[今日のうた] 5月
知るやきみ末の松山越す波になほも越えたる袖のけしきを (藤原良経『家集』、「大津波も越えられなかった、あの末の松山を、私の涙は一度ならず二度も越えて、袖はびしょびしょです、こうしてひたすら貴女を想っているのを御存知でしょうか」) 5.1
大き海の水底(みなそこ)深く思ひつつ裳引きならしし菅原の里 (石川郎女『万葉集』巻20、「大海の水底のように、貴方を深く思いながら、裳裾を引いて暮らした、あの菅原の里が懐かしい、それなのに貴方は私を捨てた」) 2
つらかりし多くの年は忘られひと夜の夢をあはれとぞ見し (藤原範永『新古今』巻13、「僕は長い間、貴女と逢えずに苦しんできたけれど、昨晩、ついに逢えて一夜を過ごしたよね、まるで夢を見ているような素晴らしい一夜だったよ」、後朝に彼女に贈った歌) 3
人言(ひとごと)を繁(しげ)み言痛(こちた)み己(おの)が世にいまだ渡らぬ浅川渡る (但馬皇女『万葉集』巻2、「穂積皇子さまに恋しちゃった私、人の噂を避けるために人目を忍んで、ついに私の人生で初めての冒険、あぁ、裾を水に濡らしながら川を渡っちゃった」) 4
水の上に数書くごとき我が命妹(いも)に逢はむと祈宣(うけ)ひつるかも (よみ人知らず『万葉集』巻11、「水面に指で描いた数のように、僕の命はとてもはかない、あぁ、貴女に逢いたいと、ひたすら神に祈っています」) 5
あやなくてまだき無き名の龍田川(たつたがは)渡らでやまむものならなくに (御春有助『古今集』巻13、「まだ貴女には実際に逢えてもないのに、なぜか早くも浮き名が立ったようです、こうなった以上、強引にでも川を渡って、どうして貴女と一夜を遂げずにいられましょう」) 6
声はして雲路にむせぶほととぎす涙やそそぐ宵の村雨 (式子内親王『新古今』巻3、「日が暮れて間もないのに、ぽつぽつ雨が降って来たわ、さっき雲の中で、見えないけれどむせび鳴いていた、あのほととぎすの涙なのかしら」) 7
葉櫻のひと木淋しや堂の前 (炭太祇1709-71、桜も花が散って葉桜の頃になると、人もあまり見にこなくなる、「寺の堂の前は、人も木も淋しくなった」) 8
鯉幟(こひのぼり)の胴腹裂けてあふあふと (今の鯉のぼりは丈夫なので「胴や腹が裂ける」ことはあまりないが、昔はそうでもなかったのだろう。桜井土音1887-1964は長野県生れの俳人で、「ホトトギス」派) 9
夏嵐机上の白紙飛び尽くす (正岡子規、「夏嵐」とは、初夏の頃、青葉を揺らしてさっと強い風が吹くこと、植村の住む江東区のマンションでも、最近「夏嵐」を経験した) 10
初夏(はつなつ)や蝶に眼やれば近き山 (原石鼎、「蝶がひらひら舞うのを眼で追っていたら、後景だった新緑の美しい山がぐいと迫ってきた」) 11
浅間山煙の中の若葉かな (蕪村、輝いている新緑を通して遠くに浅間山の煙が見える、「煙の中の」と詠んだのが卓越) 12
鯖船の夜ごと夜ごとの灯(ともり)かな (国松松葉女、サバは以前は近海でたくさん獲れていたが、現在は半分以上がノルウェー産らしい、私はサバが好きでよく魚屋に行くが、最近は高くなった) 13
エスカレーターの壁の鏡を移動するこれがお前だ、ようく見ておけ (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010、誰もが経験する光景だが、私はいつも映っている自分が気に入らない) 14
いる写真がいない写真に混ざってる ときどきは見つけてもいいかな (篠原仮眠「秋の王座と短歌賞」選考通過作品2016、写真に写って「いる/いない」のは、元カレか元カノだろうか、あなたは「〇〇が一緒に写っている写真」は見られたくないかもしれないけど、こちらはちょっとは見たいな、ということか) 15
雨の夜の湿れる卓に牌(ぱい)ひとつ愛恋は遠く過ぎしとおもふ (大野誠夫『胡桃の枝の下』1956、失恋した直後か、雨の夜に友人と麻雀をするが、あまり集中できない、「湿った卓」にポツンと置かれた「牌ひとつ」、まるで自分のようで、彼女は遠くに行ってしまった) 16
