狂言風オペラ『フィガロの結婚』

charis2018-03-19

[演劇] 狂言風オペラ『フィガロの結婚』 銀座、観世能楽堂 3月19日


(写真右はポスター、左側がアルマヴィーヴァ伯爵の文楽人形で、エロおやじっぷりが見事に表現されている、右側は能方シテの伯爵夫人、下は2016年の『コシ・ファン・トゥッテ』だが、これと似た感じ)

非常に面白い企画だった。モーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』を、狂言、能、文楽を合せた形式に管楽八重奏(+コントラバス)で音楽を付ける。筋は簡略化して、実質85分にまとめる。歌手の歌はないから、音楽付の演劇というべきだが、『フィガロ』はもともとボーマルシェの演劇だったから、音楽付きの演劇に戻すこともできるわけだ。もっとも美しいアリアや重唱の部分を管楽八重奏で表現するので、音楽の美しさは変らない。登場人物のほとんどを狂言にしたのは、『フィガロ』は喜劇だから当然として、しかし、アルマヴィーヴァ伯爵だけは文楽の人形にして、太夫の語りと三味線が付き、伯爵夫人は能のシテになって、能面を付けた奥方になっている。これが表現の奥行きを一段と深くした。伯爵がスザンナをねちねちと口説き、体を触ったり抱いたりするいやらしい仕草を、文楽人形がこんなにうまく表現できるとは驚きだ。文楽人形の仕草は、とても生々しい。そして、太夫の語りも伯爵のエロおやじっぽさ全開で、調子っぱずれの三味線も付いて、どんなオペラや演劇でも表現できないくらい、伯爵はいやらしいエロおやじになっている。写真下の後列中央がその人形↓、その左が脚本・演出の藤田六郎兵衛、笛方藤田流の宗家の人だが、音大の声楽科を出て助手もした人なので、フィガロを歌った経験があるという。

伯爵夫人はもともと喜劇キャラではないので、彼女だけ能方シテにして、科白は終幕の許しの科白しかない。しかし、伯爵夫人の第2アリアや、そよ風の二重唱のときは、管楽八重奏に合せて能の舞いを華麗に舞う。これで、彼女の悲しみと喜びは十分に表現されている。そしてスザンナも舞うのだが、それは原作第3幕終りの結婚式の開始の音楽に合わせてで、原作も舞曲だから、これも実にぴったりだ。唯一、おや?と思ったのは、終幕、和解と許しの大団円の場面の音楽がスザンナのアリアになっていることだ。このアリアは、スザンナが伯爵をおびきよせる求愛の歌だから、本当はおかしいのだが、しかし管楽八重奏にすればスザンナという主体からは解放されるし、愛の喜びを歌うという意味では、大団円の歌であってもいいわけだ。序曲を最初と最後に二度使っているが、これも調和を感じさせて良かった。そして、密会シーンのスザンナと伯爵夫人の衣服の交換は、狂言ではお手のものだから、きわめてスムースに、むしろオペラよりうまくなされている。オペラとしての『フィガロ』は、『魔笛』などに比べると、コンテクストを飛び越した自由な演出が難しい作品だと思っていたが、狂言+能+文楽+管楽八重奏という、まるで違った様式化にも十分に耐える。というよりも、狂言も能も文楽も高度に抽象的な身体表現なので、それを可能にしたのかもしれない。