[今日の絵] 7月前半

[今日の絵] 7月前半

1 Jules Breton : 崖 1874

ブルトン1827-1906はフランスの写実主義の画家。彼女はこの姿勢からして、海の何かに「あこがれて」いるのだろう。「海に来れば海の向こうに恋人がいるようにみな海をみている(五島諭)」、海の前に来ると人は心を開かれる。だから画家は海を描く

 

2 Paul Emile Chabas : Woman by the sea 1890

書物を広げた彼女の心は、海のはるかかなたへ、水平線のさらに向こうへ開かれている、彼女の凛とした体勢からそれが分る、ポール・シャバ1869-1937はフランスの画家で、ヌード絵を得意とした

 

3 Vincenzo Cabianca :

影が平らなので朝方か、海辺にたたずんでいるのは修道女たち、花やカモメものどかな感じだ、ヴィンチェンツォ・カビアンカ1827-1902はイタリアの画家、海の明るい光景や港町をたくさん描いた

 

4 Rnenoir : Mussel Fisherman 1879

漁師の妻が、夫が漁から帰るのを迎えに来たのか、子ども三人も一緒だ、みなの表情は明るい、きっと漁は首尾よく終わりそうなのだろう

 

5 Margaret Cambell Macpherson:湾を前にしたブルターニュの女性

海に浮かぶ舟には若い女性と男性が乗っており、それをじっと見詰めている手前の女性が手にした枝からは、花が落ちている、何か物語がありそう。マーガレット・キャンベル・マクファーソン1860-1921はカナダの女性画家

 

6 Bouguereau : Wave 1896

海の荒波・大波は人に敵対するとは限らない、人を歓迎する荒波もある。彼女の笑顔や体勢からして、海の大波を前に、彼女の心は開かれている、だから裸にもなる

 

7 George Elgar Hicks : On the Seashore 1879

この女性は、表情と体勢からすると、悲しんでいる、彼女は癒しを求めて海に来たのだ。打ち寄せる浪のリズムは悲しみを流し去り、海は、深く広大な癒しの場でもある。ヒックス1824-1914は英国の画家、人物画をたくさん描いた

 

8 Peder Severin Krøyer : Summer Evening at Skagen Beach 1899

海辺を散歩する二人、影が線になって海面に映る月が美しい、舟、月、人、犬が並ぶ構図がいい、海を前に二人の人間がいると、それだけで何か物語が生まれそう、クロイヤー1851-1909はデンマークの画家、自然光線による風景を描いた

 

9 Sorolla : Sea Idyll 1908

タイトルは「海の牧歌」、海は人を歓迎する、だから人も海に対して心を開き、裸にもなる、海辺は、生物としてのヒトと水との根本的な関係性が顕わになると同時に、海は人と人とを結びつける、子どもたちは人間関係そのものを楽しんでいる

 

10 Hermann Seeger:A girl on the beach

二十世紀初頭あたりの水着だろう、少女は一人で海に来ているのか、海と対話しているようにもみえる、シーガー1857-1945はドイツの画家、風俗画や風景画を描き、海辺の絵も多い

 

11 Eugène Boudin : トルヴィルの海辺の人々 1869 トルヴィルはフランス・ノルマンディー地方の海岸保養地・観光地、海が美しくモネも描いている、この絵は上流階級の人たちだろう、海辺にいるだけでも、いかにもな雰囲気がある、ウジェーヌ・ブーダン1824-98はフランスの「海洋画家」と言われた人

 

12 Peter Alexandrovich Nilus:On the bridge 1898

男の子は釣りをしている、母親は海の近くを、父親は海の遠くを眺めている、家族で海に来ても、海への関心はそれぞれ違う、ニルス1869-1943はロシア・ウクライナの画家

 

13 Raoul Dufy : La baie de Sainte-Adresse 1906

なぜ人は海に行くのだろうか、それは海が人を呼んでいるからだ、さまざまな理由で人は海に行く、ラウル・デュフィ1877-1953はフランスの画家、海辺の人をたくさん描いた

 