おどろきて愛うけをりし稚(わか)き日の吾を危うしと今は思はず (富小路禎子『未明のしらべ』1956、作者は華族の出だが戦後実家は没落、一度プロポーズされたが、結局その人とは結婚しなかった、人生にたった一度のチャンスだったかもと、複雑な気持で回顧する) 17
「愛してる」歯の浮くせりふ律たかく言ひたし言へず言はず年経る (岩田正『レクエルド(想ひ出)』1995、「愛してる」という語を短歌の中で詠みたかったのか、本人に向かって直接言ってみたかったのか、たぶん後者だろう、作者は馬場あき子の夫) 18
恋愛にためらいというルビふりて二人夕陽の中にさまよう (小塩卓哉『風カノン』1992、熱い恋愛ばかりが恋愛ではない、まだ確信がもてないままに、「これが恋愛なんだろうな、きっとそうなのだろうな」と自分に言い聞かせ、「二人夕陽の中にさまよう」) 19
愛することが追いつめることになってゆくバスルームから星がみえるよ (俵万智『チョコレート革命』1997、作者が妻子ある男性に恋しているときの歌だろうか、「バスルームから星がみえるよ」が、少し悲しくて美しい) 20
宝石屋に褒められし首日脚伸ぶ (広谷朝子「毎日俳壇」5.18 小川軽舟選、「ネックレスの似合うきれいな首だと褒められたのだ。日が伸びて街はまだ明るい。首をすっと伸ばして歩き出す」と選評) 21
死者のみな笑まふ写真や昭和の日 (清水呑舟「朝日歌壇」5.17 長谷川櫂/大串章共選、「写真の中でほほえむ人々。みな死者であることの不可思議」と長谷川評」) 22
開かない蛤ひとつ歓迎会 (水蜜桃「東京新聞俳壇」5.17 石田郷子選、「恒例の歓迎会。バーべキューの網の上でとうとう開かなかった蛤は、なかなか打ち解けない新人のよう」と選評) 23
百年の校歌の川を鮎上る (枝沢聖文「読売俳壇」5.18 小澤實選、「百年の間、歌われつづけてきた校歌の中に登場する川を、今年も鮎がのぼっていく。その地の名門の高校の校歌であり、その土地を流れる有名な川なのであろう」と選評) 24
茶摘女の古参に話相手なく (大川内健一「朝日俳壇」1971年5月 中村草田男選、茶摘み女たちは、作業の合間におしゃべりするのが普通らしいが、この古参女性には「話し相手がいない」) 25
後ろより見らるるはいや更衣 (坂根とし「朝日俳壇」1971年5月 中村草田男選、「衣替え」は6月1日が普通だった、この句は、セーラー服が夏服に変った女子高校生の気持ちだろうか) 26
眠らないと決めてふたりで歩きだすいまがいちばん月はまぶしい (鈴木精良「東京新聞歌壇」5.17 東直子選、「一晩中一緒に外を歩くことをふたりで決めて夜空を見上げた。無上のわくわく感と終わりの予感が交じり合った「いまがいちばん月はまぶしい」なのだ」と選評) 27
青空だけ見て暮らせよと母言いき雲雀の歌う今日の青空 (三方元「読売歌壇」5.18 黒瀬珂瀾選、「いい言葉ですね。そして、その母の言葉を真っ直ぐ受け取り、長く記憶する作者の心も清々しい。雲雀の鳴き声が軽やかです」と選評) 28
「打ち込めるもの何かないの」と聞く娘 二十年間あなただったの (鈴木紀子「朝日歌壇」5.17 川野里子選、「下の句は声に出し得なかった言葉だろう」と選評。同じ思いの母親は多いだろう) 29
君の形をしたまま雲が流れてくなぞれなかった右手の後悔 (中山由賀子「毎日歌壇」5.18 米川千嘉子選、「忘れがたい人の横顔に似た雲だったか。雲にも、そして「君」にも、心を隠さずに手を伸ばせば良かったのに」と選評) 30
かの集いに少年のごと明るかりし米兵君らベトナムに死ぬな (大野静子「朝日歌壇」1972年5月 近藤芳美選、ベ平連の集会だろうか、数は僅かだが反戦米兵も参加したことがあった、当時20歳の植村もべ平連の集会によく行ったので、この気持ちよく分る) 31