽根民郎1943、作者33歳の作、夜、幼い子が横に眠っている、戦争は激しくなり自分の友人たちは次々に出征して帰らない、自分も死を意識するから、幼子は「われを継ぐ子」。作者1910-2005は松本で活躍した川柳作家) 17

 

水栓のもるる枯野を故郷とす (河野春三1948、「敗戦直後の大都市、一面が焼け野原となり、焼け残った水道から水がちょろちょろ漏れている、そうした「枯野」が自分の「故郷」となった」、作者1902-84は大阪生まれの川柳作家) 18

 

母の手の鳴る方へ 魚形のおまえ (細川不凍1974、作者は高校生のとき水泳事故で下半身不随になり車椅子生活になった、足を使わずに移動する自分を「魚形」作者1948~は北海道生まれの川柳作家、「不凍」というペンネームが志を感じさせる) 19

 

おしえてほしい気持ちがあるんだけれど (柳本々々[やぎもともともと]、こういう場面はたしかにある、喉まで出かかっても口に出さずに飲み込んでしまうか、作者1982~は歌人、詩人でもあり、川柳も作る、第57回現代詩手帳賞受賞) 20

 

降りてゆく水の匂いになってゆく (八上(やがみ)桐子、石段や階段を「降りてゆく」、下の方には水があり、私自身が「水の匂いになってゆく」、これだけで詩になっている、ただしあまり川柳っぽくはない、作者1961~は最晩年の時実新子に師事) 21

 

チャンネルを替えると無口になった (湊圭史1973~、これはよくあること、TVでもスマホでも、しゃべりながら見ていた人がチャンネルを替えたとたん無口になる、作者は英文学研究者で詩人でもある) 22

 

売文や夜出て髭のあぶらむし (秋元不死男1901-77、ゴキブリの長い触角はたしかに「髭」のようにみえる、夜中、文章を書いていると現れたゴキブリの「髭」に作者は親しみを感じたのだろう) 23

 

永遠が飛んで居るらし赤とんぼ (永田耕衣『殺佛』1975、赤とんぼは、飛びながら中空のいつまでも同じ場所に「居る」ので、「永遠が飛んで居る」ように感じる。有限なものに無限性を感じる、いかにも耕衣らしい句) 24

 

深い夜の波が舷灯(ランプ)を消しにくる (富澤赤黄男、「舷灯」とは、自船の方向と動きを他船に知らせるために、夜に船の左右に灯すランプ、その「ランプが消える」ということは、大きな波が来て船が大きく傾くということ) 25

 

柿を食ひをはるまでわれ幸福に (日野草城1901-56、作者は<柿>が大好きなのだろう、「食ひをわ」って手元に柿がなくなると、たったそれだけのことに、もう「不幸」に感じてしまう) 26

 

壺の国信濃を霧のあふれ出づ (平畑静塔1905-97、信濃の国は盆地が多い、霧が盆地に「壺からあふれる」ように出ている) 27

 

球面のどこも真ん中天高し (中島さやか「読売俳壇」10.27 高野ムツヲ選、「秋晴れのもと、岬や船上で水平線を見渡した時、地球は丸いと実感する。同時に地球に生きる誰にとっても、立つその場こそがそれぞれの中心なのだと確認している」と選評) 28

 

タクシーの出払つてゐる菊日和 (伊東勝「毎日俳壇」10.27 小川軽舟選、「祝い事や行楽にタクシーがひっぱりだこ。タクシー待ちの列のできた駅前に菊日和らしさを感じたのが面白い」と選評) 29

 

実験を続ける息子よ 「母性」とは何かと知りたく汝(なんじ)を産みけり (納谷香代子「毎日歌壇」10.27 米川千嘉子選、「息子は研究職らしいが、そこから三句以下へ展開するのに驚き共感する。「母性」ついて答えは出ただろうか」と選評。いかにも選者好みの知的な歌) 30

 

百歳の母は医師から趣味聞かれ短歌をちょっととそれ我のこと (杉本恭子「読売歌壇」10.27 栗木京子選、「娘の趣味を拝借して返答した母。茶目っ気たっぷりな姿が想像できる。「短歌をちょっと」の「ちょっと」という謙遜した口調が達者。結句の作者の突っ込みも楽しい」と選評」) 31