14 Delphin Enjolras : The murmur of the sea

タイトルは「海のささやき」、彼女は眠ってはいない、読む手を休め、もっぱら波音に耳を傾けている、夢中で読んでいる間は音は聞こえていても聴いてはいない、デルファン・アンジョルラス1857-1945はフランスの画家、ランプに照らされた女性をたくさん描いた

 

15 Edward Hopper :

いかにもアメリカらしい光景、静かな海岸リゾートの「海の家」のような所か、日本のそれに比べると、がっちりした作り、海を前に心が開かれると、二人は互いに対しても心が開かれるだろう

 

16 Vladimir Volegov : ブラーナスの桟橋にて 2015

海は読書にも適している、「ブラーナス」はスペインのカタルーニャ地方の海岸、そこの「桟橋」で彼女は本を読んでいる、ヴォレゴフは旧ソ連出身でスペインで活躍する現代の画家

 

[演劇] キェシロフスキ 『デカローグ9・10』 新国

[演劇] キェシロフスキ 『デカローグ9・10』 新国 7.11

(写真↑は9話「ある孤独に関する物語」の外科医ロマン[伊達暁]と妻のハンカ[万里紗]、妻の愛人の大学生マリウシュ[宮崎秋人])

40才の敏腕な心臓外科医ロマンは、医学的な理由で性的不能になってしまった。彼は「離婚しよう」と妻に言う。妻は「あなたをどこまでも愛している、絶対に別れない。セックスは愛の本質じゃない」と言うが、彼女には実は若い大学生の愛人がいた。彼女は愛人と別れようとするが、偶然の連絡の行き違いから、最後の逢引きと別れの交渉の場面を夫ロマンに見られてしまう。夫は二人の関係が続いていると錯覚し、絶望のあまり自殺を企てるが未遂。重症で車椅子の彼と妻が再会し、二人は愛を誓って終幕。感動的な純愛の物語。

(写真↑は10話「ある希望の物語」、ポーランド随一の切手収集家だった亡父の息子の兄イェジ[石母田史朗]とアルトゥル[竪山隼太]、右は映画版)

亡父の残した切手コレクションが莫大な経済的価値があることを知り、息子たちは欲が出て全部を高く売ろうとする。が、切手商を含む詐欺師グループに全部騙し取られてしまう。兄弟は再び謙虚な日常性に戻って終幕。

 

「デカローグ」は第10話で完結したが、全体が優れた作品だ。「(デカローグ=)十戒」で言われる「罪」とは結局、大げさなものではなく、誰もが陥る可能性がある反道徳的行為で、その程度はさまざまであれ、誰もが人生で犯している。そして、当事者たちや隣人の「愛」によって、「罪」が救済されるのが、全10話に共通している。第9話でも、「僕たちにもし子供がいたら、夫婦の関係は違っていたかもしれない」と言う夫に妻も同意し、養子をもらうことになる。性愛は個人の意識を越えた深いレベルで生殖に繋がっている、というカトリック的意識が、通奏低音のように響いており、それが我々に感動をもたらしている。このような状況では人はこのように感じ、このように発話し、このように行為するという必然性、アリストテレスの言う「必然性のある可能態」(『詩学』)が提示されているからだ。俳優もよかったが、何よりも、映画を見事に演劇に転換した、須貝英、上村聡史、小川絵梨子の功績を称えたい。

2分間の動画

新国立劇場の演劇『デカローグ9・10』(プログラムE)舞台映像、公開! (youtube.com)

[演劇] キェシロフスキ 『デカローグ7・8』 新国

[演劇] キェシロフスキ 『デカローグ7・8』 新国 7.5

(写真↑は「デカローグ7、ある告白に関する物語」、マイカ[中央]は16歳のとき若い高校の国語教師[右]との間に子供ができてしまった、でも校長であった彼女の母はスキャンダルを恐れ、「自分の子」と偽って育ててきた、本当の母であるマイカは自分の子を「奪われて」苦悩する)

「デカローグ7・8」は、私たちのごく普通の人間関係の中に、いかに大きな偶然と驚くべき必然が交差しており、当事者がそれに苦しんでいるかを、淡々と、しかし深く描いている。誰にでも起きうることなのだが、ほとんどの人は、何らかの程度でこのような秘密を抱え、毎日を生きているかもしれない。