 

[今日の絵]  10月後半

[今日の絵]  10月後半

17 Judy Drew : Portrait in Autumn tones

今日からは「秋」の絵、俳句に季語が含まれるように、絵にはおのずから季節も描かれている、タイトルのように「色調」だけで「秋」は表現できる。ジュディ・ドゥリュー1951~はオーストラリアの女性画家、色彩感の豊かな人物画を描き、赤や橙の色調がいい

 

18 Edward Cucuel :Sunny Morning

タイトルは「日の当たる朝」だが、季節は秋だろう、秋といっても光に明るさ軽さがある初秋か、エドアルト・ククエル1875-1954アメリカ生まれのドイツ人で、ドイツに長く住んだ、どういうわけか湖畔の女性をたくさん描いている

 

19 George Clausen : Gleaners 1882

「落穂拾いの人々」、おそらく9月頃の初秋だろう、まだ明るく乾いた感じで、しっとりとした秋の感じではない、クラウゼン1852-1944は英国の画家、農村の絵が多い

 

20 Carl Larsson:October (The Pumpkins) 1882

タイトルは「10月」だが、カボチャの明るい色が目立つのだろう、この絵は「秋」をそこに見て取っている。ラーション1853–1919はスウェーデンの画家、家族や子どもをたくさん描いた

21 Leopold Burger:Farewell (autumn) 1894

タイトルからすると、秋は「別れの季節」でもあるのか、この二人はどういう関係か分からないが、夏季に一緒に働いたのかもしれない。バーガー1861-1903はオーストリアの画家、静かに暮らす人々などを描いた、この絵は代表作

 

22 Frederick J. Mulhaupt : An East Gloucester Wharf 1926

米国マサチューセッツ州グロスターの埠頭、秋だが光に明るさがあり、画家はそれを描きたかったのだろう。マルハウプト1871-1938はアメリカの画家、情緒のある港の絵が多い

 

23 John Atkinson Grimshaw : Autumn Regrets 1882

タイトルは「秋の後悔」、秋は喜ぶことよりも悔やむことの方が多いのか、女性の黒服と体の傾きのためか、地面に突き刺さっている棒のように見える。グリムショウ1836–93は英国の画家、秋や寂しい都市の光景をたくさん描いた

 

24 Kozlovski Peter : Regen, September, Koblenz

コブレンツはライン川沿いのドイツの都市、9月のある雨上がりの光景、道路に残った水が空を映して、全体が明るい。コズロフスキーはカナダ在住のデジタル・アーティスト、雨上がりの都市の絵が多い、この絵も、油絵ではなくデジタル作成と思われる

 

25 Paul Gustave Fischer : Autumn day in Fiolstræde in Copenhagen

現代のフィオルストライデは、コペンハーゲン市内の歩行者専用ショッピングストリート、この絵は昔だからか、車も走っており、街は明るい。フィッシャー1860-1934はデンマークの画家、コペンハーゲンをたくさん描いている

 

26 Paul Gauguin : Tree lined road, Rouen 1885

ゴーギャンは色彩感覚が卓越している、これはタヒチではなくフランス北部ルーアンの「道沿いの樹木」、左側の白いものは人のようだ

 

27 Jules Bastien-Lepage:October 1878

「10月」は収穫の季節、広大な畑の中で袋に入れようとしている女性の体勢と表情がいい、ジャガイモ?の重さを感じさせる。ルパージュ1848-84はフランスの画家、農村をたくさん描いた

 

28 Blandford Fletcher : El Viejo Árbol de Haya 1910

タイトルは「老いたブナの木」、樹が老いただけでなく、秋も深まった晩秋の感じがよく分かる。フレッチャー1858-1936は英国の画家、ずっしりとした重さを感じさせる風景が多い

 

29 Alfred van Neste : Bruges canal bridge view

ベルギーの「ブルージュの運河の橋の光景」、秋も暮れて全体に光が乏しい、長い時間ここに存在した家や橋の古さがよく描かれている。ファン・ネステ1874-1969はベルギーの印象派の画家、運河のある町並みの絵が多い

 

30 Louis Emile Adan : Autumn Evening 1883

パリだろう、描かれているのはたぶん若い女性だが、「秋の夕暮れ」はやはりさびしい。アダン1839-1937はフランスの画家、室内や室外の女性の絵をたくさん描いた

 

31 Jeff Stanford : Prairie Life 2025

今年描かれた新しい絵、ただし服装や家は少し昔のそれだろう、タイトルは「プレーリーの生活」、プレイリーとは北米に広がる大草原のこと。スタンフォード1955~はアメリカのアーティスト、デジタルで描く画家らしく、この絵もたぶんデジタル作成

[演劇] アリストファネス (ペーター・ハックス翻案)『平和』 うずめ劇場

[演劇] アリストファネス (ペーター・ハックス翻案)『平和』 うずめ劇場 シアターX 10.19

(写真↑、左上から時計回りに、トリュガイオス、ヘルメス、コロスのリーダー?、そして右下の腹の大きい人物が聖職者ヒエロクレス)

 アリストファネスの原作を、ブレヒトの弟子であるドイツの劇作家ペーター・ハックス1928-2003が、ベルリンの壁構築直後の1962年に翻案し、ベルリンで600回上演された。今回の舞台は、来日して「うずめ劇場」を主宰するドイツ人ペーター・ゲスナー1962~演出。私は原作を見たことがないが、おそらく原作にかなり忠実な優れた舞台で、深く感動した。ブレヒト風の音楽劇にしているが、コロスと俳優の入り乱れは原作もそうらしい。

 原作は、ペロポネソス戦争の途中講和成立直前、BC421年に上演された(27年間続いたペロポネソス戦争はBC404にアテナイの敗北で終焉。宇露戦争もミンスク合意前まで含めると全体は長い)。アテナイ側もスパルタ側も自分に有利な局面で講和しようとするので、停戦交渉は二転三転し、講和はなかなか成就しない。まるで現代の宇露戦争のようだ。しかも、武器商人や名誉を欲しがる政治家など、戦争で儲けている職業がたくさんあるので、彼らは停戦に反対する。これも現代の戦争と同じ。本作では聖職者ヒエロクレスが何だかんだ理屈をつけて停戦に同意しないのが面白い。原作でも、停戦に反対する多くの政治家が実名で糾弾されている。

 『平和』は、ブドウ園経営の農民トリュガイオスと、ゼウスと人間を媒介するメッセンジャーボーイの神ヘルメスの人物造形が際立って優れている。トリュガイオスは男だが、『女の平和』の主婦リュシストラテに相当するキャラだ。トリュガイオスはフンコロガシに乗って天上のゼウスに会いにいき、ゼウスには会えないが、洞窟に閉じ込められていた「平和の女神」を救い出し、女神の側近の二人の女性「春の喜び(原作では「祭りのにぎわいの姫」高津訳)」と「秋の勤勉(同「秋のみのりの姫」)」の二人をアテナイに連れて帰り、彼は、「秋の勤勉」を妻にする。めでたしめでたしの「新床入り」で終幕。『女の平和』もそうだが、アリストファネスでは、<性愛>が人間の最高の祝福として、明るく健康に描かれ、寿がれている。たぶん原作ではセックスそのものは観客に見せないのだろうが、この舞台では実際にやっちゃっており、それもまたむべなるかな!

 

[今日の絵] 10月前半

[今日の絵] 10月前半

 


1 島村信之 : アトリエ・春1993

ホキ美術館展で、島村信之1965-2024が昨年亡くなったのを知った。今月の前半は、追悼を込めて、彼の絵を鑑賞したい。これは島村27歳の作品、モデルはたぶん2年前に結婚した妻、色彩も豊かで、<白>を基調とした島村調が確立するのは1998年頃と思われる

 

2 島村信之 : 白い透衣 1996

タイトルから分るように、この絵の頃から島村は色彩としての<白>を意識し始めたのかもしれない。女性の後ろ姿の感じは、どこか森本草介のそれと似ている

 