 

 「デカローグ8、ある過去に関する物語」は、1943年のワルシャワ、6才のユダヤ人の女の子がキリスト教への偽装洗礼を受けて、アウシュビッツを逃れるように配慮されるが、「ゲシュタポへ情報が漏れた」という誤情報のため、タッチの差で洗礼がダメになってしまった。幸いに、その女の子は出国できてアメリカに渡り、今では学者になっている(写真↓左)。その時の「洗礼式」を引き受けたが失敗した若い夫婦の妻も、40年後の今は学者になっている(写真↓右)。しかし彼女は、ユダヤ人の女の子に「洗礼式」をできなかったことをずっと悔いながら、今まで生きてきた。学術要件でワルシャワで会った時、二人は偶然に、その時の二人であったことを知る。幸運を喜ぶ二人だが、当時「洗礼式」に関わろうとした大人たちは、今もずっと良心の深い痛みを抱えていて、その時のことを「一切、話そうとしない」。国が政治に引き裂かれたポーランドでは、やむをえず友人を裏切ったり密告したりした人もたくさんいただろう。その痛みを深く隠して、今を生きざるをえない。役者たちは、淡々と、しかし非常にリアルに、そうした人たちを演じている。

2分の動画↓。

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[演劇] シェイクスピア『オセロー』 文学座

[演劇] シェイクスピア『オセロー』 文学座 紀伊国屋サザン 7.3

(写真↓は舞台、シンプルでスタイリッシュで美しい、最初から空間がコスモロジーになっている)

非常に驚くべき、そして素晴らしい『オセロー』だった。7年前のヴァン・ホーヴェ演出と並ぶ、上演史に残る名舞台だろう。ただし、シェイクスピアが創作した『オセロー』とはやや違うものになったのかもしれない。しかし、それでよいのだと思う。ヤン・コットによれば、『オセロー』はもっとも「救いがない」悲劇であり、「最後には[イアーゴ―も含めて]誰もが賭けに負ける」。人間が動物に戻ってしまい、自然そのものが「悪」であることが剥き出しになるのが『オセロー』である。ところが、今回の鵜山仁演出版は、アクロバティックともいえるロマンティックな『オセロー』解釈であり、オセローと(死んだはずの)デズデモーナの抱擁で終る終幕は、まるで『ロミオとジュリエット』を思わせる。(写真左はオセローを演じた横田栄司、素晴らしいの一言に尽きる、この舞台は彼の生涯の代表作になるだろう)

それにしても『オセロー』は難しい作品だ。たとえばデズデモーナはどういう女なのだろうか。詩人のハイネが最初に指摘したらしく、ヤン・コットが強調するように、デズデモーナは性的感受性の際立って強い女性である。黒人男性の肉体の性的魅力に強く惹かれて、父親の反対を蹴飛ばして、オセローと駆け落ちした。「シェイクスピア劇に登場する女性の中で、彼女は誰にもまして感覚的である。・・・[今は]貞節ではあるが[本来は]蓮っ葉女である。・・ジュリエットやオフィーリアのどちらよりも、[性的に]成熟した女。・・彼女の欲望の激しさに、オセローは圧倒された・・」(ヤン・コット『シェイクスピアはわれらの同時代人』)。彼女は天使の顔をした悪魔なのだ。オセローが嫉妬の地獄に転落したのは、イアーゴーの奸計によるだけではなく、デズデモーナの性的な「強さ」にオセローが敗北したのも一因、とコットは解釈する。しかしそれは、科白を丁寧に分析しないと言えないことで、舞台だけからそれを読み取るのは難しいだろう。この舞台では、イアーゴーを演じた浅野雅博が素晴らしかった(写真↓左)。おそらくイアーゴーは、シェイクスピアだけでなくすべての演劇の人物造形において、最高・完璧な「悪人」だろう。本物の悪人というのは、イアーゴーのように際立って知性的で冷静なのだろう。彼の妻エミリアも、デズデモーナに対して両義性をもつ奥行きの深い人物であり、増岡裕子は好演(写真↓右)。

 

 

[折々の写真] 5,6月

[折々の写真] 5,6月

5.1ルネ・ファルコネッティ1892-1946は、ドライヤー『裁かるるジャンヌ』1928で主演、端正な美女で、もともとは喜劇系映画や舞台の人、1927年に描かれた絵が、日本のポーラ美術館にある。4分の動画、裁判中のジャンヌがすばらしい

The Passion of Joan of Arc 1928 | Carl Theodore Dreyer (youtube.com)

 

5.8 ロベール・ブレッソンジャンヌ・ダルク裁判』1962

フロランス・カレ1942~は、知的な少女の美しさが前景化したジャンヌ、本名はFlorence Delay。20歳でただ一度この映画に出ただけで、学者に転身したのも頷ける、スペイン文学を講じるパリ第三大学教授。画像は最後だけだが2分の動画

The Trial of Joan of Arc (1962) trailer (youtube.com)

 

5.15 イレーネ・ジャコブ1966~、キェシロフスキ『ふたりのベロニカ』1991は美しい映画だ、知性的な少女の耀き、ワイダと違ってポーランドの政治があまり描かれていないように見えるが、細部をよく見るとそうでもない、ワルシャワの大学でデモをする友人たちの中に立ち尽くす彼女、3分の動画

Beauty of Veronique / The Double Life Of Veronique (1991) (youtube.com)

 

5.22  J.ジャームッシュストレンジャー・ザン・パラダイス1984

ハンガリーの田舎娘エヴァ(エスター・バリント1966~)がいい、当時18歳、ハリウッド女優と違う雰囲気、冴えないアメリカ人の若者と三人で大陸横断ドライブする、そのさっぱりした感じが可愛い、1986年に観た時、とても新鮮だった。動画

映画「ストレンジャー・ザン・パラダイス」w:738版予告編 (youtube.com)

 

5.29 今泉力哉『街の上で』2021は、瑞々しい恋愛映画。私の生まれ育った街、下北沢が舞台なのも好きな理由。主人公の青(若葉竜也)が恋をするイハ(中田青渚)が素敵で可愛い。彼女は小津映画のように机を挟んで彼と一晩語りあかす。そこら辺にいそうな普通の女の子たちが、こんなに可愛いとは! 二人が語り合う1分半の動画

映画『街の上で』予告編 (youtube.com)

 

6.5 『ハムレット』映画版は名作が多いが、旧ソ連のコージンツェフ監督1964が断然よい。ハムレットが宮廷で孤立してゆく政治劇として描き、全篇、美と恐怖が張りつめている。ハムレット役のインノケンティ・スモクトゥノフスキー、オフィーリア役のアナスタシア・ヴェルチンスカヤが素晴らしい。

オフィーリアを中心とした12分の動画

Great Russian actress plays Ophelia (English subs) (youtube.com)

 

6.12 『リア王』映画版もコージンツェフ監督1971が特にいい。全篇に張りつめる恐怖、愛のアレゴリーとしてのコーディリアが、冬の夜空に光る小さな星のように美しい。リア役のユーリ・ヤルベットと、コーディリア役のバレンチナ・シェンドリコワ、ともに名演。

全篇2時間強の動画が

King Lear - Grigori Kozintsev - Jüri Järvet - Shakespeare - 1970 - HD Restored - 4K (youtube.com)

 

6.19 桑野通子1915-46『淑女は何を忘れたか』1937は小津映画の傑作、桑野通子の魅力に負うところが大きい、東京の大学教授の家に大阪から姪が上京、彼女はいい家のお嬢様なのに、わざと不良っぽく振る舞う知的なモダン・ガール、大学生役の佐野周二も若い、短い動画 (2) 動画 | Facebook

 

6.26 ブリジット・バルドー1934~は、ロジェ・バディム『素直な悪女』1956が一番美しい。原題「Et Dieu... créa la femme (そして神は…女を創造された)」がいい、「女」は神という芸術家の作品。人間の芸術家にはとても創造できない傑作。2分の動画

Et Dieu… créa la femme (1956) Bande Annonce VF (youtube.com)