3 島村信之 : 遥 1997

この「遥」は、「はるか遠くを見ている」の「遥」だろう、島村はたくさんの女性画を描いているが、画家や鑑賞者を見ている正面の絵は、ごく初期を除いてほぼ皆無に近い

 

4 島村信之 : 微睡 1997

この頃からは女性の<寝姿>が多い。「リラックスしている時に人は自然な美しさを見せる。弛緩したなかで出てくる無防備な姿を捉えたかった。[寝てはいても]腕や顎を上げたポーズを多用するのは、健康を強調するためであり・・、そういう女性の姿は生命力に満ちている」(島村)

 

5 島村信之 : まなかい 2003

この年の2月に島村には長女が生まれ、その後も繰り返し長女を描いている。長女誕生は、画家としての彼にとって、このうえない恩寵だったのだろう。この絵をみていると、ルネサンス期に繰り返し描かれた「聖家族」(マリア+イエス)の美しさが想起される

 

6島村信之 : 午睡Ⅰ 2003

プルースト失われた時を求めて』では、主人公と同棲している少女アルベルチーヌの寝姿が、延々と十数頁を費やして記述される、女性の寝姿はそれほどまでに美しい。この絵を見たとき、私はアルベルチーヌのことを思いだした

 

7 島村信之 : 薫風 2007

昨日の「午睡Ⅰ」と並んで私はこの絵が一番好き。アルベルチーヌが目覚めた時を想像させる。島村はこの絵の「製作工程」を説明して、「自然な固有色を求めてゆき、最も気を遣うのは形。特に物の際がちゃんと回り込んでいるか意識する。描かれていない裏側の部分が感じられるから」と言う

 

8 島村信之 : エンジの衣装

「2006年 生島浩・石黒賢一郎・島村信之 三人展」に出品された。生島浩1958~はエンジ色を好む画家なので、この絵は生島の絵ともどこか似ており、エンジという色の美しさが印象的

 

9 島村信之 : 潮騒 2007

代表作の一つで、前田寛治大賞受賞、「《潮騒》誕生は子どものお陰です」と島村は書いている。4歳の愛娘はじっとしていない、ポースを取らせるのに苦労し、「波の音が聞こえるから耳に当てて聞いてごらん」とたまたまアトリエのあった貝を手渡した

 

10  島村信之 : 泉2008

代表作、『島村信之画集』2011の表紙はこれ、「生命の力、健やかな心、究極の理想美」と帯にあり、「これまで描いてきたのは、まぎれもなく自分が求めた[女性の]形だった」(石黒)とも。ある美術評論家は、「エロースとしての愛とは別種のアガペー的な愛が感受される」という

 

11 島村信之 : レッスン 2008

5歳の娘がヴァイオリンのレッスンを受けている。この絵は、父の娘に対する<愛>を強く感じさせる

 

12 島村信之 : まなざし

この「まなざし」は、版画として120部ほど制作されたらしいが、絵の内容としては、「ガラスの首飾り」2008のほぼ左右対称形で、よく似ている。美人を美人らしく描いているのではなく、本来、女性という存在は何と美しいのだろう、と感嘆させられる

 

13 島村信之 : 日差し 2009

これも代表作。リラックスした女性の健康な美しさ。表現としては、淡色の青系統、茶系統、白系統と、黒色の、それぞれの光の拡がりと調和が美しい

 

14 島村信之 : 西窓 2010

リラックスしている姿が美しい、腕・手・指、そして脚・足首・足指の、のびやかな直線性が、生命力を感じさせる

 

15 島村信之

タイトルは分からないが、2019年の絵ならば、娘は16歳か、弦と弓の接点を見詰めて、一生懸命弾いている、きっとバイオリンもうまくなっただろう

 

16 島村信之 : 願う2022

ホキ美術館に入ったばかりの部屋Gallery1の最初に展示してあった、島村の事実上の遺作なのか、父の快癒を願う娘。「永遠に女性なるもの、我らを引きて往かしむ」(ゲーテファウスト』)数多の姿を、私たちに啓示してくれた芸術家、島村信之よ、どうか安らかに眠ってください